第3話 戦い、未だ終わらず

 その日の夜。兵舎に戻ったキルギバートは久方ぶりに早い時間から眠りに就いていた。だが、その安眠もすぐに破られることとなる。枕元の端末から響く甲高い連単音。非常呼集を意味する緊急信号であった。

 キルギバートはパイロットスーツを着込み、その上から外套を羽織って部屋を飛び出した。


「クロス」


 すぐ前を走る同僚に気付いたキルギバートは駆け足の歩調を上げて声を掛けた。


「非常招集だと、敵襲か」

「国家元首閣下による全将兵閲兵、だそうです」

「なに?」


 キルギバートは胸騒ぎがした。

 ローゼンシュヴァイクが復権した翌日のことである。見かけよりも首都の情勢は不安定だ。などという不穏な単語も脳裏によぎる。軍人なのに、そんなことを気にしなければならない状況が何とも嘆かわしかった。モルト・アースヴィッツ軍が誇る鉄の結束は、既にがたがただ。綻びかけている。


 なるほど、そうか。


 キルギバートは不意に腑に落ちた表情を浮かべた。だから呼集を掛けたのだ。


「あああ、眠い」


 後ろから間の抜けた声が響いた。


「遅いぞブラッド」

「追いついたんだから言いっこなしよ。今何時だと思ってんだ」

「うるさい。寝れてないのはみんな一緒だ」


 キルギバートは振り向いた。ぼさぼさの金髪を撫でつけながら、紅い目を細めて大あくびをかくブラッドを見て、何か言おうとしてやめた。


「大体、何だって今頃になって非常呼集なんだ。帰った時にやっときゃよかったろ」

「うるさい。それ以上ピーチクパーチク不平不満を言うんなら、もう一回デイロの密林に放り捨てるぞ」


 うへぇ、とブラッドは呟いた。「それだけは勘弁だな」。


「でも、ブラッドさんの言うとおり、なんで今頃なんでしょうね」

「とにかく行くぞ」


 キルギバートはクロスを追い抜いて告げた。


「じき、わかる」


 言っているうちにキルギバートらは兵営を飛び出し、駐機場を越えて駐屯地の門を飛び越えて首都大通りへと向かった。閲兵はそこで行われると定められている。

 果たして、すでに大勢の兵士たちが集まり始めていた。長外套を羽織っているものが将校で、そうでないものは軍服や搭乗員服姿なのでわかりやすい。色とりどりの髪色の頭の群れと、同じような黒、灰色の軍服の密林の中をかき分けてキルギバートは進んだ。首都直属であるキルギバートらの立ち位置は幸か不幸か最前列だ。


 列に着くころ、ぜえぜえと息を吐きながら少年兵がやってきた。


「遅いぞカウス」

「すいません……寝てました……」


 キルギバートは溜息を吐いて微苦笑した。


「とりあえず、これで全員揃ったな」


 全員傾注の声が響いたのはそんな刹那だった。

 舗装された道路を軍靴が叩く音が響いた。数万のそれは轟音となって首都の表通りを圧した。音に驚いた市民らが飛び起き、路面へと集まり始めている。市民は人の集まりとなり、ものの僅かな間で群衆へと姿を変えた。


 全ての準備が終わった頃、国家元首宮殿の正面玄関へ続く長い石段に人の影が射した。白い大外套を羽織って現れたその男に、群衆と将兵の視線が釘付けとなる。


「ディア・フェリーザスト!」


 誰かが叫んだ。


「ディア・ファーツランツ!」


 数万の群集の大歓声が周囲を包み込む。

 しかし、男の右腕が小さく横に払われると、一瞬で群集は静まり返った。


――あの群集を戦争に動員すれば軍よりも使えるかもしれぬ。


 後、この場に居合わせたイェルガー・ケッヘル内相(グレーデン副官パウル・ケッヘルの父親)が述懐した言葉だ。


 キルギバートら将兵が踵を合わせ、彫像のように傾注する中。

 ブロンヴィッツは口を開いた。


「国民諸君、将兵戦友諸君」


 放たれた声は重く、轟く雷のように低い。


「夜分、傾注大義である」


 この数か月、国民から遠ざかっていたブロンヴィッツの声が戻ってきた。


「今般、地上の戦いは我らの敗北に終わった。優勢だった戦況は我が方にとって厳しいものへと変わっている」


 静まり返った場にブロンヴィッツの声が響き渡った。


「その事実は認めなければならない。そして佳き敵を讃えようではないか。それでこそ、ウィレ・ティルヴィアは我ら宇宙移民の存亡をかけた大戦の敵足り得るのだ」


 大通りに獰猛な空気が漂った。それが戦意であり、聴く者に内在する敵意であると実感するのにそう時間はかからなかった。


「だがつかの間の後、ウィレ・ティルヴィアは後悔するだろう。我々には数年、数十年、何世紀に渡って戦い続けるだけの国力が、装備が兵がある。我々はモルト・アースヴィッツ、そして宇宙移民をウィレ・ティルヴィアが対等の存在と認めるまで徹底的に戦い抜く用意があるのだ」


 賛同の声が轟き返った。

 皆が拍手し、熱烈な意のある慣習は立ち上がって賛同する。


「我らモルト国は二世紀前に不当なる圧力によりウィレ・ティルヴィアを追われた。そして二年前のあの悲劇を、忘れてはならない。数多の命が宇宙に帰った209便事件を忘れてはならないのだ」


 ブロンヴィッツは顧みる。あの事件は何のためにあったのか。モルト・アースヴィッツを必ずやウィレ・ティルヴィアに勝る国家にしてみせる。そして自由を手にするという決断を下す為にあったものだ。


 だから、自分は――。


 歓声が巻き上がる。運命は決した。ブロンヴィッツの顔に既に曇りはない。


「そして主戦場は宇宙へ移る。ウィレ・ティルヴィアの責任者達に告げる。我らは宇宙での戦いに負けはしない。例え戦闘で勝利を手にしたからと言って、それを勝利と思ってはならない。我らが敗北するときは、無条件降伏を受け入れる時か、

敵に対して心を屈したときだけである。我らはまだ敗北してはいないことを忘れてはならない」


 軍旗がブロンヴィッツの真後ろで一斉に掲げられた。

 柱が天を突き、旗が空中へ翻る。


「今は多くのものが眠りに就く深夜であるにも関わらず、諸君らはこの旗の下に集った。ある者は弾かれたように、ただ一筋に兵営を飛び出し、ある者は少しも狼狽えずに整然と。そして諸君らは今ここに在る」


 演説するブロンヴィッツの背後の石柱の陰から、多数の人影が現れた。

 それは親衛隊員であり、モルト政府高官であり、そしてモルト・アースヴィッツ軍の将官らだった。


「これこそが我らの"戦意"である」


 ブロンヴィッツの両隣やや後ろにベーリッヒ首席元帥、そしてローゼンシュヴァイク参謀総長がいる。その背後の列に並ぶ面子は、モルト軍において最も誉れある者たち"大将"であった。


「兵士たちよ。この軍旗の下で我々は再び集い、そして戦地へと赴く。旗が翻るたびに、我らはこの旗の下に何度でも出会うだろう。その度に我らは強くなる。強くなり、またこの旗の下へと帰って来る。兵たちよ、諸君らの襟首を掴む曹・下士官を越え、前に集う将校の列を勝ち取るがよい」


 さざ波のようなざわめきが兵列を撫でた。


「将校たちよ、今、私の在るこの高みへ至り、私をも超えていくがよい」


 ざわめきがまばらな賛同の声へと変わり、それが鼓舞の歓声へと変わった。戦士たちの熱狂の渦上でブロンヴィッツは拳を差し上げた。


「戦いは、未だ終わらず!」


 爆発的な歓声が湧き上がった。


「ディア・ファーツランツ!!」


 ブロンヴィッツは歓声の大渦を静かに見渡し、それからあまねく敬礼を返した後に石段を登って宮殿へと姿を消した。


 その彼の背中に、声が飛んだ。


「神様から人間に戻った気分はどうだ」


 ローゼンシュヴァイクのものだった。ブロンヴィッツは横顔だけで振り返った。


「あれでよいのか。演説とも言えぬものだったが」

「だが、将兵アイツらはしっかり返してくれただろ。自分の言葉で伝えた方が、ちゃんと返って来るものもあるってことだ」


 ローゼンシュヴァイクは外の喧騒に目をやって、にやりと口の端を上げた。ブロンヴィッツはその騒がしさを背に受けて、宮殿へと帰って行った。


「さて、もうじき朝だ」


 ローゼンシュヴァイクは胸に潜めていた煙草を取り出し、火をつけながら呟いた。


「――働いてもらうか」



 熱狂の後。将兵も解散し、静まり返った大通りの歩道でキルギバートは佇んでいた。眠りに就こうにも、あの独特の高揚感が身体に漲っている。かつて西大陸で、ブロンヴィッツの演説を初めて同じ空の下で聴いた、あの高揚感だ。

 月面都市の夜は冷える。胸の震えはその冷気のためか、それとも興奮のためかもよくわからない。


 だが――。


 キルギバートは理解していた。あの時より、この高揚感は長続きしないだろうと。

西大陸では夢を見ていた。東大陸で現実を見て、戦場を知った。だからこそ、ブロンヴィッツは皆の前に姿を見せ、己の言葉で語ったのだろう。これでモルト・アースヴィッツ軍の士気は上がり、結束力も強くなる。


 そうなればどうなる。キルギバートは確認するように自問した。


――戦局は継戦に舵を切った。それを牽引するのは、誰だ。


 我々将校だ。

 ブロンヴィッツの演説はけして鼓舞などと優しいものではない。

 「腹を括れ」ということだ。


 ブロンヴィッツが抱く覚悟を見せることで、国家元首と再び"血"を通わせる。そうすることで将校は再び"国家元首の息子たち"としてモルト・アースヴィッツの武力足り得る存在に戻る。


 そこまでわかって、怖気がした。

 月の神殿、その内側に長く居過ぎたと、キルギバートはつくづく思っていた。

 戦友と早く戦場へ赴きたかった。その方が、余程気楽だと気付いてしまった。


「俺は――」

「なにしてんです?」


 振り向いたキルギバートの頬に何かが触れた。黒茶の入ったカップだ。灼けるように熱い。


「ぶあっつ!!」

「おー、いつか見た光景だな」

「何するんだ、ブラッド!」


 ああ、やめてくださいと遠慮がちなカウスの制止が飛び、その後ろから微苦笑を浮かべたクロスが出てきた。


「ずっと外にいると風邪引くと思って呼びに来たらこれだもんなぁ」

「声の掛け方というものがあるだろうが」


 ぶつぶつとぼやきながら黒茶を受け取ったキルギバートはそれを啜った。

 もうどうでもよくなっていた。


「ふふ」


 カウスが目を丸くした。


「どうしたんです、隊長。飲みながら含み笑いなんてらしくない」

「いや、何でもない。俺はお前らの隊長なんだなと今更思い知っただけだ」


 帰るぞ、とキルギバートは言ってカップを握ったまま歩き出した。


「そういえば隊長」

「なんだクロス」

「お誕生日おめでとうございます」


 キルギバートは足を止めた。自分の誕生日を、今の今まで忘れていた。

 十九歳。大人と子どもの境目の年齢をついに踏み越えた。


「おー、そっか! 明日はぱーっと祝いだな!」

「ご馳走目当てでしょ、ブラッドさん」

「隊長、おめでとうございます」


 誕生日を忘れるなんてことは今までなかったのにな、とキルギバートは噛みしめるように空を見上げた。いつか、"大人は自分の誕生日を忘れる"ということを信じられなかったものだが、今になって思う。


 こうやって、人間は大人になっていくのだろう。


「ああ、ありがとう」


 だが、大人になることよりも何よりも傍らに喧しくも気が置けない戦友たちのいる"今"が何よりも愛おしいとキルギバートは思った。


――俺は、こいつらと戦う。


 そのキルギバートと、戦友たちに苛烈な戦いの時が迫っている。

 宇宙戦役の行方を賭けた"軌道回廊の戦い"の、ひと月前のことである。


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