第27話 新たな敵


 大陸歴2719年5月10日午前零時。ウィレ・ティルヴィア宇宙軍全艦隊に出撃命令が下された。ウィレ軍宇宙艦隊は規模にして二十個艦隊。艦艇数はおよそ三百。対するモルト軍は軌道上に十個艦隊。艦艇数は百隻余り。


 モルト首都アースヴィッツ。

 国家元首にして最高司令官のグローフス・ブロンヴィッツが最高司令部へと入ったのは反攻を察知してわずかに五分後のことだった。すでに配置に着いていたモルト軍参謀総長ローゼンシュヴァイクは宙域図を見つめ、僅かに顎を引いた。


「早くに仕掛けたな。さすがはと言ったところか」

「相手はアーレルスマイヤーと、懐刀ドンプソンか」

「いいや。それもあるが、これほどの動員規模だ。奴が後ろにいる」


 国家元首は沈思した後、口を開いた。


「親の方か、娘の方か」

「両方だ。間違いない。惑星総出で来るぞ。修羅場になる」


 ブロンヴィッツは頷いた。


「相手にとって不足なし」


 ☆☆☆


「どういうことだ!!!」


 惑星ウィレ・ティルヴィア。公都シュトラウスの最高議会に怒声が響き渡った。深夜にも関わらず参集した議員らの前で青筋を立てているのは副議長のシュスト・シュトラウスだ。彼は右手に一枚の紙切れを持っていた。通達書である。


―—軍は本、十日を持って議会より外交権を委託され戦地においてこれを行使する。


 各軍最高司令官・参謀総長・作戦参謀次長の連署と押印が末尾に記された、簡潔極まりない文書によってわずか一晩で議会は外交権を取り上げられたのだ。


「戦時外交権だと。軍部は本当に行使できると思っていたのか!」


 一段上にいる議長のアウグスト・シュトラウスはおろおろと周囲を見渡すばかりだった。狼狽するシュトラウス兄弟に対して、脇の雛壇上の議席にあった壮年の議員は静かに目を閉じた。前議長にして国家首班のアルカナだ。


「軍に対して懐柔のアメでしかない。それをどうすればそのように厚かましく――」

「議長・副議長両閣下」


 顔を真っ赤にして演壇を叩くシュストに、目を開いたアルカナは鋭い一声を放った。広々とした議場に響いた元首班の声に他の議員も静まり返った。唯一、温厚で気弱な議長の方が安堵した様子で嬉々として口を開いた。


「な、なんだアルカナ議員。事態を打開する方法でも――」

「――ありません。これは議会の失策です」

「な、な、なに……?」

「我々は戦争の早期終結の手段として軍の提案を議題にかけ、可決したのです。最高議会の裁決は覆せません。軍は本当にモルトとの外交を行い、戦争を軍の手によって終わらせるつもりです。責任は権限を軍への餌同然に扱った我々全議員にあります」


 議員たちがどよめいた。彼らのざわめきは自責や後悔ではない。政治家という存在が戦争の功労者の座から引きずり降ろされた衝撃によるものだろう。それでも議員たちは今頃になって取り返しのつかない事態に気付いたようで、口々に軍を非難し始めた。


「軍が政治を"奪った"というのか!? 何たる犯罪行為だ!!」

「シェラーシカ家は、我らの、いや、議会の守護者ではなかったのか!?」

「軍を止めるべきだ! すぐにでも停戦させ――」


 「もう遅い」。アルカナは口中で吐き捨てるように呟いた。既に一年に及んでいる戦争の渦中で戦場を顧みず、公都の中枢でぬくぬくとしてきた政治家らと軍人の溝は深まっている。しかも政治家にとって最大の支持層である惑星市民は軍の味方だ。戦争が終わるまで、市民は政治不信のあてつけに軍の支持をやめないだろう。


 シュスト・シュトラウスは最大の庇護者であるベルツ・オルソンからの恩恵をあてにして軍に恩を売ろうとし、アウグスト・シュトラウスはシェラーシカ家の庇護を期待して戦時外交権をよく吟味すらしなかった。


 なるべくしてなったことだ。だが――。


「ロッシュ。国民議会と連絡を取ってくれ」


 思うようにはさせない。そう肚を決めて傍らの秘書へと振り向いた。


「議題を我々の方で造り直す。最高議会を下から突き上げるぞ」

「閣下……!?」

「政治家には政治家の戦争がある」


 ロッシュは素早く頷くと議場から姿を消した。轟々と巻き起こる騒乱の中で、アルカナは静かに顔の前で腕を組んだ。誇りを傷つけられた彼は反撃を決意した。シェラーシカ家は禁忌に手を出した。戦争を終わらせるために。ならば、それを利用するまでだ。政治家として戦争が始まる前から惑星を平和であるべく回してきた。


「いいだろう。そちらがその気ならば――」


 決断力のない議長、強硬派のガワを被った風見鶏の副議長を利用してでも戦ってやる。戦争はいつの時代でも銃を持たない政治家が終わらせ、後の平和を築いてきた。今回も、そうでなくてはならないのだ。


「――相手になってやる」


 ☆☆☆


 ウィレ・ティルヴィア上空衛星軌道上。モルト軍戦艦「ヴァンリヴァル」作戦指令室。宙域図を展開したいつもの作戦会議にはシレン・ラシン、キルギバート、そして主だった将校らがいる。


「大規模な打ち上げですな。恐らく、我々の倍以上と見える」


 深刻そうに眉根を寄せるシレン・ラシン。その彼と正対するケッヘルが口を開いた。


「神の剣を、衛星軌道に戻しては?」

「戻してどうする?」シレン・ラシンは顔を上げた。

「ウィレに撃ち込みます」


ケッヘルの過激な言葉に場がたじろいだ。しかしグレーデンは咎めなかった。戦術として神の剣を使うというのは敵の戦力を削り、惑星に動揺を与えるという点でも理にかなっている。だが――。


「俺たちは、シュレーダーじゃない」


 キルギバートが衛星図を睨んだまま呟くように言った。壁に寄り掛かるように宙域図を見ていたブラッドがにやりとし、クロスも微笑んだ。


「閣下。敵は回廊へ抜けますか。それともウィレ上空に留まるつもりでしょうか」

「まだ割り出せていない。しかし、再制圧した衛星の幾つかから観測と交信の記録を抜き出している。じきにある程度精密な予測ができるはずだ」


 キルギバートは感慨にふけった。ノストハウザンは衛星を抑えられたことが敗因だった。そうして、今度はモルトが奪い返した。軌道上の命運は見えない天秤にかけられている。どちらかに傾き切れば、勝敗は極まるだろう。それはモルトでなければならない、とキルギバートは気を引き締めた。


「諸君。任務は明確だ。衛星軌道・及び人工衛星群を守れ」


 グラスレーヴェン搭乗員たちが踵を合わせた。士気の高さを見たグレーデンは満足そうに微笑して続けた。


「遭遇・迎撃戦になる。お互いに部隊を軌道上に送り込み、ぶつけ合わせる。過酷な戦いになるだろう。だが本国、それに友邦のルディ、ヒーシェからも増援が来る。耐えろ。そうすれば宇宙の戦いで引けを取らないモルトが勝つ」


 ブラッドが挙手した。


「なんだブラッド・ヘッシュ」

「耐えるだけでよろしいんですかい?」

「別に勝っちゃってもいいんですよね?」


 クロスが和した。ぎょっとして振り向いたキルギバートに、二人はいつも通りの笑みを向けた。


「キルギバート少佐、貴官の部下らはああ言っているが?」

「……まったく」


 キルギバートは苦虫を噛み潰したような表情だったが、やがて吹っ切るように笑みを浮かべて頷いた。


「――我々に先陣を」


 グレーデンはその言葉に大きく頷き、宣言した。


「作戦を開始する。各員出撃せよ」

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