第1話 月の神殿の最奥で

 甲高い軍靴の響きが、居合わせた者の耳朶を打った。


「停まれ!!」


 モルト・アースヴィッツ国家元首宮殿。モルト国民から公然と畏敬を込めて呼ばれるブロンヴィッツの公邸。モルト中枢の最深部のひとつである。その只中で黒服の親衛隊員たちが小銃を手に騒いでいた。


「官姓名を名乗れ! 何者か!!」


 暗闇を軍靴の音だけがゆく。そして、それが親衛隊員らに近付いてくる。

 すでに多くの親衛隊員が白亜の廊下に倒れ伏している。殴り、蹴り、踏み越えられた隊員たちはぴくりともしない。いやしくも国家元首身辺警護を担う、最精鋭の戦士たちが怖気づき、銃を手に取り威嚇する。


 影が煙を引いた。喫煙しているのだ。この公邸内で、公然と。


「ここをどこだと思っている、止まれ!」


 影の片足が伸びた。それは分厚い黒革製の高級な長靴だった。くるぶしからすね先までを覆い、そこより上は腿の部分でふくらみがある。乗馬用だ。それだけでわかる。足の主は国軍将官だ。

 白手袋が伸び、親衛隊員の襟首を掴んだ。その主が影の外へ潜り出た時、親衛隊員らは凍り付いた。


 撫で付けた艶のある黒髪に、少ないながらも深い皺の刻まれた顔貌。目はやや細く小さく収まっているが、そこに納まった烏羽色の瞳は鋭い眼光を放っている。体躯は六尺に届かないほどで、長身揃いのモルト軍人の中では小柄であるが、葉巻を吹かせ、長外套に袖を通さずに肩で羽織った特徴のある出で立ちは見る者を等しく威圧した。


 そして男の肩には柏葉に交差剣の階級章<大将位>が輝いていた。


「ロ、ロッ、ローゼンシュヴァイク……!!」


 狼狽する親衛隊員を睥睨しながら葉巻を吹かせていた男――元モルト国軍参謀総長・テオバルト・ローゼンシュヴァイク大将――は、指で葉巻を挟んでにやりと笑った。


「おう、覚えてくれてたか。そいつは何よりだ」

「任を解かれた国軍将官が何用かッ。用向きはここで伺う!」

「お前らでは話にならん。ブロンヴィッツを出せ」

「貴様、元首閣下とお呼びせぬかッ」

「やかましい」


 掴みかかった瞬間、親衛隊員が宙を舞った。どのように投げ飛ばしたのか傍目にもわからぬままに手袋の埃を叩き、ローゼンシュヴァイクは己の首を鳴らした。


「親衛隊諸君。お前たちの任務はなんだ」

「知れたことを! この清浄な月の大地の秩序を守り、国家元首の御身を守り参らせること! 我らはモルトの守り手だ」

「守り手か。そいつは素敵だ。だが、その現実がこれだ。お上品な舗装道路の兵隊さんが、揃いも揃ってガン首並べてやがる。ひとりのジジイ相手にこのザマだ。強い者は去り、骨のある奴はみんな死んだ。全てブロンヴィッツひとりのためだ」

「不敬だぞ……ッ!」

「黙れよ三下ぁ。元はブロンヴィッツも俺たちもみんな同じ高さに立っていたはずだ。それをこうしたのはテメェの親分だろうが。護民官であったはずのアイツを皇帝サマに仕立て上げた結果がこの戦争だ。もう行き着くところまで行っちまったが、まだ取り返せる」

「取り押さえろ! 絶対に元首閣下のもとに通すなッ!」

「やってみろよ」


 喚き続けていた親衛隊の卒長の顔面に拳をめり込ませ、テオバルト・ローゼンシュヴァイクは吼えた。


「ブロンヴィッツに伝えろ。この戦争を終わらせてやりに来た」


 ☆☆☆


「何度言ったらわかるのだ」


 国家元首宮殿では、もう一つの災難が起きていた。元帥の階級章-交差する元帥杖と大星-を両肩と胸につけた"首席元帥服"に身を包み、執務用の机の向こうで深く腰かけたベス・フォン・ベーリッヒはいらいらしながら机を指で小突いた。


 机の向こう側には肘掛付きの応接用座席があり、そこに将校が座っている。将校をベーリッヒ元帥は眼光で射竦めようとした。


「キルギバート少佐」


 その眼光を真っ向から受け止めた、銀髪碧眼の青年-ウルウェ・ウォルト・キルギバート-は顎を引いた。


「たしかに国家元首は仰せである。貴様に首都防空機動集団を任せたいとな。だが、これは要望ではない、命令なのだ。貴様に受けないという選択肢はない!」


 ウルウェ・ウォルト・キルギバートはベーリッヒの言葉にうんざりした表情を隠さないで溜息をついた。ここひと月、アースヴィッツに留め置かれた彼はここ数日、少々、いや大分げんなりしていた。


「お断りします」

「もう一度言う、受けたまえ。それが君のためでもある」

――政治的な思惑。


 グレーデンを拘禁し、ゲオルク・ラシンは未だ復帰していない。彼らの復帰を条件に将校団蜂起を終息させたキルギバートは、その後アースヴィッツ管内の軍上層部のもとで過ごしている。はっきり言えば持て余されている。首席元帥のベーリッヒは火傷を恐れてつかず離れずの態度で接してくるかと思えば、グレーデンやゲオルク・ラシンの処遇を棚にあげてあれこれと要求を持って来るのだ。(プロパガンダや国営放送でよく姿を見て、頼もしい首席元帥像に親しんできたキルギバートはここひと月で幻滅しきっていた。)


 そしてブロンヴィッツは何故かわからないが、一介の少佐であるキルギバートを手放そうとしない。


「お断りいたします」

「なんだと」

「この問題は国家元首にも先日申し上げ、ご理解いただいたというのが小官の認識です。今は軌道上の防備を固め、宇宙での戦闘に備えるべきです。そのためにまずは水際ではなく迎撃できる戦域に機動戦力を集中するべきです。軌道上の態勢はいまだ不備が目立ちます」

「それは貴様たちが神の剣を二基も壊し、しかも蜂起することで台無しにしたからではないか」


 キルギバートは伏せていた目を上げ、低い声で唸るように言った。


「いま、何と?」

「元帥を睨みつけるとはいい度胸だな、少佐」

「あの一連の戦いは、元をただせば地上軍が統率を失ったことに起因するものです。それが誰のために起こったとお思いですか」

「貴様国家元首閣下のせいにするつもりか!?」


 ベーリッヒが元帥杖で机を叩いた。


「違う!」


 負けぬ勢いでキルギバートは軍靴の踵で床を蹴って立ち上がった。


「違う! あなたのせいだ、元帥閣下!! 地上から元首閣下が撤退する際に、あなたが元首閣下の御供などして宇宙に帰ったからだ!」


 このひと月でキルギバートにはわかったことがあった。ベーリッヒは善良な大人であり、分別のある上官ではあった。グレーデンにとっても良き上司であっただろう。だが本質的に子どもっぽいところがあり、感情的になることが多かった。上手く行かないと威張り散らして威に伏させようとするのがいかにも名士あがりの軍人という感じで、アイドル的な政治屋が軍人に転身してありがちな部分を見せている。


 ベーリッヒは少しだけ青ざめて椅子に座り直した。


「も、もう、もういい、わかった……」

「あなたは地上で責任を全うすべきでした。であればシュレーダーの専横も、地上での指揮権争いも起きずに済んだかもしれないんです。そのツケを背負わされたのは誰です? グレーデン閣下ですよ。あの方々の復帰はいつなのです? それがわかるまでは前線から離れるわけにはいきません」

「グレーデンらが復帰すれば元首閣下の命に従うのだな?」

「前線勤務を解かれることだけはお断りします」

「それでは何も変わらんではないかッ!!」

「時間です。そろそろ失礼します」

「馬鹿者ーっ!!」


 怒鳴り声をあげるベーリッヒ。だが、悪い事ばかりではないのだ。

 キルギバートがこうして矢面に立つことで青年将校の意見が上層部に通るようになった。親衛隊が独占していた軌道上の防衛や参謀部の作戦立案に、元どおり国軍が入るようになった。鉄の結束。最も誇っていたその結束を失う事を、モルト・アースヴィッツ政府上層部は恐れたのだ。


 そして。

 椅子から腰を上げたキルギバートと机に身を乗り出したベーリッヒのもとに、表での喧騒と混乱の報告が伝えられたのはこの時だった。



あとがき(1月いっぱい残します)


1月4日に更新された第1話「月の神殿の最奥で」ですが、初回更新分に原稿ドキュメントからのコピー&ペーストミスがあり誤って途中までで切れた文章が掲載されていました。当該のエピソードは4日夜をもっていったん削除し、1月5日午前8時に正式に更新させていただきました。

お読みくださった方、誠に申し訳ございませんでした。


INGEN 拝

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