第13話 紅の少女と銀の獅子
機動戦隊を預かったキルギバートは戦闘力の増強にとりかかった。三つある部隊にはそれぞれ数多の整備員が配属された。国を挙げての戦闘部隊だけに、その数や整備資材の豊かさは言うまでもない。整備員は機動戦隊の出撃に備えて励んでいるし、ブラッドやクロス、カウスをはじめとする戦隊員の士気も高い。
だが、キルギバートの表情は晴れなかった。
それから間もなくのことだった。機動戦隊総司令であるグレーデンが第二機動戦隊の格納庫へと足を運び、キルギバートはそれを出迎えた。グレーデンは近況をざっと確認し終えると切り出した。
「汎用人形戦術兵器グラスレーヴェンは"時代遅れ"となりつつある」
グレーデンの言葉にキルギバートは目を見開いた。
「このところ少佐の顔色が晴れないのはそのためではないのか?」
「……恐れ入ります、閣下」
「実際、我々はウィレに抜かれている」
キルギバートは渋い顔で訊ねた。
「グラスレーヴェン以外でも、ということでしょうか?」
「宇宙での戦闘も奴らが無策で突っ込んでくることはない。何せ、相手はアーレルスマイヤー元帥で、それを支えるのはあのドンプソンとシェラーシカの二人組だ」
「宇宙での戦闘でも出てくるでしょうか?」
「アーレルスマイヤー麾下の幕僚はほとんどが宇宙に出てくる。親衛隊情報部の見立ては、悔しいがこれまで正確なものばかりだ」
キルギバートは格納庫の騒がしさに目を向けながら、ぼんやりとした。考えていることが大したことなのかどうか自分にもわからない。ただ、あの紅いアーミーに乗った彼らはどうだろうか。ウィレの大地しか知らないであろう彼らは、宇宙に出てくるのだろうか。
「キルギバート少佐」
「……は、は!」
「らしくもないな。ぼうっとするなど」
「も、申し訳ございません」
キルギバートは気まずさのあまり耳まで真っ赤になった。そうして紅いアーミーに乗っている彼らを恨んだ。だから連中は嫌いだ。
「新鋭機を用意することにした」
グレーデンは出し抜けに言った。キルギバートは少し目を見開いたものの、先ほどより態度は落ち着いていた。来るべきものが来たということだろう。どのみち、"普通のグラスレーヴェン"では最早大戦の未来は占えなくなっている。
「新鋭機、ですか」
「そうだ。アルスト機関が技術開発を行っている」
「アルスト機関……! 荷電粒子技術の"大砲屋"がですか?」
「そうだ」
その機体を、とグレーデンは続けた。
「いや、それらの機体を元首閣下は機動戦隊指揮官機に配備するおつもりだ」
「それら、とは、まさか――」
「当然機密だ。ここでは述べられんよ。だが――」
グレーデンは周囲に目を配った上でキルギバートの耳元に顔を近づけて囁いた。
「少佐、命令だ。今夜、官庁街五番地で待つように」
「閣下、それは……」
予感は確信に変わり、胸を高鳴らせるキルギバートにグレーデンは微笑した。
「見るのが早い、ということだ」
☆☆☆
その夜、キルギバートは隊務を終えるとすぐに官庁街へと足を伸ばした。道行く人はほとんどが官公庁勤めの役人や、それに従う背広を着た人々だが、彼らはキルギバートに眼を向けることもなく、せわしなく家路を急いでいる。
すれ違う人と肩がぶつかった。帰路なのだからもう少しゆったり歩いてもいいじゃないか、とキルギバートは少し鼻を鳴らした。家路を急ぐ群衆というのは相手が軍人であっても容赦がない。人間の濁流に呑まれる前になんとか避けなければと、キルギバートはそのまま内務省の白亜の大きな外壁に身を寄せようと人の流れを横切り始めた。
その時だった。脇腹に軽く、何かがぶつかった。
「――おっ、と」
それほどの衝撃ではなかった。というよりキルギバートの屈強な体躯だからそう感じたのかもしれない。
目をやった。人が尻餅を着いて倒れている。それが金髪の女性だと気付くまでに数秒かかった。見慣れない深紅の外套を着ている。どこかの職員だろうか?
「すまない! 大丈夫か?」
助け起こそうとして思わず手首を掴んだ。そうしてさらに驚いた。恐ろしく華奢で折れてしまいそうだった。自分が転ばせた相手は、少女だった。目が合った。丸く、それでいて大きく美しい翡翠のような瞳を持っている。まるで人形のようだった。
柄にもなく見とれていることに気付き、慌てて問い直した。
「怪我はないか?」
いきなり少女の手が強く引き抜かれた。振り払われたのだと理解するまでに、一瞬かかった。
「軍人――」少女が囁くように言った。
「……え?」
少女の顔には明らかな嫌悪感が浮かんでいた。戸惑っているうちに、小柄な後ろ姿は雑踏の中へと消えていった。詫びの言葉をかける暇すらなかった。何か嫌な思いをさせたのだろうか。いや、ぶつかって転ばせてしまったのだ。誰だって良い思いはしない。
キルギバートは溜息をつき、少女が去った方向を見つめていた。通りの人影は変わらず濃いままだ。
――……すごい人数だな。
官庁街は惑星モルトの首都、その脳髄であり心臓だ。不夜城に例えられるほどに深夜でも明るい。そんな街灯の柱にもたれるようにしてキルギバートは人の波が過ぎ去るのを待った。
――あれほど待ち望んだ帰還のはずなのに。祖国にいるはずなのに。どうして心が休まらないのだろう。
どこか遠い目をして行き交う人の群れを一個の波を見るように眺める。望んだ形の帰国……凱旋ではなかったからだろうか。帰国してなお、やるべきことの多さに没頭しているためだろうか。帰って来たはずなのに、ここは随分と遠い異国のようだと、キルギバートは溜息をついた。
その時だった。行き交う人から発されるものとは違う、何か不穏なざわめきが人垣の向こうで立ち昇った。
「親衛隊だ」
「関わるな、ろくなことにならんぞ!」
「でもなんで、あれは女の子だろう?」
女の子。
不吉な予感を覚えるよりも早く、キルギバートはもう一つの通りへと飛び出した。果たして予感は的中していた。先ほどの金髪翠瞳の少女が、歩道から通りに転ぶようにして倒れている。そして歩道側には上品な身なりをした親衛隊の将校数人が立っている。突き飛ばされたのは誰の目にも明らかだった。
「祖国の裏切り者めッ」
「誰の許しを得てここを歩いている!」
「我らがシュレーダー長官を裏切った不浄な女め、ここで斬ってやる!」
起き上がった少女の口の端から赤い血が流れた。それを見た瞬間、キルギバートは総毛立った。子どもをいたぶるなど、軍人が、いや人が行うべきことではない。
「何をしているッ!」
キルギバートの声で人垣が割れた。彼は賑わいの中の人々が驚くような大声が出たことにも気づかずに、そのまま両者の間に立ちはだかった。隕鉄刀の柄を握り締めて睨みつける。
「モルト国軍第二機動戦隊、キルギバート少佐だ!」
親衛隊将校らが色めきたった。
「き、キルギバート――!」
「モルトランツの――」
気色ばむ親衛隊員らが鋭剣の柄に手を掛ける。
「これはこれは――」
彼らの筆頭らしい親衛隊大尉が両手を広げて歩み出た。
「モルトランツの裏切り者殿がお出ましとは」
「御挨拶だな。親衛隊は国家国民の守護者ではないのか。なぜこの子を傷つける」
「その女が、我が祖国、我らが国家元首の裏切り者だからですよ」
「なんだと?」
怪訝そうに眉をひそめるキルギバートに対して、親衛隊大尉は嘲笑うかのような笑みを浮かべた。
「その女は親衛隊への協力を拒み、さらにシュレーダー長官に抗い、祖国が地上戦で苦杯を煽る結末に加担した罪人です」
他の親衛隊員がはやした。
「それを救いに来るなど、裏切り者の女に裏切り者の男とはお似合いだ」
少女は俯いて何も言わない。
黙ったまま、足元に散らばった書類を鞄の中へと集めている。
キルギバートは奥歯を噛んだ。胸の悪くなるむかつきが喉元までせり上がってきている。それを見せないように呑み込んだ。知らず、攻撃的な笑みが顔に浮かんだ。
「なるほどな。……ならば、罪人がここにもいるだろう」
親衛隊員らがたじろいだ。
「シュレーダーに抗った男はここにもいるぞ。忘れたのか」
「我らが長官を愚弄するか……!」
親衛隊大尉が手袋を脱いだ。それをキルギバートに投げつけると、群衆から悲鳴が上がった。このモルト・アースヴィッツにおいて秘密警察、親衛隊を敵に回した者がどうなるかを彼らは肌で感じているからだ。
鋭剣が鞘走った。キルギバートの背後で息を呑む音が聴こえた。
他の親衛隊員らも気色ばんでいるが、銃を抜く気配はない。軍人同士の遺恨は決闘で晴らすというのがシュレーダーによる創設以来の"親衛隊の掟"らしい。
「親衛隊の名誉にかけ懲罰を与える。表に出よ、国軍の犬ッ!!」
「もう出ているさ」
我慢を解かれた狂犬のように、親衛隊大尉が飛びかかった。上段から鋭剣を振り下ろしてくるのに合わせて、キルギバートは鞘を頭上で旋回させるようにして合わせた。硝子の割れるような音がして鋭剣が弾かれた。
「む……っ!」
「お前たちは大事なことを忘れている」
じりじりと寄ってくる親衛隊将校らに対して、キルギバートは右手に鞘ぐるみの刀を握り締めたままだ。
「モルト国十三人の武卿の名を思い出してみろ」
「……お前を打ち果たして十二人にしてやる!」
親衛隊大尉が鋭剣の柄を胸に押し当てるようにして水平に構えた。間違いなく突いてくる。モルト鋭剣術の突きは、モルト剣術の抜き打ちと同じく一撃必殺として知られている。だが、キルギバートは目を眇めて動じなかった。
「けぇッ!!」
キルギバートは僅かに片足を引いて体を傾けた。体捌きによって生まれた半身分の空白に親衛隊大尉が突っ込み、腕が伸びきった。さすがにできるだけの事はある、その瞬間に大尉の表情が一変した。そうして見上げるようにキルギバートの顔を見た。
目が合った。敵意と驚愕、そして僅かな後悔が入り混じった悪相だった。
キルギバートはその肩に向けて鞘ごと叩き下ろした。肩と鎖骨の骨が砕ける凄まじい音がした。
「ぎゃあぁーッ!?」
絶叫が通りに響いた。崩れ落ちた親衛隊大尉に隊員らが駆け寄る。
「ああっ」
「大尉殿っ! 貴様、鞘で打つとは無礼なッ!」
うめく親衛隊大尉の右手がだらりと垂れ下がった。その腕が左手より手一つ分ほどに伸びている。向こうしばらくは使い物にならないだろう。驚愕する親衛隊員らに対して、キルギバートは腰に刀を戻しつつ口を開いた。
「抜くまでもない、ゲオルク・ラシン元帥閣下よりいただいた俺にとっての魂だ」
刀が穢れる、と吐き捨てた。
瞬間、親衛隊員らが襲い掛かった。キルギバートは動じなかった。むしろ待ち受けたかのように斬りかかる者は刀の鞘で肋骨を殴りつけ、突いてきた者は逆に柄頭で鼻骨を叩き割った。
二、三人ほどが路面に転がる頃には親衛隊員らは完全に怯えきっていた。
キルギバートが吼えた。
「いたずらに勇を誇り、うわべの忠誠をひけらかし、元首閣下の威を借りて堕落しきった貴様らのような者のために、我らは敗れたのだ。今まさにウィレ軍が宇宙へと来るこの時に、お前たちがすべきことは女子どもに因縁をつけ、傷つけることか!」
キルギバートは親衛隊員らを睨みつけた。
「モルトが苦境にあるのは貴様らのようなクズのためだ……! この子のせいではない!!」
場が静まり返った。キルギバートは振り返って、少女に手を差し出した。
「立てるか?」
少女が僅かに驚いたような表情を浮かべた。そうして、先ほどの敵意と軽蔑の表情を浮かべた。それが幾らかでも和らいでいるとわかったのは、先ほどぶつけられたからだろうか。
「さっきはすまなかった」
言って、キルギバートは少女の翠の瞳をまっすぐ見て言った。
「俺は君の敵ではない。だから、信じてほしい」
少女はためらった後、迷うようにキルギバートの手を取った。それをしっかりと握りしめて助け起こすと、銀髪碧眼の青年は少女に笑いかけた。
「もうすぐ上官が来る。……面倒なことになるが、せめて君だけでも送らせよう」
その時、キルギバートの背後で鉄の音がした。
少女を背中に隠すようにして振り向く。やはり、銃口が向いている。
「殺してやる――」
キルギバートは銃口を向ける親衛隊隊員らを睨んだ。
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