第10話 黒い怪物の終焉

 地面が迫る。目の前には黒い海原が広がっている。

 いや、それは水面などというやさしいものではない。黒塗りの鋼鉄で産み出された怪物どもの群れだ。黒い怪物などという名前をつけられた、ウィレ・ティルヴィアの新しい主力兵器。それが火器や大鋸といった凶牙を揃え、モルト軍の精鋭たる彼らを死へ引きずり込もうとしている。


 キルギバートら、"三人のモルト軍機動戦隊"はその中へと落ちていく。


 地上から"影"が立ち上がる。キルギバートたちを串刺しにすべく、真っすぐ、剣山のようにして、それは彼らを待ち受ける。


「ブラッド、クロスッ」


 だが、もう怯まなかった。キルギバートは速度を上げて地表へと突っ込んだ。

 夕陽がひときわ明るく輝く中で、その光を曳いてグラスレーヴェンが地上へ飛来する。黒い影がキルギバートを狙って立ち上る。


 キルギバートの頭蓋に満ちていた音が消えた。一切の無音と静謐の中で、長剣を構える。影は数十条。どれもが曲がりうねって、宙をのたうちながらグラスレーヴェンを狙って突っ込んでくる。


 まともにやり合う。

 肚を括った今、まるで時が止まったように一切が制止して見えた。

 そうだ。ノストハウザンと同じだ。赤い怪物と出会い、それに立ち向かうと決めた時と何も変わらない。あの時から多くを失った。だがそれだけ、あの時より多くのものを得た。


「プロンプト――」


 狙いをつけずに肩から掃射する。幾らかの影が怯んだようにねじれた。

 怯んだ影とすれ違う瞬間、キルギバートは機手で影を引き掴んだ。


「――!!」


 バリバリと音を立てながら黒い影が剥離し、ヒルのようにグラスレーヴェンの腕に絡んだ。他の影がキルギバート機を襲う。胴体を串刺しにしようと左右から挟み込むように迫ってくる。


「ブラッドッ」

「あいよッ!」


 左の影が空中で切断されて霧散した。ブラッドが拝み打ちに切り捨てて、さらに宙を跳ねるように機動する。


「クロスッ」

「わかってます」


 右から迫る影の数条を、腰だめに構えたクロスの"破城槌"が吹き飛ばした。

 空中で硝子球のような爆発が吹き上がり、影がしなびた植物のように地上へとすさり果てる。


「うお、ああああああッ!!!」


 がりがりと腕の中で異音を立てる死の影を、キルギバートは引き千切った。


――見え、た!


 影の中心に走る白い繊維。そして左手に掴んだものは――。


「無人機……!!」


 駒のような扁平な形をしたそれに、無数の小さな噴射推進装置がついている。がらがらと繊維を曳いて回転するそれはまるで引き千切った虫のように不気味い姿を晒している。


「わかった。わかったぞ――!」


 キルギバートは落ちながら、コンソールを叩いた。


「受け取れ――」


 地上まで十数メル、時間にして一秒と零コンマ数秒。


「ブラッド、クロス!」


 ブラケラド・アーミーがキルギバート機へと殺到する。地面へと土埃を上げて着地する三機のグラスレーヴェンは背中を守り合うように刹那、身を寄せ合った。

 機内にある三人のモルトの戦士の顔に笑みが浮かんだ。


「「グラスレーヴェン」」

【【汝に軍神の加護を】】


 数百機のブラケラド・アーミーの中、剣戟の舞踏が始まった。


 キルギバートの前に一機の黒い怪物がおめき叫んで立ちはだかった。背中から蜘蛛の脚のように多数の影を繰り出して、それを機体の周囲に広げて、グラスレーヴェンへ突進する。


「斬る」


 黒い影が伸びた。そして、その足が殺到する前に宙で真っ二つに割れた。


「グラスレーヴェン、敵機から射出される無人機を捕捉。叩き落とせ」

【御意のままに】


 蜘蛛の脚が伸びきるよりも前に、グラスレーヴェンのプロンプトがナノマシンを繰り出すための無人機を捕らえ、撃ち落とす。元は航空機、無人機を薙ぎ払うために造りだされた火器管制だ。正体さえ捉えてしまえば、それは造り出された目的通りの働きをしてみせる。


 黒い怪物は怒り狂ったように大鋸を振り回した。それを頭上に掲げ、そして叩き落とすようにして振るった瞬間、キルギバート機の姿は消えていた。黒い怪物は振り向こうとした。

 その時。その首から後頭部にかけて火花と、真っ黒い血液に似た――重油という名の機械の生命体に不可欠な体液と混合物――何かが吹き出した。


 グラスレーヴェンの長剣が、その喉元を貫いていた。

 唸り声をあげるブラケラド・アーミーは天を仰いだ。

 そして哀しげな一鳴きを上げて仰向けに倒れた。


「お前たちの"無敵"も、これで終わりだ」


 返り血を浴びたグラスレーヴェンは、その遺骸を踏みつけ、刺さったままの剣を引き抜いた。


 キルギバートは咆哮した。


「まず一つ――!!」


「ブラケラド・アーミー隊、押されています!!」


 シュトラウス語の切迫した報告に、本営のベルツ・オルソンは腰を浮かせた。


「何故だ。たった三機だ、たった三機のグラスレーヴェンなんぞに」

「……おやおや」


 ベルツの背後で声がした。そちらへと振り返った時、司令部の扉に寄り掛かるようにして背広を着た見目端正な青年が肩を竦めて立っていた。


「レオンハルト・サムクロフト……!」

「これは困りました。彼らは完全無欠のはずの黒き公子の秘密を暴いたようです」

「なんだと――」

「ブラケラド・アーミーのとっておき……"黒い腕"は、最新の炭素素体と鋼機細胞ナノマシンを掛け合わせて造られた鋼機生物です。自己増殖し、形成し、その微細さを活かして敵の装甲の継ぎ目に潜り込み、離断させる」

「何が言いたい!」


 レオンハルトは殺気立つベルツを意に介さず、ただ感心したように顎元へ手を当てた。


「"黒い腕"をつかさどる細胞がどれほど自己形成できようとも、敵機へ向かうにはその身体を大気中へ繰り出せねば意味がありません。だからこそ、あの黒い腕は空中へ繰り出した微小の無人機を繋ぐ炭素繊維ワイヤーを伝い、敵機へ誘導されるようになっているのです。鋼鉄の巨人からは見えない蜘蛛の糸を伝って、あの黒い腕は成り立っている。それを――」


 レオンハルトは言いながら例えようのない興奮を感じていた。

 天才によって生み出された奇術トリックを破るものが現れたのだ。それも、戦場の一兵士が。


「素晴らしい……! あれを破るのは私の妹だと思っていたのに!」

「貴様ッ……! どうしてくれる! この一大計画に私がどれほどのカネを掛けたと思っているのだ!!」

「なに、手は残っています。閣下」


 レオンハルトは眼鏡をかけると、腕時計型の端末を操作して空中へ立体映像を浮き出させた。自身はそれを触るための特別なグローブをはめて、ベルツへと指し示す。


「なんだ、それは?」

「黒い公子を、文字通りの黒い怪物にするのです」


 提示されたものを見て、目を見張るベルツに対してレオンハルトは無邪気そのものの笑みを浮かべて頷いた。


「ブラケラド・アーミーの安全装置を解除する最終符号です」


「これを発すれば、あれは暴走し、モルトランツに存在する一切の生命を抹殺するまで、止まりません」


 ベルツは戦線と、レオンハルトの顔を交互に見た。

 それを見るうちに、歯を噛んで満面には汗が浮かんだ。

 いくらか沈黙の後、ベルツ・オルソンは腕を払った。


「やれ」


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