第5話 忠犬と魔王

 轟音と共にシャトルが打ち上げられていく。

 その閃光と、濛々たる白煙を前にしてキルギバートたちは空を見上げた。


「いいぞ、上がれ上がれ」


 上機嫌で呟くブラッドに対し、クロスは不安げだ。


「自分たちが乗れる便、残るんですかねえ」


 ブラッドとクロスに、キルギバートは唇の端を僅かに吊り上げた。


「閣下を信じろ。あの方は嘘をつくような人ではない。……それにしても宇宙か。ついに上がる時が来たんだな」

「隊長も、やっぱり緊張しますか」

「地上に降りた時とは逆だ。一年ぶりともなれば、多少はな」


 幾分か不安そうなクロスと、緊張の面持ちのキルギバートに対して、ブラッドは能天気そうに頭の後ろで腕を組んだ。


「先に行ったカウスとも、案外すぐに追いつけるかもなー」

「そうですねぇ、カウスさんも……。ん?」

「どうした、クロス」

「……カウスさんが出立したのって、確か参謀部首脳が消えた時でしたよね」


 クロスの顔が青白い。ブラッドが首を傾げる横で、キルギバートの表情が徐々に強張ってゆく。


「おい、どういうことだクロス?」

「そうか、あの時点で出たシャトルは、それしかない……!」


 キルギバートが口元に手を当て、呻くように呟いた時、ブラッドは彼らの言葉の意味にようやく気付いたらしく空を見上げた。


「あいつの乗ったシャトルって、まさか……」




 その頃、カウス・リンディはに陥っていた。シャトルの座席に座らされたまま、親衛隊員に銃を突き付けられている。

 彼は今、シャトルの「収容室」と呼ばれる搭乗員収容スペースにいた。十丈四方の狭い空間に数十名の軍人たちを押し込めておくための場所で、それぞれに床に固定された座席があてがわれている。照明は少なく、互いの顔さえ目を凝らさないとわからない。


 その暗がりで制圧された。ほとんど有無を言う暇さえなかった。


「傾注しろ!!」


 そして、暗い機内の闇の中から一人の男が姿を現した。

 誰あろう、親衛隊の長であるシュレーダーであった。


「このシャトルはモルト国家元首親衛隊の指揮下に入る! この機はこれより、神の剣へと向かうのだ!」


 拳銃を手にしたシュレーダーは声高に宣言した。


「地上に残るモルト国軍は、我らが元首の命を無視しウィレ・ティルヴィア軍と独自に交渉し、それどころかモルトランツを敵軍に明け渡す愚策に出た。我ら親衛隊は国家元首の忠実な騎士として、これを討伐する! 諸君らは逆賊となることなく、我々の大義に従って殉ぜよ!」


 カウスは身を固くした。

 それはつまり、キルギバートたちを討つ、ということではないのか?

 冗談ではない。彼らを助けるために宇宙に上がったのに、そのようなことができるわけがない。


 カウスは席の肘掛を握りしめた。


――抵抗すべきだ。


 いや、無理だ。カウスの傍にも小銃を持った親衛隊員がいて、油断なく目を光らせている。反抗の意志を示そうものなら何をされるかわかったものではない。

 その間にシュレーダーは演説を収めている。沈黙によって兵士達が"服従"したと判断したのか、再び高らかに告げた。


「我らはこれより神の剣へ向かう! 軍旗に歯向かう裏切り者に鉄槌を下すのだ!」


 “血が凍りつく”。その音をカウスは生まれて初めて聞いた。同時に、この少年兵はやっと悟った。彼らにとっては関係ないのだ。たとえそれがモルト軍であろうとも、自らに敵対する者こそが亡ぼす敵そのものなのだ。

 ノストハウザンを思い出す。

 ベルクトハーツを思い出す。

あの赤い閃光と破壊の暴風に吹き飛ばされる悪夢を何度見せられれば気が済むのか。

それだけではない。今度、あの閃光が地上へと落ちれば何万という武器を持たぬ人間をも巻き添えにすることになる。モルト地上軍崩壊の生贄、たったそれだけのために。


――俺たちは確かに征服者でしかなかったのかもしれない。だが虐殺者にだけはならない。


 カウスは上官の言葉を思い出した。彼が敬愛してやまぬ軍人の言葉を。


 抗おう。

 だがどうやって?

 やってみなければわからない。傍に居る親衛隊員の銃を奪って――。

 殺されるかもしれない。

 やってみなければわからない。


 脳裏で、否、応の様々な言葉が氾濫する。振り払うようにして、カウスは席を立とうとした。その時だった。


「……動くな」


 背後から、男のささやき声が聞こえた。

ばれたか? カウスは身を強張らせた。


「……まだ動くな。好機を待て」


 どうやら違う。

悪声に近いささやき声の主は、同じように席に着いている国軍軍人のものらしい。


 その間にシュレーダーは手前勝手に「国家元首万歳」を叫ぶと、どこかへと立ち去っていく。その姿を目で追いつつ、カウスは背後に意識を集中させていた。

背中が粟立つような、禍々しい気配がする。その気配を、カウスは知っていた。

戦場の禍々しさだ。


「……潮時だな。始めるとするか」

 背後で音がした。肘掛を指でつつくような乾いた音だ。

かつ、かつ、と音が響くたびに近くの親衛隊員がぴりぴりと殺気立ち、周囲に眼を配った。

 やがてカウスは、その音が一定の規則正しい拍のもとに打たれていると気付いた。


 意味するものを把握し掛けたその時だった。


「おい! 音を立てるな!」


 背後で怒鳴り声がした。先ほどの囁き声の主と、座標が近い。


「お前何を――」


 背後で鈍い音がした。カウスの前方にいる数名の親衛隊員が一斉に振り向いた。

 カウスの後ろ、顔の横から何かが差し出された。モルト軍の小銃の銃床だった。


「右をやれ」


 カウスは自分を拘束するベルトを外し、席を蹴った。

 その身体が、宙へと浮いた。親衛隊員がカウスに向けて銃口を向けた。カウスでさえ、遅いと思った。

 カウスは力任せに銃床を振り下ろした。額を叩き割られた親衛隊員が伸び上がりながら絶叫した。


 南無三、目を伏せた。


――ばれた、撃たれる……!


 だが銃声は響かなかった。

 カウスが顔を上げる。機内の収容室にいた全ての親衛隊員が取り押さえられるか、あるいは無力化されて宙を漂っている。


カウスの傍には禿頭の屈強な軍人が立っていて、それが一度に二人の親衛隊員をねじ伏せて首を絞め落としていた。色の浅黒い大男だ。一目見ただけで、それがモルト軍歩兵だとわかった。彼らはウィレ・ティルヴィアの戦野で日夜戦い、よく日に焼けているからだ。


「大尉、終わりました」

「ご苦労、曹長」


 禿頭は振り向くなり、カウスの向こうにいる人物へと野太い声で告げた。

 カウスも振り向いた。座席にはまだ状況が呑み込めず、狼狽えて座ったままの者もある。


「……他愛なかったな。これでは本国親衛隊とやらもどれほどのものか」


 座ったままの者、席を立った者、全てがその男を見ていた。

 暗がりの中、腰を深く落とし、背もたれに伸ばした背をぴったりとつけ、傲然かあるいは悠然として座っているモルト軍大尉は静かに顔を上げた。


 カウスはびくりとした。その男の顔は凶相だった。

 世辞にも美男とは言えない、むくれた面貌だった。軍帽の目庇から覗く瞳は三白眼で、瞳孔は収縮しきり、小さな点のようになっている。鼻も筋が通っていない。砲台を据えるのに向いている小丘のようなそれが乗っているだけだ。


 だが、カウスが怯えたのはそのためではない。

男が鬼のような八重歯を見せ、笑っていたからだ。


「つまらん。実に。特殊任務と聞いて心躍らせていたというのに」

「地上軍の命運がかかった任務です。面白い、面白くないの問題ではございません」

「そうだったな。地上に残るモルト軍十数万の生殺与奪の権を握る。それで溜飲を下げるとしよう」


 言いつつ、男は「よっこいせ」と立ち上がった。短小躯に小太りの実に見苦しい有様だった。


が、その身体からカウスの感じた「戦場の禍々しさ」が立ち上っている。

 そして、その三白眼でカウスを見た。彼はにこりともせずに傲然と口を開いた。


「ご苦労だったな上等兵。よく即興で合わせた。さすが名高い第二機動戦隊だけはある」

「あなた、は……」


 床に伸びた親衛隊員が意識を取り戻した。傍を漂う銃を掴もうと、腕を伸ばす。


 その腕を軍靴の踵を三度振り下ろし、ふみにじって砕いた。魂削る絶叫が響いた。


「私か?」


 親衛隊員を踏みつけにしたまま、野戦兵の円筒帽の庇を軽く傾け、男は告げた。


「私はリタ・ベイトワース大尉。グレーデン軍団麾下、第五十六擲弾兵団長だ」


 モルト軍最強の歩兵部隊指揮官は、魔王じみた笑みを浮かべた。

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