第4話 軍神を呼び戻せ
予告通り、ローゼンシュヴァイクはあくる日からキルギバートを司令部に召し出した。参謀総長の席に就いたモルト軍の頭脳は、部屋に入ってきた銀髪碧眼の青年を迎えるなり口を開いた。
「お前、剣の師匠はゲオルク・ラシンだったな」
キルギバートはモルトの軍神であり、自身の恩師を呼び捨てにするぞんざいさに少しむっとしつつ、肯じた。
「はい。参謀総長」
「――お前、ゲオルク・ラシンを呼び戻して来い」
キルギバートは硬直した。だが聞き直すほど鈍くはない。
ローゼンシュヴァイクは井戸に水でも汲みに行くような気軽さで言った。夏以来、ゲオルク・ラシンは屋敷に引きこもっている。シュレーダーら、親衛隊や過激派の勢力がごっそりとモルト軍首脳部から抜け落ちた今、機動軍の立て直しにかつての"元老"が必要となる。
「今のモルト軍にはあの男が必要だ。しかし、病と言って、十遍使いを送っても出てこようとしない」
「参謀総長閣下、それは――」
キルギバートが反駁するかと、ローゼンシュヴァイクは睨みつけた。だが、青年将校の顔は怒りというよりも戸惑いと悲しみを帯びていた。
「昨年元首閣下より謹慎を命じられ、その後は北方戦線でオルク・ラシン中将、ライヴェ・ラシン少将(※)を亡くし、今は家督をシレン・ラシン大佐に譲っておられます。それを――」(※両名とも、戦死後に二階級特進し将軍となっている。)
それを引きずり出せというのはあまりにも酷な仕打ちではないか。政局が変わったから今更戻って来いとは身勝手で理不尽ではないか、キルギバートが言いたいことはそういうことであった。
情としてはもっともらしい。それでも――。
「戦争を始めたのはブロンヴィッツだけじゃない。ゲオルク・ラシンも開戦時の総司令官として片棒を担いでいる。それなら、その立場に見合った責任の取り方がある」
「責任の取り方……」
「そうだ。病だろうが何だろうが
息子に先立たれようとも。
「関係ない。家族を失った兵の遺族が、このモルトに今何万世帯いると思っている。それをつくったのは奴だ」
齢六十に迫って病を得ようとも。
「関係ない。床で逝くより戦場で死ぬのが軍人だと、そう説いたのは奴だ」
ローゼンシュヴァイクはそう言った。その論にも哀しいまでに筋が通っている。
「キルギバート少佐。今一度言う。貴官は総司令部の
以上だ。
そう言い、ローゼンシュヴァイクはそれ以上取り合おうとはしなかった。キルギバートは敬礼して退出した。その後ろ姿の肩の落としようを横目に見ながら、ローゼンシュヴァイクは机の戸棚を開けた。
中から茶色の巻紙を取り出し、その端を鋏で切り落とすと燐棒で火をつけた。葉巻だ。それもウィレで取れた上物を使っている。口につけようとした刹那、その背後から何者かが葉巻を取り上げた。
「司令部は禁煙です。参謀総長」
ローゼンシュヴァイクが目を向けると、そこには灰色髪の背の高い男が立っていた。
「盗み聞きとは趣味が悪いぞ、後輩」
「盗み聞きとは言葉が悪い。先輩殿」
「言うようになったなグレーデン」
ヨハネス・クラウス・グレーデン大将。現在は官位を取り上げられて首都内で謹慎であるはずの身である。階級章をつけていない将校のさらの外套を着た彼は口元を少し捻じ曲げた。
「ベーリッヒに呼ばれたか」
「裏で諸々、手を回すようにと」
「お前も苦労するな。それよりも」
ローゼンシュヴァイクは葉巻を奪い返した。
「あれが、お前の秘蔵っ子か」
「ええ。どう見ます」
「はっきり言って期待外れだ。将校としても半人前だし、真っすぐ過ぎる。それに、馬鹿は嫌いだ。あれは真面目な馬鹿だ。タチが悪い」
貴方らしい、と言ってグレーデンは笑った。
「だが、私は彼に恩がある。彼らが蹶起しなければ私は今頃、黒い袋に入れられて箱の中です。だから貴方に預けた。このアースヴィッツで、貴方の直属ほど安全な部署はない」
「それだけじゃねえだろ。あいつに仕事をさせて、どうするつもりだ」
グレーデンはそれを聴いて、扉へと目をやった。
「我々の次の代は、彼らですよ」
ローゼンシュヴァイクは渋い顔をした。
「育てさせるつもりか。俺に」
「参謀総長。貴方はこのモルト軍における特異点だ。そして誰も、貴方に育てられた将校はいない」
「当たり前だ。俺の仕事は俺がもつ。それにくちばしを突っ込んだ将校はみんなはらわたから腐って死んでいった。誰も俺の泥は呑めねえ。……まさか――」
「気付きましたか、あれは清流です。綺麗すぎる。汚泥もそうですが、清流もまた清く過ぎれば関わるものは死ぬ」
「清濁併せ呑ませて、奴を川にでもするつもりか」
グレーデンは声を立てて笑った。
「川とは小さい。モルト軍千万の将兵を束ねる宇宙そのものになってもらいます」
ローゼンシュヴァイクは葉巻をくわえた。それから、グレーデンを見上げた。
「お前、馬鹿になったのか」
静かだが凍てつく恐ろしい目をした参謀総長に、グレーデンは睨み返した。
「私は正気ですよ」
幾らかの沈黙の後で、「聞かせろ」とローゼンシュヴァイクはつついた。
「彼はまだ己の足で立っていない。まだ子どもです。このままでは一生、誰かの背中を追いかけ、それで終わりです。元首閣下、ゲオルク・ラシン、そして私。我々がいなくなった後も、我々の信条を、借り物の信念とし、お題目のように唱えるだけの男に成り下がる」
ローゼンシュヴァイクは、なるほど、と腑に落ちたように浅く頷いた。自分自身が、あの銀髪碧眼の青年将校に感じている苛立たしさが何によるものかを、やっと理解した。
「ここで成長しなければキルギバートはひとりの猛き戦士で終わりです。そうなるくらいなら泥を呑ませて殺してしまった方がいい」
「お前、ウィレでずっと怖い男になったらしいな」
グレーデンは笑った。ローゼンシュヴァイクが想像していた何倍も不敵な笑みで。
「そうならないと、信じていますので」
「そんな大物か、あれが」
「清濁併せ呑めるようになれば、彼は一人前の将校になるでしょう。そうなれば、間違いなく大物になる。貴方の向こうを張れる、いや、超えていくでしょう」
ローゼンシュヴァイクは、グレーデンの目を見据えた。灰色髪の「鉄の狼」は怯まずにモルト軍最高の頭脳たる男を見据え返した。
「わかった。そのつもりで使ってやる」
「――お願い申し上げます」
頭を下げたグレーデンから目を外し、濃い煙を漂わせる葉巻をローゼンシュヴァイクはくわえた。
「お前の御託のせいで葉巻の何割かを灰にしちまったぞ」
「今度、トシュ・アーシェの上酒を届けますよ」
「なら許す」
グレーデンは再び扉を見た。
「此度のゲオルク・ラシン元帥の復帰も、無事にやりとげるでしょう」
「そうだろうな」
「そう思いますか」
「あれが綺麗すぎるなら、その綺麗な部分でしかやれねえものがあるだろうよ」
グレーデンは会心の笑みを漏らし、頷いた。
「頑張れよ、少佐」
☆☆☆
兵営でキルギバートの帰りを待っていたブラッドにクロスとカウスは、帰って来た彼の表情を見るなり何事かを察したらしい。営舎のロビーのソファに腰を下ろしたきりキルギバートは疲れきった表情で背もたれに身体を預けた。
「飲みますか」
クロスが黒茶を持ってきた。キルギバートは首を横に振ったので、主を失った黒茶はクロスがもらい受けた。
「どうしたんだよ」
「何も」
ブラッドが遠慮もなく、その横に座ったがキルギバートは何も言わない。
「何もないってこたないだろ」
「……いや、疲れただけだ」
「俺が言いたいのはそのこった」
ブラッドはそう言って、キルギバートの肩に手を置いた。
「アースヴィッツに帰ってきてから、アンタはぶすぶす燻ってばっかじゃねえか。地上であんだけ迷いのなかった隊長はどこ行ったんだよ」
「うるさい。お前に何がわかる」
「わかんねえから聞いてんだろ」
気色ばんでキルギバートの襟首に掴みかかろうとするブラッドに、「やめてください」とカウスが割って入った。
「隊長も、ブラッドさんは心配してくれているんですよ。そんな事言わなくたっていいじゃないですか」
いつもであればキルギバートを支持し、子犬のようにじゃれ慕ってくるカウスがいつになく厳しい目で見てくるので、ようやくキルギバートも己の過失の度に気付いたらしい。いつになくしょげた様子で頭を下げた。
「……すまん」
言って、キルギバートは司令部であった出来事を当たり障りのない範囲で打ち明けた。残りの三人も一様に納得した様子であった。有無を言わせず申し付けられるにしては難儀な任務だ。
「ローゼンシュヴァイクってのは何なんだ。こないだまで引きこもっていたかと思ったら、今はブロンヴィッツの金魚の糞じゃねえか。
「ブラッド、言い過ぎだ。俺たちは祖国のために戦ってる。参謀総長だってそれは変わらない。祖国が危機なら野に隠れていた人が再び出てきてもおかしくはないだろう。それに、俺たちが一生懸命働けばグレーデン閣下や軍団首脳部の戦友たちが許されて、もう一度共に戦えるかもしれない」
言いながら、キルギバートは顔を上げた。曇り空に太陽を見るかのような表情に、思わずブラッドやクロスは苦笑いした。キルギバートの奇特なところだった。どんなに疲れていても、嘆いていても口に出しているうちに良い方向へと見るものが変わる。
「隊長はやっぱりいい人ですねぇ」
「だなぁ、クロス」
「ですね」カウスが和した。
「な、なんだ三人とも。何がおかしい!」
照れたように口ごもりつつ、キルギバートは両腕を組んで考え込んでいたが、不意に立ち上がった。
「とにかく、やってみる。それに――」
キルギバートは左腰に手をやった。そこにない何かを探るようにしながら、彼は天を見た。
「オルク・ラシン殿、ライヴェ・ラシン殿との約束を果たさないとな」
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