第8話 モルトランツの血路

 煙の中で無数の黒い影が蠢いた。


南無三くそったれ!!」


 キルギバートはその中へ、機体を砲弾のように加速させて突っ込んだ。センサーの感度を最大まで上げ、右手にヴェルティアを持ち、左手でディーゼを構えた。


「仕留めようと思うな! 目を潰せ!」


 煙の中から影が伸びた。

 それは真っすぐにキルギバート機目がけて突き進んだ。


「ッ!」


 寸間、辛うじて避けた。


「来たな……!」


 キルギバートは西日に照らされる死の影を見た。それは黒い鉄の腕……虫の前腕のように奇怪な何かだった。黒の光沢を持ち、濡れたような不気味なてかりを持ったそれは、すぐに折り返して機体の小手へ伸びた。


「何なんだ、これは――」


 意思を持つ生物のようでいて、機械のように規則的に折れ曲がる。

 キルギバートは切り結ぼうとベルティアを振るった。

 しかし刃が触れた瞬間――。


「――!!」


 その影は四散した。体勢を崩したグラスレーヴェンの頭上で影は蛇のように鎌首を持ち上げ、首切り斧のように落下する。


「ちっ!!」


 間一髪で腕を振り上げ、グラスレーヴェンはその一撃を受けた。ヴェルティアは火花を散らし、影の猛攻を防いでいくが、それでは反撃にならない。

 キルギバートは呻いた。


「くそ、手が足りない。クロス、ブラッド!」

『こっちもです!』

『こいつらなんなんだよ、ほんとに!』


 グラスレーヴェンが繰り出す手の一切を遠ざけ、屠る黒い影。

 その影をまとった鋼鉄の怪物が煙の中から飛び出した。扁平な頭蓋から覗く赤い眼光がこちらを睨み据えている。


「怪物め……!」


 キルギバートがトリガーに指を掛け、グラスレーヴェンが応じるように左手のディーゼを掲げる。


「せめて目を……!」


 ディーゼを発射――できなかった。


「弾が出ない!?」


 キルギバートは火器を持ち上げ、戦慄した。

 機の左手人差し指が切断されている。


「くそ、あの時か」


 先ほどアーミーの影を腕で防いだ時だろう。その影はしっかりと役目を果たしていたというわけだ。グラスレーヴェンには引鉄を人差し指以外で握り替えて撃つだけの器用さはない。


「それなら……!」


 キルギバートはディーゼを投げ捨てた。そうして、地面に転がる"ラインアット・アーミー"の亡骸から回転鋸を奪い取った。小脇に挟み込むようにして保持されたそれが唸り声を上げた。

 隙を突いて懐に飛び込み、頭を落とす。初めて出会った時の二の舞は演じない。


 その時。


『隊長、後ろ!!』


 背後からの殺気に気付くのと、クロスの叫びのどちらが早かったのだろうか。後ろにあった摩天楼の壁面が砕け散りった。瓦礫の散弾に怯んだグラスレーヴェンの首を、漆黒の怪物が掴んで背後の高層建造物に叩き付ける。


「ぐ、っ!?」


 背中が砕けるのではないかと思えるほどの凄まじい衝撃にキルギバートの意識が一瞬だけ断絶する。ブラックアウトした視界がもとに戻ったその時、すでにブラケラド・アーミーの死の影が背後から二節、まるでカマキリの腕のように伸びている。


 だが、キルギバートは砕けんばかりに噛み合わせた口元を吊り上げた。


 「かかったな……!」


 機体の手が返され、刃が逆さまに返った。照準はその黒い怪物の喉首にある。アーミーの最大の急所。わずか数尺の装甲板の継ぎ目に刃を差し込めば、たちまちに鋼鉄の怪物は絶息する。


「首の根を断――」


 刃が突き入った。


「――な、に」


 その刃に蛇のように、黒い影が巻き付く。それは刀身を黒く染め上げながら、グラスレーヴェンの刃を食い止めた。がっちり固定されて動かなくなった刃の向こうで、嘲るように漆黒のアーミーの眼が輝いた。


 ブラケラド・アーミーは片腕でグラスレーヴェンを食い止めながら、軽々と大鋸を持ち上げる。その刃が低い唸り声を上げた。


「――やられる」


 キルギバートが息を呑んだ、その時。

 猛煙の中に一筋の光が閃いた。


『斬る』


 白銀の光を引いて、振り上げられた刃がブラケラド・アーミーの背を割った。

 苦悶の叫びのような駆動音をあげて、漆黒の怪物が怯んだ。


「シレン・ラシン大佐!?」


 純白のジャンツェンが煙からその姿を現す。


『無事か、キルギバート』

「ありがとうございます、大佐……!」

『よく見ろ。影はどうなっている』


 キルギバートは我に返って目の前の怪物と刃を見た。


「っ、影が……!」


 刀身にまとわりついた影は消え、代わりにブラケラド・アーミーは肩と背中から黒々としたオイルとは違う流体を流していた。


『この化け物の弱点は背中だ。だから前面へ展開する火力が異常なほど強い』

「背中……、まさか?」

『そのようだ。背を攻撃した時だけ、影のようなものが乱れる。もっとも――』


 怒り狂った漆黒の怪物の切り口、その背面から蜘蛛の脚のような死の影が展開した。


『同じ手を喰わせるに苦労する。まだ一機も屠れていない』

「くっ……!」


 通信が鳴った。クロスとブラッドからだ。


『隊長、包囲が狭まっています。このままでは宇宙港に辿り着けません』

『右も左もみぃんな黒い怪物だらけだ! どうすんだ!!』


 キルギバートは左右に目を配った。

 路地の両端も漆黒のアーミーに閉鎖されている。


『キルギバート、ここは私に任せろ』

「大佐、しかし――」

『お前に与えられた使命を考えよ』

「シュレーダーを、止める……」

『その使命こそ、この作戦の大義。ならば大義のため、道を切り拓かん』


 シレンのジャンツェンが浮遊した。

 その手にヴェルティアを持ち、片側へと突き進む。


『宇宙港側の路地へ切り込む。お前は列が乱れた隙に切り抜け、なんとしても宇宙へ上がるのだ』

「……クロス、ブラッド!」


 了解の代わりに、キルギバートは僚友を呼び、駆けた。

 鋼鉄の巨人と怪物が激突する騒音の中、彼らは跳躍する。


『征けぇ、キルギバート!!』


 踏み越え、機体が夕陽へと跳躍する。

 宇宙港が見えた。その港を挟む二本の河川も。

 そしてキルギバートは目を見開いた。その行く手を遮るように、すでにウィレ軍の大部隊が展開している。


<残念だったな、モルトの巨人ども>


 シュトラウス語の嘲りが聴こえた。


『ベルツ・オルソンか!』


 シレンの声に、ブラッドとクロスが毒づいた。


<ここは越えさせん。貴様らのような宇宙からもたらされた害虫はここで駆除せねばならん>


 行く手にある橋を塞ぐように、ブラケラド・アーミーの一群が立ちはだかる。

 間もなく跳躍が終わる。そうなれば、機体はあの手前に落ちる。


『駄目だ、数が違い過ぎる!』

『引き返すか!?』

「無理だ。これ以上推力を使えば、宇宙へは――」

<心配いらん。モルトの搭乗員>


 キルギバートの顔が歪んだ。怒りにより、その顔が赤く変じていく。


「貴様、傍受しているのか!!」

<もはや衛星も、通信回線もウィレが取り戻しつつある。お前たちの行動など筒抜けだ。……もう一度言ってやろう。心配はいらん。お前は宇宙へは帰れん>


 キルギバートの死線の及ばぬ、モルトランツ北部郊外にあるベルツ・オルソンは悠然とマイクを持ち上げて宣告した。


<ここで死ね、モルトの害虫ども>

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