第16話 モルトランツ解放-1-

 秘密裏に公都を発っておよそ半日。

 辿り着いたのは夕焼けのような赤に燃える街であった。

 水上離着陸高速機から身を乗り出した男は、その臭気に思わずたじろいだ。あらゆるものが燃える臭い、そして硝煙と埃の入り混じった硬く乾いたにおいは、今まで生きてきた中で一度たりとも嗅いだことのないものだった。


「シュトラウス殿下」

「……あ、ああ。わかっている」


 ウィレ・ティルヴィア惑星統合の象徴にして、惑星最高議会議長アウグスト・シュトラウスが、旧西大陸州都モルトランツへと降り立つ。西大陸の戦い、その最終局面がついに極まった。

 その刹那、当のアウグストは困惑していた。シェラーシカ・ユル元帥にほとんど連行される形で赴いた先は戦場のど真ん中だ。そして、こんなことは前例がない。範とする事象がない。


 そう、惑星最高議会議長が西大陸を訪れるのは、歴史上においてこれが初めてとなる。



 ☆☆☆


 アウグスト・シュトラウス到着の報を受けたベルツ・オルソン大将とシェラーシカ・ユル元帥は互いに睨みあった。


「何を、何をさせるつもりだ!」

「決まっている。この戦いを終わらせる」

「議会の承認は!? シュスト・シュトラウス副議長はどこにいる!!」

「公弟閣下は公都シュトラウスにて議会を守るべきお立場だ。その役目に準じていただいている」


 ベルツ・オルソンは拳を振るわせて喚叫した。


「は、は、図ったな、図ったな、図ったなシェラーシカ!!」


 対するシェラーシカ・ユル元帥は身じろぎもせず、静かに顎を引いた。


「何を図る必要がある。オルソン」

「知れたことをっ、これは私を追い落とし、この戦争の行く末を思うままにし、この惑星を我が物にせんとする貴様の陰謀だッ」


 なおも畳みかけようとするベルツに、シェラーシカ元帥は即答した。


「であれば何とする」

「な、に――?」

「この双肩に大将の階級章を背負った時から、その程度の覚悟はしている」

「馬鹿な、貴様――」

「"惑星の秩序の担い手とならん"。この言葉を忘れたかオルソン。総司令官就任の宣誓の言葉を。私もお前も、この大義の下に動く小さな歯車に過ぎぬ。そのためならば、無理も悪名も、我らが一生のうちに為すべき悪事のうちにすら入らぬ」


 シェラーシカ元帥は腕を振った。それを合図に、公都シュトラウス憲兵隊が司令部へと乱入する。皮肉げな笑みを浮かべたレオンハルト・サムクロフトが静かに両手を挙げた。

 色を失い、椅子にへたり込んだベルツ・オルソンに、シェラーシカ・ユルは告げた。


「そこで見ていろ」




 ☆☆☆


 アウグスト・シュトラウスを待ち受けていたのは、亜麻色の髪をなびかせ、ウィレ・ティルヴィア陸軍の夜戦服に身を包んだ少女だった。


「お待ちしていました。議長閣下」

「従妹よ、ここは……」


 シェラーシカ・レーテは頷いた。


「ここは――」


 ――モルトランツ宇宙港。かつてモルトランツ総合運動公園と呼ばれ、清く美しい水の光をたたえた運河に挟まれた市民の憩いの場の、変わり果てた名前だ。緑の美しい楽園は戦火に炙られ、煙の燻るモルト軍用の灰色の宇宙港に変わり果てた。


 そこに、モルトランツ市民は追いやられている。かつてモルト軍がこの街を陥落させた日と同様に、市民たちは砲弾を避け、炎から逃げ惑い、そうしてここへと戻って来た。


 石段や舗装路だけではない。ありとあらゆる物陰に難を逃れた市民がうずくまるように隠れている。皆、煙に燻られて煤けている。子どもたちが親に抱き着くようにして小さくなり、母親や父親はそれを庇うように身を竦めている。


 アウグストの眼から涙が零れた。人生で初めて見る、本物の戦争が目の前にある。


「……私は、どうすればよい、シェラーシカ」

「このモルトランツを解き放ってください。貴方の言葉で。かつて私がしたように」


 アウグストは両手で顔を覆った。


「私には……!」


 言いかけるアウグストに、シェラーシカ・レーテは即答した。


「できます」


 シェラーシカの言葉にアウグストは顔を上げた。

 ただ、彼女は静かに微笑み頷くのみだ。


「貴方にしかできないことですよ」


 シェラーシカと、叔母――アイルシャリス=シュトラウス=シェラーシカ大公妃――の姿が重なった。



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