第31話 軌道上奪還
キルギバートは旗艦ヴァンリヴァルの舷側に機体を停止させると、すぐに通信を繋げた。
「閣下!!」
『キルギバートか』
グレーデン自らが応答した。その声は重く、低い。
「なぜ撤退の信号弾を上げたのですか! 我々は勝っています。このままいけば衛星軌道上の防衛は――」
『それが困難となった』
「どういうことです? 援軍もこれから――」
『援軍は、来ない』
意味が分からず言葉に窮するキルギバートに、グレーデンは静かに続けた。
『本国司令部より伝達。ルディ=アースヴィッツに不審の動きがあり、本国にあった増援艦隊をそちらに振り分けなければならなくなった』
「それ、は――」
モルトの裏側に存在する独立自治宇宙国家のルディ=アースヴィッツが近年、モルトへの物資支援を渋っていることはキルギバートも知っている。だが、それは宇宙市民の同盟国が、裏切るかもしれないという事ではないのか? 信じられず、キルギバートはコクピットで背筋を伸ばしたまま黙り込んだ。瞳が揺れ、途端に目の前の景色が崩れていくような感覚に襲われた。
『そのためこの宙域を今の戦力で防衛することは困難だ。モルト総軍はウィレ=モルト間の航路宙域、通称"回廊"に第二防衛線を敷く。ここを防衛し、ウィレ軍艦隊を押し戻す』
「閣下……!」
『……わかっている。眼前に勝利があるのに、それを手放すというのはな』
グレーデンの声音に滲む無念さと、キルギバートのやり場のない怒り。それはきっと異ならない。
『全部隊に通達。衛星軌道上より順次撤退する。速やかに回廊上に防衛線を構築し、ウィレを迎え撃つ。以上だ』
キルギバートは眼下に広がるウィレ、そして今なお砲火の激しい戦場へ振り返る。
「っく――」
そうして吼えた。叫ぶ以外に何ができるというのだ。
大陸歴2719年5月。衛星軌道上の戦いはモルト軍の撤退によって幕を下ろした。
☆☆☆
「……小才子め。どうやらこの時のために日和見していたと見える」
ローゼンシュヴァイクは宙域図を眺め、呟いた。ルディ=アースヴィッツに調略の手が伸びていることは最近になって察知していたし、防諜戦も展開している。だが、ウィレはその目を掻い潜っていたらしい。それも随分と早いうちに。月の真裏に獅子身中の虫を巣食わせるとなれば、幾らかの戦力を割く必要に迫られる。実に効果的な戦略だと、ローゼンシュヴァイクは敵の謀略を賞賛せざるを得なかった。この暴れん坊の参謀総長の頭脳は、そういうようにできている。腹を立て、敵を恨むことは頭脳を使う立場の者がすべきではない。
「参謀総長」
杖の音が、背後で響いた。振り向いた先には長い髭を蓄えた長躯大身のモルト軍元帥が佇んでいる。共に、宙域図を見上げた。
「おう、元帥。してやられた」
「その割には、動揺せぬな。これも想定の範囲内か」
「当たり外れも半分ずつってところだ。連中がいつまでもモルトに従うとは思っていなかったが、これは早すぎだな。ウィレの手は思ったより早く伸びている」
ゲオルク・ラシンは頷いた。軍事だけでなく政治面でもウィレはモルトを追い込んでくるだろう。となれば――。
「元首閣下は?」
「少し奥で休んでもらっている。ルディ=アースヴィッツが派兵を断ってきた時、かなり衝撃が来たらしい。この数日、ぶっ通しで戦局を見ていたこともあるしな」
「それは貴官も同じであろうに」
「それが仕事だからな。だが、こっからは政治戦も込みの戦いだ。となれば
ゲオルク・ラシンは重々しく頷くと、衛星軌道からやや離れた宙域へと視線を移した。
「――鍵は、回廊であるな」
「ああ。総全長100万カンメル。宇宙最大の防衛線。ここで勝負は決まる」
「どうするつもりだ」
「最終的には会戦に持ち込むが、その前にウィレを消耗させる。そのため神の剣から衛星までなんでも使う。ここを抜かれたらモルトは終わりだ。補給線を断たれ、来年には本国が干上がり、戦争の継続は不可能になる。逆に立て直してもう一度、あの衛星軌道上まで押し出せればこの戦争はモルトが勝つ。ウィレからすれば宇宙遠征は一大作戦だ。長期戦に耐えられる戦力は存在しないし、何より遠征を二度も三度も行うだけの経済力も尽きる」
「長期戦になるな」
「ああ。だが、そこまで何年もの戦いにはなるまいよ。恐らく大陸歴2719年内に片が付く」
「七カ月、か」
「そこまでに大きく山を動かすさ。いや、先に動かした方が勝つだろうな」
「動かせるか」
「それを今から考えるさ。少し寝る」
ローゼンシュヴァイクは踵を返して司令室を去った。ゲオルク・ラシンは扉の向こうへと消える参謀総長の背中を見送り、それから再び司令室の中心にある宙域図を見上げて背を正した。
「これがモルトにとってのノストハウザンか」
☆☆☆
「報告!」
ウィレ・ティルヴィア軍通信士官の、強張り、裏返った声音が響いた。
「モルト軍、撤退します!」
ウィレ・ティルヴィア軍最高司令部では、アーレルスマイヤー、ドンプソン、シェラーシカを初めとする軍高官らが軌道上の戦況を示した宙域図を見つめている。モルト軍艦隊が、軌道上宙域の外へと移動している様子が映し出されている。
「――勝負あったな」
アーレルスマイヤーが唸るように呟いた。
モルト軍突然の撤退、そして軌道上の奪還。
ウィレ・ティルヴィア宇宙軍にとっては降って湧いた戦勝だろう。だが、宇宙の民であり宇宙空間の戦いにおいて精強とされるモルト軍を緒戦で破ったことに変わりはない。ヤコフの言葉が響いた刹那、司令部は喜びに湧き上がった。
「モルト軍を破ったぞ!」
「軌道上宙域は我々のものだ、勝ったんだ!!」
腕を振り上げて吼える者もいれば、泣き出す者もいる。それら全てがこのウィレ軍において将来を嘱望されるエリート将校だが、今は品位や落ち着きさえかなぐり捨てて勝利の喜びに酔いしれている。
「皆さん――」
ヤコフの声が響いた。
「まだここからですよ。軌道上を速やかに確保。ウィレの天井にしっかりと蓋をなさい。料理ができ上がるまで酔っ払う事は許しませんよ」
その声に将校らは己の役割が半ばで放り出されていることを自覚したようで、すぐに席へと着き直し、己の職務へと向き合い始める。
「すまんな参謀長。君こそ喜びたいだろうに」
「いえ、これも役割のうちですので。――さて、作戦参謀部次長」
ヤコフは後ろに立っているシェラーシカへと振り返った。彼女も隙なく軍装を固め、目深に被った軍帽の下の表情は緩みがない。
「ここからは貴方の役目でしょう。どうします」
「シャトルの準備を。それと、モルト政府及び軍に打診してください」
「何をする気だ?」
アーレルスマイヤーの言葉に、シェラーシカは初めて笑みを見せた。
「"捕虜交換"の打電を行います」
アーレルスマイヤーとヤコフ・ドンプソンは互いに顔を見合わせたが、やがて参謀長と元帥はその真意に気付いたらしい。表情を引き締めて顎を引いた。
捕虜交換。
モルト軍に、毒を盛るのだ。
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