第2話 暴れん坊参謀総長

 テオバルト・ローゼンシュヴァイク。

 開戦時、開戦を最後まで回避するためにブロンヴィッツに抵抗し続けたモルト軍内きっての穏健派。それが彼に後世与えられた評の一つである。


 が、実際はそうであったのか。

 後世、実の彼を知る人々は口を揃えて彼を公表した。

 モルト軍一の麒麟児暴れん坊。と。


「帰ったぞ」


 国家元首宮殿の一室にある革張りの長椅子に、ローゼンシュヴァイクはふんぞりかえって座り込んだ。


「帰ってくれ」


 ベーリッヒ首席元帥は頭を抱えて立ち尽くした。


「モルト軍の現状は手の者からある程度聴いている。相当ひどいな」

「聞けよ」


 その間で直立不動の姿勢を取るキルギバートを、ふたりはまるで居ないかのように扱いつつやり合っている。


「それよりいいのか。ぼちぼちウィレがぞろぞろと艦隊を送り込んでくるぞ」

「そんな事は承知している! だから復帰させろと言うのではあるまいな」

「その通りだ。こうなると、俺にしか任せられんだろう」

「忘れかけていたが、お前はそういう男だったな。いつもながら大した自信だ」

「では逆に訊こうか首席元帥閣下。あんたにこの難局を乗り切れるか。あんたは攻撃型だ。守りに入った途端に弱っちまう。それでノストハウザンの体たらくだ」


 葉巻に火をつけつつ、「まあ」と置いてローゼンシュヴァイクは天井を見上げた。


「同情するがな。戦線が伸びきっていた。あんたが守勢に強い方だったとしても、ああなったら誰も負いきれんよ。惑星全土の兵站を万端整えるなんざ俺でも無理だ」

「お前は開戦の時に言っていたな。地上戦はもって半年だと」

「そうだ。侵攻が2718年の新年。ノストハウザンは夏。散々言った通りだろ」


 キルギバートは軍帽の下に冷や汗が滲むのを感じていた。野放図に見えるローゼンシュヴァイクには一分の隙もない。そして半端者であれば威風だけで屈服させられるほどの強烈な圧を帯びている。


「この戦争には終わりがねえ。誰かが終わりをつくらない限り、未来永劫続くぞ」


――何だ、この男は。


 その時、葉巻を加えたローゼンシュヴァイクが初めてキルギバートを見た。


「で、こいつがノストハウザンで暴れたグレーデンんとこの小童こわっぱか」


 作法上、政府閣僚や軍重鎮と話す際、将校は当人の許可がない限り発言を許されない。そのためにキルギバートはどうしていいかわからず踵を合わせ、ベーリッヒが代わりに応じた。


「そうだ。国家元首閣下が手元に置いておきたがっていてな。今は私のところで働かせている」

「話と違うな。グレーデンとラシン元帥の復帰を掛け合って居座っとると聴いたが」

「知っていたのか?」

「……元参謀総長を舐めんなよ。シュレーダーのガキと違って、こちとらちゃんと仕事してたんだ。モルト軍で起きることは大体全て俺の耳に入るようになっている」


 ローゼンシュヴァイクはキルギバートの顔を横目に眺めた。それから一つ鼻息をついて首を横に振った。


「なるほど、今のブロンヴィッツが考えそうなことだ」


 吐き捨てるように言った後、ローゼンシュヴァイクは顎元に手を当てた。


「いや。そもそもあいつの考えかすら怪しいがな」

「どういうことだ?」

「いずれ教えてやるよ」


 言い捨て、ローゼンシュヴァイクは立ち上がった。


「さて首席元帥。案内してもらおうか」

「まさかとは思うが、貴様本当に――」

「ああ。ブロンヴィッツに会う」

「どうなっても知らぬぞ」

「おめえさんは傍で見ていりゃいいさ」


 肩を落として首を振るベーリッヒに対し、ローゼンシュヴァイクは部屋を出るようにせっついた。そうして彼は最後に振り返り、キルギバートに口を開いた。


「今日は帰れ。お前の仕事はない。だが――」


 キルギバートの目を真っすぐに見て、ローゼンシュヴァイクは続けた。


「明日からは働いてもらうぞ」



 ☆☆☆


 小銃を持つ親衛隊員ふたりに守られた大樫の扉。すなわち、ブロンヴィッツの在る応接の間の前に立ったベーリッヒが、太った男特有のぜいぜい声で告げた。


「国家元首閣下。テオバルト・ローゼンシュヴァイク、来訪です」


 しばらくの後に部屋の中から静かにしては通る声が響いた。


「入れ」


 親衛隊員が脇へと下がり、"捧げ銃"の姿勢を取った。勢いよく開かれた扉の向こうは、やはり薄暗かった。ベーリッヒは一礼のために踵を合わせた、その刹那。


「入るぞ」


 靴音を響かせてベーリッヒの脇を抜け、ローゼンシュヴァイクは応接間に入った。狼狽えるベーリッヒの制止も聞かず、ローゼンシュヴァイクは客人用の一人がけのソファに腰を下ろした。


 そのすぐ目の前に、白に近い色をした、長い灰色髪に長躯の国家元首がいる。彼らは席を介して、互いに見つめ合った。


「久しぶりだな。いつ以来であるか」

「およそ1年と6か月ぶりだ。参謀総長をクビになってから、お前とは会っていない」


 ブロンヴィッツは低く笑った。


「私をお前と呼ぶか」

「呼べるのはもう俺くらいだ」


 国家元首である男は肘掛に体重を少しだけ預けて、太く長い息をついた。


「何ら持たざる者となり、自棄を起こしたか。ローゼンシュヴァイク」

「神様のような口を利くようになったな。軍神にでもなったつもりか」


 ローゼンシュヴァイクは前へと乗り出した。上体を屈ませて、食い入るようにブロンヴィッツの顔を見た。


「なにか見えるか」


 ブロンヴィッツの言葉に、ややあってローゼンシュヴァイクは頷いた。


「お前の面の暗い影、神様なんてもんじゃない。お前は死神になっているぞ」

「数多の敵を葬ってきた。死神など常に連れ歩いている」

「違う。お前そのものが、だ」


 ローゼンシュヴァイクはどこか悲し気な表情を浮かべた。その顔を見据えたまま、ブロンヴィッツは静かに告げた。


「大義のためだ」


 ローゼンシュヴァイクはブロンヴィッツの瞳を見た。そこに映るはずの己の姿はない。ただこの部屋と同様の深い闇が広がっているだけだ。


「戦争が始まる前のお前は、もっといい顔をしていた。惑星モルトを背負しょって立つ英雄の面をしていた。大義に燃える男の顔だった。ならば、今は尚更大義に邁進しているはずだろ。何でそんな悪い顔になっちまったんだ」

「お前にはわかろうはずもない」


 ブロンヴィッツは切り捨てた。


「お前は私の大義を悪と断じた。分かり合うべき時は終わった」


 ローゼンシュヴァイクは天井を見上げて嘆息した。

 そして、肘掛を掴んで床を蹴り、ブロンヴィッツ目がけて飛び込んだ。伸ばした拳は寸分たがわず、ブロンヴィッツの頬にめり込んだ。国家元首の身体が執務机から弾き飛ばされ、椅子ごと後ろ向きに倒れる盛大な音が響いた。


「何をするッ!? ローゼンシュヴァイク!」


 ベーリッヒが驚愕の悲鳴をあげた。それにも構わず、ローゼンシュヴァイクは首を捻じ曲げてブロンヴィッツを睨みつけた。


「……おうどうした。戦争が始まるまでは毎週のようにやっただろ」

「何故だ」

「別にい? 殴ってほしそうな顔をしていたから殴ってやったんだよ」

「気は確かか」

「確かだ」

「それを聞いて安心した」


 ブロンヴィッツがゆらりと立ち上がった。天井を着くような長躯に、何か得体のしれない力が漲った瞬間。今度はローゼンシュヴァイクが吹き飛ばされた。振り抜いた拳を握ったブロンヴィッツは執務机を踏み越えた。


「何事か!!」


 扉が開いた。

 親衛隊員たちが応接間に殺到し、ローゼンシュヴァイクに銃を向けた。


「元首閣下、お怪我は――」


 元首と呼ばれた男は、仕える主の安否を確かめるべく声を掛けた親衛隊員の方を向いた。そうして地獄の底の亡者よりも低い唸り声を返した。


「帰れ」


 親衛隊員たちが凍り付いた。


「武人の私闘である。邪魔立てするなら容赦せぬ。……持ち場へ戻れ」


 否応もなく、彼らは応じた。再び、モルト・アースヴィッツ軍を担うべき男たちだけが部屋に残った。鼻血を袖で拭いながら、ローゼンシュヴァイクは立ち上がった。


「お前、弱くなったな」

「――なんだと」

「昔で今くらいの拳の振りなら、俺は伸びていたぞ。腑抜けたな」

「面白いことを言う」

「来いよ臆病者。続きをやろうや」


 ローゼンシュヴァイクが掴みかかる。ブロンヴィッツが蹴りを見舞い、襟首を掴むローゼンシュヴァイクが頭突きを返した。中年から初老に差し掛かる年齢とは思えぬふたりによる肉と骨をぶつけ合う応酬と、伴う鈍い音は小半時に渡って続いた。


 全て終わったのは、その日も夜になってからだった。顔面が岩のような凹凸になったローゼンシュヴァイクと、痣だらけで髪も乱れたブロンヴィッツは応接間の中央で胡坐をかいて座り込んだ。


「気は済んだか」


 ブロンヴィッツの声音はいつも通りであった。


「楽しくねえ。やっぱりお前は変わっちまった」


 ローゼンシュヴァイクはそっぽを向いたままだ。


「モルト軍をもう一度お前に任せよう」

「……なんだと」


 ブロンヴィッツは立ち上がり、ローゼンシュヴァイクを見下ろした。


「参謀総長としてモルト軍の立て直し、やってみせよ」

「殴られて頭のネジでも入ったか」

「お前の用件は、その事だったのであろう」


 ローゼンシュヴァイクも立ち上がった。


「条件がある」

「申してみよ」

「ゲオルク・ラシン、グレーデンを復帰させろ。若造どもだけで、今のモルト軍はまとまらぬ」


 ブロンヴィッツの眉が僅かに動いたのを、ローゼンシュヴァイクは見逃さなかった。


「この二人さえいれば、モルトは宇宙で勝てる」


 ブロンヴィッツの襟首を掴み、頭突くほどの勢いでローゼンシュヴァイクは顔を近づけた。


「お前を、モルト・アースヴィッツを、俺たちの故国を勝たせてやるよ」


 長い沈黙ののち、ブロンヴィッツは旧友の両肩を掴んだ。


「お前をもう一度、信じても良いのだな」

「馬鹿言うんじゃねぇ。お前が信じさせんだよ。兵士たちに夢を見させろ」


 まっすぐに、燃えるような眼差しを向けて国家元首である男は僅かに頷いた。


「よかろう」


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