第23話 神剣を斬る者
同日午後8時、ウィレ軌道上宙域。
黒々とした光をたたえる長大な砲身がゆっくりと動き始める。
シュレーダー率いる親衛隊が掌握した「神の剣」がついに起動した。砲身内部では今なお混沌とした白兵戦が続いているが、バデ=シャルメッシと結んだシュレーダーは軌道上の親衛隊部隊を増援に投入し、グレーデンの陸戦隊を押し戻しつつある。
シュレーダーは射撃指揮所にあって、報復の瞬間を待っていた。
「捉えたぞ……!!」
砲身の先が西大陸を睨んだ。後は引鉄を引くだけで事は終わる。砲身から滑り出した核弾頭は自己計算によって軌道上から大気圏に突入し、西大陸北端上空で炸裂して西大陸の北半分を死の土地に変貌させるだろう。
「照準は核弾頭に合わせろ。熱核融合であの不浄な大地を一掃するのだ」
「シュレーダー長官!」
「なんだ?」
「照準機構に割り込む者がいます!」
「アルストめ、鍵をかけるつもりか。構わん、すぐにでも発射しろ!!」
「しかし、少なくとも後一分は……!」
「モルトランツに当たりさえすればいい! アルストが割り込む前に、早くしろ!」
親衛隊員が指揮所に設けられた杖のような機器に手を掛ける。神の剣の引鉄だ。杖を押し込み、手前に引き倒すことでエネルギーと荷電粒子の充填が始まる。後は発射まで止まることはない。
「よし、これで――」
その時だった。指揮所に警報が鳴り響く。
「くそ、今度は何事だ……!?」
「高速熱源体接近!」
「なんだと――」
シュレーダーは指揮所のモニターを見た。映し出された外界に、小さな光点が一つ浮かんでいる。それはまるで流星のように光の尾を引きながら、ウィレの重力を振り切るようにして宙域を躍った。
「あれは、グラスレーヴェン……。まさか――」
☆☆☆
真空の宇宙空間に音は響かない。
ただ漆黒の闇と、遥か彼方に無数の光点となった星雲が広がるのみ。
厳かなまでの静寂と、恐ろしいまでに広大な無の空間で、音が響いた。
息を吸い、吐く。
心臓が収縮し、血液を全身へ送り出す。
呼吸と鼓動。
そこに金属の軋むような音と、咆哮のような唸り声が追いついた。
宇宙空間を光が裂く。尾を引く光を従えるは鋼鉄の巨人。
「――見えた」
鋼鉄の巨人の乗り手である、ウルウェ・ウォルト・キルギバートは長剣を片手で抜き放った。
「ブラッド、クロス、見えるか」
『ああ、バッチリ見える』
『神の剣を確認。距離三千』
キルギバートは手元の操縦桿を一気に押し込んだ。宇宙へ還ってきた感慨も、地上へ捨ててきた思い出も脇へと捨てて、ただ一直線に神の剣へと向かう。
『砲身、動いてます。時間がない』
「――その時は機体で止めるまでだ」
神の剣へと突き進みながら、キルギバートは目を留めた。神の剣から幾つもの光点が放たれている。
「あれは――」
『索敵に感。グラスレーヴェン!』
『くそったれ、ありゃ親衛隊機か』
キルギバートは足元のペダルを踏み込んだ。機体がさらに加速し、光の群れへと突っ込む。闇に光が瞬くのと『発砲』の声が響いたのはほぼ同時だった。キルギバートは機体を横へと回転させた。先ほどまで飛んでいた場所を曳光弾が飛び過ぎた。
流暢なモルト語が通信に飛び込んだ。
<注意! 所属不明機に告ぐ、我らはモルト・アースヴィッツ国家元首親衛隊。特別軍事行動中である。機を停止せよ! 停まらなければ警告射撃から戦闘射撃へと切り替える>
キルギバートは動じずに口を開いた。
「こちらはモルト・アースヴィッツ国軍、グレーデン大将麾下の第一機動戦隊。戦隊を預かるウルウェ・ウォルト・キルギバート大尉だ。現地軍とウィレ・ティルヴィア軍の停戦は成立した。もはやシュレーダー長官に作戦指揮権限はない」
発砲が続く。キルギバートは機を減速させてやり過ごした。
「貴官らの作戦行動は軍事法に反している。速やかに行動を停止しろ」
<敵対行動と見なすぞ>
「ならば押しとおるまでだ」
ブラッドとクロスが追いついた。三機編隊を組むキルギバートらに、急行したグラスレーヴェン部隊が襲い掛かる。機体の色は純白。ブロンヴィッツに捧げる無垢の忠誠を意味するが――。
『クソを白く塗ったところでクソだぜ』
<貴様!!>
発砲した白い機体の脇をブラッドが駆け抜ける。すれ違いざまに背部の推進機を長剣が切り裂いた。
<取り押さえろ! 撃墜しても構わん!>
急襲する親衛隊機の数が増していく中、手負いのグラスレーヴェンは傷を負っているのが嘘のように鋭い機動を見せる。反撃も機動も最低限に、ただ切り抜けるべく宇宙空間を疾走する。
『ち、数が多いな。囲まれるぞ』
『キルギバート隊長、ブラッドさんと私で引き剥がします』
「やれるか」
『やってみます』
「頼む」
ブラッドとクロスが二手に分かれる。白い機体が反射的に左右へと展開し、それを追った。キルギバートは残った少数の親衛隊機を引き連れたまま神の剣へと飛ぶ。
警報音が鳴った。
「ち、推進剤がもつか――」
機を減速させなければ、神の剣まで推進剤が持たない。地上からの連戦で消耗が激しい以上、こうなることはわかっていた。
「それでも。……!」
キルギバートは神の剣を凝視した。幾つもの光点が瞬いている。
「まだ来るか!」
気付いたと同時、神の剣周辺に展開した白いグラスレーヴェンの増援がキルギバート目がけて殺到する。後ろからは追跡部隊、前からは直掩部隊。万事休すだ。
「こうなれば――」
抵抗の意思を固めると同時、次の警報が鳴った。
「なんだ?」
足元――ウィレ・ティルヴィア――から、光の塊が飛来した。重力を振り切って飛ぶそれは、卵のような形をしたモルト軍の軍用シャトルだった。その尾部から一点の光が分離する。
「手こずっているようだな」
戦塵に塗れた白いジャンツェンがキルギバート機の隣に立った。
<"白鷹"……!!>
「シレン・ラシン大佐!?」
「グレーデン閣下の命で追いついた。ここは私が引き受ける」
「話の暇はない。早く行け」と、シレン・ラシンは左右の腰から長剣を抜いた。
「――頼みます」
キルギバートが飛び過ぎる。それを追おうと転進したグラスレーヴェンの前に、電光のごとき速度でシレン機が回りこんだ。
「ここは通さぬ」
<そこをどけ!!>
「モルト軍元帥がゲオルク・ラシンの一子にしてラシン家当主、シレン・ヴァンデ・ラシンが御相手しよう。手向かう者は軍旗にかけて一機残らず召し捕る!!」
<シュレーダー長官の御命だ! 撃墜しても構わん、止めろ!!>
白鷹の機に、純白のグラスレーヴェンが殺到する。迎え撃つ男は、モルト最強の武人の誉れを胸に吼えた。
「いざ参る!」
☆☆☆
神の剣を振りかざすシュレーダーは半狂乱になって叫んだ。
「撃て、撃て、撃て!! 何をしているッ!? 敵はそこまで来ているんだぞ!!」
「神の剣の機動がまだ――」
「貸せッ!!」
シュレーダーは杖で発射を担う親衛隊員を打ち払うと、照準に取り付いた。
「何だ、見えるではないか……! これでいいのだ、これで!」
シュレーダーは引鉄を握り込んだ。勝ち誇った叫び声が指揮所に木霊した。
「私の勝ちだ!」
刹那、砲尾から装填された土星状の弾頭が砲身へと滑り出していった。
☆☆☆
弾頭の射出とほぼ同時。キルギバート機に通信が入った。主は僚友でもなければシレンでもない。入電は神の剣から発されていた。
「誰だ!」
耳障りなノイズの後、響いた声は老いた男のものだった。
『接近中の機、聴こえるか。私はゲイツ・アルスト。アルスト機関の長を務め、今神の剣の中にいる。シュレーダーとは立場を異にする者だ』
「アルスト……」
『時間がない、聴いてくれ。シュレーダーが核を撃った』
「砲を固定せずにか……!?」
『砲とウィレを結ぶ位置にいるのは君だけだ。何としても破壊してくれ! 頼む!』
「……了解! 核はどこだ?」
『今そちらに送る。レナ、頼む!』
レナと呼ばれた女性の声が告げる。
『――グラスレーヴェンへ。そちらに射線を送ります』
「信じるぞ」
索敵に赤い点、ついでそれを結ぶ赤い線が映し出される。
『接触まで十秒。距離二千』
「……あれか!」
弾頭の発信照明が青い光を放っている。それはまっすぐにキルギバート機目がけて飛来していた。
「勝負は、一瞬――。一太刀で決める」
キルギバートは機の長剣を逆手に持ち替えさせた。そのまま索敵に映る赤い線沿いに機を移動させて、まっすぐに飛んだ。
「接触まで五、四、三――」
キルギバートは操縦桿を押し込んだ。機の腕が滑り出す。
「二、一――」
目の前一杯に土星状の弾頭が大写しになった。
「零」
「う、おおおっ!!」
逆袈裟に、振り上げた長剣が白い光を曳いて振り上げられる。鉄を裂く甲高い音がグラスレーヴェンの機体の装甲を伝って届いた。
「斬った――!!」
振り向いた先。土星状の弾頭は環も球も諸共に、真っ二つに裂けて漆黒の宇宙空間に消えていく。
『弾頭破壊を確認。よくやった!! これで弾頭は大気圏突入の熱で――』
アルストの声が途切れた。
『グラスレーヴェン、聴こえますか。退避を!』
「何だ、どうした!」
『神の剣が。避けて!』
キルギバートの視界が赤く染まる。光は巨大な神の剣の砲口から溢れ出したものだった。
<よくも、私の勝利を――!!>
モルト語の叫びが聴こえた。
キルギバートは、頷いた。
「斬るべきものが、まだ残っている」
一気に機体を急加速させる。神の剣はすぐそこにある。
砲身から一次照射の熱線が走った。
機体の装甲が灼ける中で、キルギバートは吼えた。
そして、宙域を照らし出した赤い光はグラスレーヴェンを飲み込み、砲口から紅蓮の閃光を迸らせた。
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