第7話 軍神と隕鉄刀


「貴公に渡したいものがある」


 翌日、再び元帥館を訪れたキルギバートにゲオルクはそう言った。案内に任せて邸内を歩いた。主殿へと戻ったキルギバートは、居間も過ぎ、ゲオルクの寝室も通り越して、屋敷の奥へと主人を連れてどんどん進んでいく。さすがに、不安になってきた。


「閣下?」

「良いのだ、これで。もう少しで着く」


 廊下を抜けて主殿の最奥部には、黒い両開きの扉の部屋があった。

 ゲオルクはその扉に手をかざした。


「私とシレンにしか開けられんのだ」

「閣下、ここは……?」


 キルギバートの問いに答えるかのように、屋敷の主を認識した扉がひとりでに開いた。真っ暗な部屋の中へと入っていくゲオルクを追って、キルギバートも中へと歩み入る。背後で扉が閉まり、そして照明が点灯した。


 キルギバートは目を丸く見開いた。


「我が元帥館の、宝物庫だ」


 壁一面に、びっしりと武具が掛けられている。甲冑、騎士鉄鎧、槍、長剣、鋭剣、そして――。


「か、閣下、これは」

「モルト王から続く、モルト国民族最大の栄典――」


 "太刀"だ。剣を学ぶ者であれば誰もがうらやむ、帝王、王侯でさえ持てるかも怪しい極上の武具の数々が、全てこの一室にある。ラシン家がモルト最高の武家である証の部屋だ。おそらく、今後、この部屋を検分できるのはラシン家の当主のみだろう。


「すごい……」


 呆けたように立ち尽くすキルギバートを置いて、ゲオルクは迷いなく宝物庫の奥にある長持ちを明けた。そこから青い羅紗布に包まれた何かを取り出して、少し覚束ない足取りながらも真っすぐにキルギバートへと戻ってきた。


「これを、貴公に託す。受け取ってくれ」


 キルギバートは震える手で受け取った。ずしり、と重い感触に鼓動が一拍ごとに強くなった。


「解くがよい」


 羅紗の上端を縛る組紐を解いた。極上の宝玉を隠すための覆いのような青布が落ちる。そうして現れた中身は、質朴な白木拵えの太刀であった。飾り気のない姿だが、キルギバートは唾を呑み込んだ。太刀はその鞘のうちにある。


「抜いてみよ」


 キルギバートは柄に手を掛けた。親指で鞘を押して鯉口を切り、僅かに力を籠めた。すらり、と刀身が抜けた。


「――!」


 目の前に、星の海があった。

 

 キルギバートは太刀を立て、検分し始めた。

 白銀の美しい刀身は輝かしく、反対に峰にゆくにつれて黒を帯びた異質な地鉄が覗いている。地鉄に目を凝らすと、中で青い星のような輝きが強く輝いていた。刀身の反りは浅く、刃は厚く。剛壮なつくりだが、美しい。


「これは……、ああ……」


 太刀を握り締めたキルギバートは、魅入られたように刀身を眺めていたが、やがて青ざめた。これほどの見事な造りで、しかも宝物庫にあるようなものだ。恐らくはラシン家重代の逸品に違いなかった。


「閣下、これは」

「モルト国開府の折に、元首が造らせた太刀だ。隕鉄にて、造らせている」

「隕鉄刀ですか!?」


 キルギバートは文字通り仰天した。隕鉄でつくった刀剣など、漫画の世界の話だとばかり思っていた。ウィレにおいては隕石から抽出した鋼鉄で造らせた刀剣が、博物品として知られているがモルトにおいてはそうではない。広大な宇宙空間に散らばる小惑星の中にあるごく希少な鉱物、稀少鉄を持って造られる選び抜かれた太刀だ。よって、それらは宇宙で誕生する。そんな事などお伽話だと思っていた。それだけに、剣を学ぶ男子にとっては浪漫が強い。


「私とシレン、そしてオルク、ライヴェよりの礼に能うもの。その太刀は、貴公が持つに相応しい」

「閣下――!」


 否とは言わせぬ、とゲオルクは目を据えた。


「モルト軍人としてそれを佩き、務めを果たせ。采配は、いずれ私が取ろうぞ」


 キルギバートは己の任務を果たしたことに、この時ようやく気付いた。

 刀身と、目の前にある元帥の顔を見てキルギバートは意を決したように刀身を捧げ持って跪いた。


「この隕鉄刀。喜んで、拝領します。元帥閣下」


 白銀の刀身が強い輝きを放った。

 これが後に"宇宙の獅子"の戦いを伝説にまで高めることになった宝具との出会いとは、この時は誰もまだ予見していない。



 その夜、浮かれかえったキルギバートが兵舎で隕鉄刀を仲間たちと検分している頃のことである。元帥館にシレン・ラシンが帰って来た。平服にも着替えず、若き当主はゲオルクの部屋へと参じた。


「父上、お呼びでしょうか」

「シレンよ、入れ」


 シレン・ヴァンデ・ラシンは全身の血が沸騰するような感覚を覚えた。元帥にしてモルトの軍神、ゲオルク・ラシンが帰って来た。

 果たして、部屋に入ると予感は現実のものとなった。元帥の制服を着たゲオルクが、彼を迎えた。


「父上……っ!!」

「すまぬな。ようやく、良くなったようだ」

「嬉しゅうございます。父上……!」

「シレンよ、まず座れ。しばらく語らん」


 シレンは直ちに床に正座し、ゲオルクも居住いを正した。


「まず、シレンよ。私は来月までに軍務復帰する。恐らくはローゼンシュヴァイクが良きに取り計らってくれるだろう。どのような位置であったとしても、ラシン家に恥ずることなき働きをするつもりである」

「心得ました。及ばずながらシレンも父上の御役に立てるよう励みます」

「うむ。……そして、これはそなたにも伝えておくが」


 ゲオルクは一度咳払いをした。


「隕鉄刀をキルギバートにやった」

「は……、え、父上、今何と!?」

「申した通りである」

「しかし、父上あれは……!」


 ゲオルクは頷き、壁にかけてあった長剣を手に取った。


「そうだ。あれはモルト・アースヴィッツ開府の折に造られしもの。元首でさえ、持たざるものだ。ここにある長剣と、あの太刀の二振りしかこの世には存在しない」

「それを渡すということは、まさか父上……!」

「シレンよ、今から言う事はそなたに任せる。年寄りの独り言と取るもよし、ゲオルク・ラシンの遺言と取るもよし。そなたの取り方に託す」


 シレン・ラシンは背筋を伸ばした。額には汗が浮かんでいる。


「ラシンは国主となってはならぬ。代々が己にとって仕えるべき主を得て、そのものの剣となり、盾となって働く事こそ至上の使命」

「はい、心得ております」

「ラシン家が軍神として今日まで伝えられてきたのは、宿命であろう。その働きに恥じぬ軌跡を代々の当主が務めてきた故にな」

「父上も、そうでしょう」

「どうであろうな。だが、確かな事が一つだけある。此度の大戦、恐らくは次代まで続くと言う事だ。そうなればシレン、そなたの時代がやって来よう。その時の主として、私は――」


 ゲオルクはシレンの目を見つめた。シレンもまた父の瞳を見つめ、その先の言葉を待っている。


「私はウルウェ・ウォルト・キルギバートが来る男になると見た」

「父上、まさか……」

「その際にはシレンよ。キルギバートを助けよ。そして命を懸けてこれを守れ。彼を、今の元首と同じにせぬためにも」

「父上、それはまさか、父上がグローフス・ブロンヴィッツを見出した時に――」

「そうだ。そして、あの時の予感は当たった。此度も、当たるであろう」


 シレンは唾を呑み込んだ。喉音が激しく鳴った。

 モルトは今、開府以来の大動乱にあるということではないのか。


「シレンよ。我らラシン家は軍旗の守り手に過ぎぬ。その軍旗の紋章は我らが主君によって刻まれるであろう。キルギバートにその時が訪れれば、必ず彼を守れ。さすればそなたも自ずから軍神とならん」


 ゲオルクは長剣を差し出し、シレン・ヴァンデ・ラシンはそれを受け取った。


「これにて、全て相続す。頼みましたぞ、御館様」

「……お任せを、父上」


 ゲオルク・ラシンは翌3月、モルト軍元帥として復帰した。モルト・アースヴィッツ機動軍司令総監。最高司令官となっているブロンヴィッツに代わり、実務を取り仕切る事実上の総司令官である。


 そしてその月。

 ついにウィレ・ティルヴィア軍による宇宙侵攻が実行されることとなる。


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