第26話 英雄少年と守護聖女<後>2023.5改稿
"神の剣"が、ウィレの空をゆく。
夥しい破片を撒き散らし、炎と爆音と衝撃波を伴って。
雷光よりも明るく、前々世紀にウィレ人類が体験した核爆発の閃光が生易しく思えるほどの"光源""は夜のモルトランツを真昼の青空に塗り替えた。
青空の下、ウィレという惑星の運命の瞬間が迫っている。
『フィアティス、頼んだ』
「時計合わせ、お願いします」
『標的は高度4万、距離
「了解」
ファリアは奥歯を噛んだ。こらえようのない恐怖が急激に襲い掛かる。顎が震え、歯が鳴るのを押さえた。震えそうな体に力を込めて、恐怖を殺した。暴れ狂う負の感情を押さえつけることができた。傍には仲間たちがいる。
何も怖がることはない。自分はもう孤独ではない。
『上空通過まで20秒』
「……っ!」
『10秒、8、7、6――』
瞬間、周囲が無音となった。
『3、2――』
そして轟音、振動。それは至近距離で砲弾が爆発するにひとしい衝撃だった。
モルトランツに存在する建造物の、僅かに残っていた全ての窓が粉々に砕け散った。運河の水が逆巻いた。強固な司令部にいたウィレ・モルト両軍の将兵も揺れによってまともに立つことすらできない。市街地にいる兵士たちは地面にへばりつき、ただ破壊の象徴が遠ざかるまで平伏するかのようにしのぐしかない。
ラインアット隊の目の前に、"それ"が現れた。
ひび割れだらけで、くの字に折れ曲がり、少しだけねじれるように回転しながら飛行している。もはや剣とはいえず、ねじれ、折れ曲がり、錆のような赤い光をまとう破片をばら撒く鋼鉄の塊。ただ、その鋼鉄の塊は地上から見上げても、絶望的なまでに巨大だった。
『……上空、通過中、通過!』
ファリアは凛とした声で、猛々しく告げた。
「射撃までの時計合わせ開始!」
『了解。射撃まで15、14、13』
「ファリアさんッ」
カザトの叫びに、ファリアは静かに頷いた。
『5、4、3、2、1――』
ファリアは引鉄を引いた。
刹那、砲身に青白い光が走った。電磁加速で滑り出した砲弾はなめらかに砲口まで加速し、外界へ飛び出す直前に砲弾本体に取り付けられた三段の炸薬が炸裂し、さらに速度を増して空を飛んだ。
「着弾まで10秒」
音速の数十倍の速度で飛ぶ砲弾は周囲にプラズマを纏い、大気との摩擦によって、自ら曳光弾となって駆け上った。そして、その砲弾は吸い込まれるように"神の剣"へと向かい――。
「3、2、1――」
砲弾はわずかに砲身の上空をかすめて燃え尽き、今際のプラズマが虚空で青白い光を放った。
『目標健在!』
「当たらなかったのか。動力は」ジストが眉間を伝う汗を親指で押し潰した。
「動かしてる!」ゲラルツが返した。
『再装填中。砲身充電まで残り十二秒』
「次発まで三秒しかねえじゃねえかよ!」
リックが吼える。だが、叫んだところでどうにもならない。
「早く、早く早く早く――!」
カザトが歯を食いしばりながら唱えた。
その中で、ファリアだけは変わらなかった。
「次発、装填――」
ファリアは真っ白な世界の中にいた。"神の剣"落下の轟音も、衝撃波も届かない世界の中で、虚空に浮かぶ炎の塊を、"撃つべき敵"を見つめている。彼女の胸の中にあった恐怖も欠落したように失せていた。怒りも、焦りもない。ただ、目の前の標的だけを見つめている。
――静かね。私ひとりだけみたい。
――全部、ゆっくりだわ。何だか、とても。
――ずっとこの静かで、穏やかな世界にいられたら。
どんなにいいだろう。苦痛のない、この白い世界の中にいられたら、きっとそれは幸せなのだろうけれど。
「ファリア!」
「ファリアさんッ!」
「やっちまえ……!」
「ファリアさぁん、撃って、撃って!!」
仲間の声に、ファリアの世界が色づいていく。
――白い世界以上の幸せを見つけた。だからそれを守り抜く。
「私は、ここを、越えていく」
――姉さん。行こう。
幸せに満ちた声がした。ひとり行ってしまった弟の声に導かれて、ファリアは引鉄を引いた。
砲口から青白い光を帯びて飛び出した砲弾が、青空の彼方へと消えていく。
それはただ真っすぐ、ひたすらに空を飛び続け、重力に逆らってウィレの空を貫いた。
最後の光弾が"神の剣"の砲身と砲尾の境目に飛び込んだ。
一瞬の静寂の後、鋼鉄の巨体に爆発の光が走り、真っ二つにへし折れた。
「やった――」
砲身が砲口からめくり上がり、鉄の輪のようにはげ落ちた。砲身の上半分がめくれて、そのまま喇叭のように傘を広げた。急減速した砲身が離断した砲塔尾部に突っ込まれ、粉々に砕け散った。
閃光。
爆発。
モルトランツ上空に巨大な、祝い火のような爆発の華が咲いた。
『敵衛星砲の消滅を確認……! 作戦は成功だ!』
通信の向こうで将兵の爆発的な歓声が上がった。
そして、ジストが深い息をつきながらシートへともたれかかり、リックが拳を突き上げて声にならない歓呼を上げた。ゲラルツが唇を捻じ曲げて微笑み、モニターを小突き、カザトは――。
「エリイさん……!!」
ファリアは引鉄にかけた指を緩めた。そうしてヘルメットを脱ぎ、膝の上へ置くとモニターに向かって眩いばかりの笑顔を浮かべて親指を上げた。
「帰りましょう! 私たちの帰るべき場所へ」
ファリアはコクピットを開放した。機体の中へと冷たい冬の風が飛び込んできたが、それすら息を詰めていた彼女にとっては心地よかった。座席から立ち上がり、機体のハッチに足を掛けて、機外へと歩み出る。
空を見上げた。空は再び、青色から濃い赤色へと変わっていく。
一陣の、強い風が吹いた刹那。
抱えていたヘルメットを胸元に抱いて、ファリアが風の行く方へと振り向いた、その瞬間。
一発の銃声が轟いた。
ファリアの持っていたヘルメットが中空へとはじけ飛んだ。
空となったその両手が抱く、奥にある豊かな胸元を――。
「――」
―― 一発の銃弾がファリアを貫いていた。
色素の薄い金の髪を風に靡かせながら、彼女はよろめいた。
誰かの名前を呼ぼうとして、声が出なかった。
「ファリアさんッ!!!」
名前を呼びたかった少年の絶叫が響いた。
ファリアはそのまま、真っ逆さまに落ちて行った。
「 フ ァ リ ア さ ん ! ! ! 」
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