第17話 大公シェラーシカ
モルトが"備え"を固めている頃。ウィレ・ティルヴィアにも転機が訪れている。
大陸歴2719年春。ウィレ・ティルヴィア惑星議会は宇宙への攻勢を承認した。
「レーテ」
「はい」
黄昏に染まる、シェラーシカ家公邸の一室にこの惑星の権力の一端を担う父娘は向かい合った。
「ただいまをもって、当主の座をお前に譲る」
「謹んで、お受けします」
シェラーシカは静かに頭を下げた。およそ、戦塵の中で当主を継承した
「お父――いえ、父上は、いったい何を?」
「そうだな。私が残りの一生の内に行うべきは、ふたつだ」
ユルは静かに頷いた。
「この戦を終わらせる」
父の言葉を受けて、シェラーシカ・レーテは驚かなかった。元より、自分たちはそのために生きてきた。ウィレ・モルト両惑星を一統し、宇宙平和という壮大すぎる理想を叶える。それこそウィレ・ティルヴィアを繁栄させる使命を担う公家が実現すべき永久の夢だ。
「そのためには当主の肩書も座も、我が身を縛るものでしかないのだよ」
「それは、どういう……」
「無論答えよう。だがその前に、ふたつめの話をさせてくれるか」
「喜んで。父上」
シェラーシカ・ユルは指を二本立てて見せた。
「此度の大戦において、シェラーシカ家は大功を立てた。武門としてのシェラーシカの勇名は今後の歴史において常に語り継がれよう」
シェラーシカ・レーテは頷いた。その勇名さえ多くの同胞の命の上に成り立っていることを、彼女は知っていた。だからこそ「戦いを終わらせる」という父の言葉を当然のものとして受け止めていた。
だが、続く父の言葉は彼女にとって予想外だった。
「だが戦争が終わればどうなる」
「それは――」
「平和の時代が到来しよう。その時代において軍人は、いや、英雄も不要となろう」
戸惑った後、彼女は父であり、この惑星の最高権力者のひとりである男が、何を言いたいのかを察知した。彼は自分よりもさらに先を、そして遠くを見据えている。
「レーテよ、お前の生は、そしてシェラーシカ家はこの先、無為の存在となるかもしれん。だからこそ、次に行うべきは、シェラーシカ家を文武の名門となす」
文武の名門。父は今のシェラーシカ家を武門と呼んだ。ならば文とは?
シェラーシカ・レーテは黙り込んだ。文官、文治、それは全てあるものと繋がっている。
「まさか、父上――」
「政治だ。レーテ」
「なりません!!」
シェラーシカは説いた。古来、武人が政権を望んだ結果、多くの戦乱が起きた。また政治家が軍権の掌握せんと目論んだ結果、これもまた大戦が起きた。
「あの”最終戦争”も元はと言えば、議会宰相・暗愚公ヴォルホーン・シュトラウスが軍権を握り、陸軍大将ヘンゼル・オルソンがこれと組んで政権を握ったことが引鉄となったではありませんか! ふたりの西大陸排斥・強硬政策が旧モルト公国陣営の孤立と軍事大国化を招き、歴史上最悪の核戦争を引き起こしたんです!」
「そうだな。だが、その時代さえ栄光と見て、再現しようとするものもいる。こと、オルソンにとってはな。やつがシュトラウス家という玉を抑えんとするのは、ヘンゼル・オルソンの亡霊なのかもしれんな」
「それがわかっていて、なぜ? 同じ愚を、我が家が犯すことに――」
「シェラーシカ・レーテは、オルソンと同じほどの愚物かね」
「それ、は……」
シェラーシカは言葉に詰まった。そうではないと断じたい。だが、人間が規格外の権力を握り、大いなる力に突き動かされればどうなるか。シェラーシカはそれを知っている。そうした人間は、すべてブロンヴィッツという怪物に成長するのだ。
「議会を担う<兄君>アウグスト殿は深慮の気があり過ぎ、それを支えるべき<弟君>シュスト殿は果断の気があり過ぎる。中庸というものが存在しない。これからの惑星を率いていくには、あまりにも非力だ。しかも他の者に御されやすい」
シェラーシカ・レーテは顎を引いた。
「戦争が終われば表向きは平和な世となろう。だが、その平和の中で混沌とした政争が始まるのだ。その時にシェラーシカ家が単なる武門であれば、いずれは代わる者が現れる。そして今の非力なシュトラウス家のみでは、シェラーシカ家もいずれは追い落とされよう」
最終戦争以来、シェラーシカ家は常に議会の守護者であり公都の武力を担ってきた。その存在意義は恐らく、モルトに勝利すれば消えてなくなる。惑星議会、市民すべてに共通の"敵"が滅び、存在しなくなるからだ。
「シュトラウスあってのウィレ・ティルヴィアだ。そして、それを支えるべき我らが弱くなれば、我らは共に滅ぶしかないのだ。この戦争が終わった後の世を、守り、支えるのは我々だ。だからこそ、生き残らねばならん」
ユルは続けた。今の議会は政治という名の泥沼の表層でのみのたうっている。満身に汚泥を浴びる者は一握りだ。
シェラーシカ・レーテはその言葉に何人かの顔を思い浮かべた。アルカナ前議長、そうして覚悟を決めかけ、また決めかねているアウグスト・シュトラウス議長の顔を。だが――。
「――それでも不十分だ」そうユルは断じた。
まして、議会の泥を飲み干し、その肚を真っ黒にするものは一人もいない。戦争を終わらせるのは美辞麗句ではない。武力によって始まった戦争は、武力でしか終わらない。
「だが武力のみで戦争を終わらせようとすれば、宇宙は百年経っても今のままだ」
ユルは公家当主となった娘の目を見た。彼女は決して目をそらさない。ユルもそれ以外のことを許さなかった。そうして、二本目の指を立てた。
「"戦時外交権"を奪る。それが、我らシェラーシカ家が今なすべき事だ」
シェラーシカ・レーテの首筋がこわばり、背筋を冷たい汗がしたたり落ちていく。一歩間違えれば、いや、これは明らかなウィレ・ティルヴィア議会制度への挑戦だ。それを躊躇なく仕掛けるのだ。
「それが……」
彼女は喘ぐように息を継いで、言葉を絞り出した。
「成し得た時、我々はどうするのでしょう」
ユルはしばらく腕を組み、夕焼けの窓辺へと目を向けた。だが、きっとその目は夕焼けを見てはいない。その先にある宇宙を見据えている。
「"
振り向いた先で、凍り付いたように静止する愛娘に父である男は「それしか道はないのだ」と告げた。シェラーシカ・レーテも愚かではない。このウィレにおいて、今回の宇宙戦争の発端から、今日まで戦い抜いてきた。そうして優れた人物たちから学び、鍛えられてきた才女だ。
「怪物を、倒すには――」
シェラーシカはこめかみに汗を浮かべながら、自分の腕を抱いた。
「その力を弱めなければなりませんね」
ユルは肯定した。グローフス・ブロンヴィッツという人類有史以来の"宇宙の支配者"が敷いた独裁体制の根元を崩し、怪物の力を弱める。そのために取るべき道を、ユルは静かに告げた。
「モルトにとっての衛星国ルディ=アースヴィッツ、協商国ヒーシェを、こちら側へ抱き込む。その調略は私も行おう」
「父上が!? 危険すぎます!」
シェラーシカは跳ね起きるように椅子から立ち上がった。
「二国を引き込むことになれば、その調略は長期に渡るはずです。父上は――」
「そうだ。レーテ。私は病だ。そしてもう長くはない。わかるのだ」
父の言葉に、愛娘である彼女は頭を殴られたような衝撃を受けた。恐れていた、認めたくない言葉が本人の口から飛び出したのだ。否定しようとシェラーシカ・レーテが拳を握った刹那、ユルは吼えるように言った。
「それならば――」
「――父上」
「ウィレを勝たせ、ウィレを富ませるためにこの命を使いたいのだ。お前の母、そして我が妻アイルシャリス・シュトラウスが平和のために命を燃やしたように、私もそう生きたいのだ。病床で"その時"を長引かせ、ただ何もせずに終わりを待つ生涯に、何の意味があるか。私は自分が自分である内に、成すべき仕事を成したいのだ」
「それでも、私は、父上に……」
シェラーシカ・レーテの大きな瞳に涙が滲んだ。
「父上に、もっと生きていてほしいです」
「レーテ。お前はもう、公家シェラーシカの当主だ。ならば父であり、先代当主たる者の命を聴け」
ユルはよろけながら、それでも力強い足取りでシェラーシカ・レーテに近付くと、その肩に手を置いてがっしりと掴んだ。
「レーテ、よく聴け。私からの遺言と思っていい」
愛娘であり、公家の当主となった女は父である男の目を見た。涙が一筋頬を伝って流れ落ちた。
「我らの祖国、惑星ウィレ・ティルヴィアのため、この父を捨て石にしろ。そしてこの戦争と、来たる平和をその肩に追うべき、鉄の女となれ。それが惑星ウィレ・ティルヴィアとシェラーシカ家の永遠の繁栄に、きっとつながる」
ユルは初めて微笑んだ。
「今後どのような時代が来たとしても。最後まで立っていた者こそ真の勝者だ」
「勝利者となれ、シェラーシカ・レーテ」
大陸歴2719年4月。ウィレ・ティルヴィア惑星最高議会は、ウィレ軍最高司令部に対して"戦時外交権"を託した。議会の承認を得ずして、ウィレ・ティルヴィア政府以外の国外勢力への無条件、無制限の干渉を可能とする切り札を、ウィレ・ティルヴィア軍は得たのである。
時を同じくしてシェラーシカ・レーテの"公家当主"相続が議会によって認められた。同時に、彼女はここから後の歴史においてこう呼ばれることになる。
"シュトラウス公子・シェラーシカ大公 シェラーシカ・レーテ"。
惑星ウィレ・ティルヴィア最高権力者の一人として、ついに彼女は名実を手にしたのである。この時、若干十八歳。
そして――。
大陸歴2719年4月30日。ウィレ・ティルヴィア宇宙軍、惑星軌道上への宇宙艦隊打ち上げを発令。ここに、この宇宙戦争における決戦――宇宙戦役――が幕を開けた。
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