第14話 深紅の才媛
それまで息を潜めて見物をしていた群衆が声をあげて逃げ惑った。
「何をしている!」
そこへ声が飛んだ。キルギバートらの背後、反対の通りから親衛隊の制服を着た将校が駆けて来る。
「ウィンタース少佐……!」
第三機動戦隊長を務めるウェイツ・ウィンタース少佐は駆け付けるなり鋭剣を抜いてキルギバートと親衛隊の間に立ちはだかった。
「キルギバート少佐は元首閣下より信任を預かる者である。銃を下げよ!」
親衛隊将校らはすぐに銃口を下げた。
それからウェイツはキルギバートに向き直った。
「これは何事ですか、少佐」
「すまん、実は――」
「私が――」少女がはじめて口を開いた。「私が話します」
いきさつを聴いたウェイツは、親衛隊員らを引き上げさせた。ちょうど時を見計らったかのようにグレーデンも到着し、やはりというべきか面倒な事情聴取が内務省の建物の中で行われた。だが、少女と群衆の証言、そして何よりも投げつけられた"決闘"の手袋がキルギバートを助けた。私闘やいさかいではなく、親衛隊から仕掛けられた合意の上であるとしてすぐにキルギバートは解放された。
そうして、予定よりも一時間ほど遅れてキルギバートはグレーデンと共に車両に乗り込むことになった。国軍を敵視する親衛隊員は未だに多く、彼らによる報復を防ぐため車両の乗り口までウェイツ・ウィンタースが同道した。グレーデンは少し疲労の色を浮かべながら首を振った。
「少佐、貴官といると退屈せずにすむ」
キルギバートは彼らと並んで歩きながら肩身が狭そうにしている。それよりも気にかかることがあり、彼は訊ねた。
「……あの女の子は?」
ウェイツが答えた。
「ご心配なく、グレーデン閣下が護衛をつけてお送りしました」
「そうか、よかった」
安堵の息をつくキルギバートに、グレーデンは少し表情を明るくして頷いた。
「しかしな、キルギバート少佐。よくやってくれた。これでアルスト機関も我々に対して協力的になるかもしれん」
「は? よくやった、とは?」
訳が分からないキルギバートの様子に、グレーデンとウェイツも初めて驚いたように目を見開いた。
「まさか……」
「キルギバート少佐、まさか知らずに親衛隊に挑みかかったのか?」
「え、ええ。女の子に手を上げるなど、許せませんでしたので」
ウェイツが呆れたように口を開け、グレーデンはしばらく黙っていたがやがて笑い出した。
「そうかそうか。まあ、間が良過ぎると思っていたのだ」
「ど、どういうことですか?」
「何、すぐにわかるさ」
軍用車に辿り着き、キルギバートとグレーデンは後部座席に乗りこんだ。ウェイツが一礼して車から離れ、内務省から車が発進する。キルギバートはグレーデンに訊ねた。
「これから、どこへ?」
グレーデンは先の微笑を浮かべたまま続けた。
「アルスト機関だ」
☆☆☆
数十分ほど走ると、車は下層都市に向かう下り坂へと差し掛かった。首都アースヴィッツは月面の大地に穿たれた巨大なクレーターを利用していて、その下り坂は居住区、軍機密区間などありとあらゆる場所に繋がっている。
運転手はアルスト機関より派遣されているらしい。物静かで運転中はほとんどしゃべらない。その彼がしばらくして、唐突に口を開いた。
「これよりアルスト機関に入ります。軍機の集中する施設ですので、窓を密閉し
運転手の言葉に、キルギバートとグレーデンは頷いた。黒い霧のようなものが車の窓に吹き付けられる。車内はさらに暗さを増し、車内にいる彼らはわけもなく押し黙った。どこを走っているかもわからない。
そうしてさらに時間が立ち、軍用車が停まった。その刹那、外で重々しい鉄の音がした。巨大な門が開く音だ。
「アルスト機関正門だ」グレーデンが囁くように言った。「到着したようだな」
車が乗り入れるように揺れた。そうして数分もしないうちに、今度こそ停まった。
「アルスト機関内工廠に乗り入れました。私は車内で待ちます。ここで見たことはくれぐれも口外、公表されないようお願いします」
「わかっている」
キルギバートは車を降りた。そのドアに手をかけ、続くグレーデンが降りられるようにする。潜るようにして灰色髪の将軍が車外へと降り立つ。
「これは……」
グレーデンもキルギバートも感嘆したように立ち尽くした。"大砲屋"アルスト機関の内部は想像していたような騒々しいものでも、鉄々しい武骨なものではなかった。まるで科学研究所のような見た目をしている。淡く輝く白い壁面、天井は配管と配線が青白く輝いていた。間接照明さえ必要ないほど、研究によって生み出されているであろう灯りの中で、二人はあたりを見回している。
「ようこそいらっしゃいました。将軍」
「――博士」
振り向いた。そこに白衣を着た初老と思われる男性が立っている。
豊かな髪はわずかに金の髪が残っている以外、全て白髪でひげが顎元を覆っている。体躯は小柄でしかも痩せていて、まるで山羊のような見た目だ。その黄色がかった灰色の瞳がキルギバートを見た。
「そして、キルギバート少佐。初めまして」
人の良い笑顔を深め、ますます雄山羊めいた風貌の男は軽く会釈した。
「私が、当機関の長を務めているゲイツ・アルストです」
「貴方が、アルスト局長……」
踵を打ち合わせるキルギバートに、アルスト博士は歩み寄った。そうしてその右手を取り、両手で包み込んだ。博士の手は人の手と思えぬほど柔らかく、温かかった。
「軌道上で助けられたことの礼も言えておりませんでしたな」
キルギバートの記憶がよみがえる。地上戦最後の局面において、ウィレ上空にあった"神の剣"の一基を親衛隊が掌握した。その中に取り残されていたのが、荷電粒子砲技術の生みの親であるゲイツ・アルストであった。彼は親衛隊に抵抗し、"神の剣"が容易に発砲できないよう妨害し、その直後にキルギバートが核攻撃と、続く発砲を阻止したことでアルスト局長は助け出された。
「少佐は私にとって、命の恩人です。本当にありがとうございました」
一機関の局長であり、将官に匹敵するであろう軍属としては最高位の人物に手を取って礼を示され、キルギバートは慌てて思わず博士の手を取り直した。
「いや、そんな……。私こそ、あの時に博士の通信がなければ……」
キルギバートは言葉を切った。目の前の初老の男の尽力がなければ、今頃はウィレ・ティルヴィアは火の海に沈み、モルト国内では国軍と親衛隊が永遠に殺し合うという地獄絵図となっていただろう。そうならずに済み、自分が今こうしてここにいる。地上戦の結末を導いた"立役者"であり、キルギバートにとっての恩人とも言える男はこれほど小さな老人だった。
「……何か?」
「いえ、博士は、屈強なモルト軍人が何百、何千いても敵わないだけの事をしてくださいました。こちらこそ、感謝を――」
頭を下げるキルギバートに、博士は目を丸くした後、グレーデンの方へと笑って振り向いた。
「謹直なお人だと聞いていましたが、噂以上に好い青年ですな。将軍」
「ええ、それが一番の取り得かもしれません」
「そんな。私にはモルト軍人というものを体現した御仁のように思えますよ」
恐縮しきりに肩を竦めるキルギバートにアルスト博士は向き直った。
「それに、もう一つ感謝を伝えたいことがあるのですよ」
「もう、一つ?」
思わず問い直したキルギバートに、博士は頷いた。
「私の愛娘を助けてくださったことをね」
博士は二人がいる方向とは別に振り向いて告げた。
「レナ、来なさい」
キルギバートとグレーデンが、声の先へと顔を向ける。その先、研究所ならではの蒸気と、白い照明の霞の中に人影が差した。影は軽い足音を立てて近付き、それにつれて立ち上がった。
霞が晴れる。キルギバートの前に現れたのは赤い外套を着た金髪翠瞳の少女だった。小柄で、頭頂はキルギバートの喉元あたりまでしかない。見上げ、見つめられている。金髪に覆われた額は小さく、その下にある鼻筋も狭い。さらにその下に、蕾のような薄紅色の小さな唇が結ぶように閉じてある。
「……」
「――」
人形のように整った顔立ちの少女は、出会った時と同じように、軽蔑の色がなくなっただけの"無機質"な表情を顔に貼りつけたまま口を開いた。
「初めまして、キルギバート少佐」
静かで、それでいて鈴が鳴るような涼やかな声音だった。
「モルト国技術局特務機関・アルスト機関所属、レナ・アルストです」
レナ・アルスト。その出で立ちからモルト軍内において"深紅の才媛"と渾名される才女。この出会いがキルギバートの運命さえ変えてしまう出会いとなることを、二人はまだ知らない。
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