第3話 同盟結成


 ジスト・アーヴィンはゆったりと市庁舎の奥の間へと進み、総司令部として使われている広大なホールの前へと立った。

 歴戦の猛者であるジストでもさすがに緊張する。アーレルスマイヤー元帥の時とは違う、気の張りつめ方だ。呼吸はゆっくりと、深く、静かに。動揺を悟られぬように――。


「ジスト・アーヴィン大尉をお連れした。通せ」


 ケッヘルの言葉を受け、衛兵たちが司令部の扉を開く。広大な暗闇がその向こうに広がっていて、中からは騒がしいモルト語のやり取りが聴こえる。将兵は泰然と構えている印象だったが、戦局自体はよほど切迫しているのだろう。


 意を決して入るよりも先に、ひとりの男が暗闇から進み出た。


 その男は月桂環に銀の月をあしらった帽章の入った軍帽を被り、前を開いた長外套を着て、黒地に金刺繍のモルト軍制服を着ていた。そうして軍帽から覗く髪と同じ灰色の瞳を僅かに瞬かせ、ジストを見ている。


 思わずジストは口を開いた。


「グレーデン――」

「因縁だな。ラインアット隊々長、ジスト・アーヴィン大尉」


 グレーデンは軽く腕を開いて見せた。


「モルト軍総司令部へようこそ。私がこの地上軍最後の総司令官だ」


 そう言ってグレーデンは自ら手で総司令部を示して笑みを見せた。


「さあ、中へ入ろう。貴官と話さねばならないことが山ほどある」



 その頃。控えの間ではカザト、ファリア、ゲラルツ、リックらが革張りの長椅子に座って隊長の帰りを待っている。扉の脇の壁には銀髪碧眼のモルト軍青年将校が腕を組んで寄り掛かっている。


「……」


 キルギバートは黙ってカザトを見ている。


「あの……」


 何を話したものかと、カザトもキルギバートを見ている。


「テメェ何が狙いだ」


 事態を打ち崩したのはゲラルツだった。キルギバートに眼をつけ、睨み据えてどすの利いた低い声を放った。キルギバートがちらとゲラルツを見つめた。


「オレたちをこんなところに呼んで、何がしてぇんだ」


 キルギバートは口と顎元に少し力を入れて、何を喋ろうかと迷っているようだ。カザトにとっては意外だった。彼に対して峻烈な印象しか持っていなかったが、今日の彼はどこか様子がおかしい。


 リックも恐る恐る口を開いた。


「おい話せよ……! だんまりしてたんじゃわかんねぇだろ!」


 キルギバートは辛そうに顔を背けた。

 横顔をさらす。苦悶、と言っていい。


「キルギバート大尉――」


 均衡を破ったのはファリアだった。


「グレーデン将軍が何を考えているのか、今の私たちにはわからない。だけど、はっきりしていることが一つだけあるわ」

「……何だ」

「今のあなたは、私たちの敵ではないってことが」


 キルギバートの頬がぴくりと動いた。

 ファリアはキルギバートをまっすぐに見つめたままだ。


「ここに来るまでに、私たちの間には色々なことがあった。あなたとは何度も戦ってきたけれど、これだけは言える。今のあなたが私たちの敵ではないように、私たちもあなたの敵じゃないわ」

「……貴官、名は」

「ファリア・フィアティス准尉。元ラインアット隊副長で、訳あって万年准尉よ」


 苦笑いするファリアに、キルギバートは一瞬だけ気を取られた。その瞬間、カザトらは目を見張った。あのキルギバートが初めて、ほんの一瞬だけだが口元を綻ばせて微苦笑を浮かべていた。


「名乗ってあげたのだから、聴かせてもらえるかしら」

「……これで断ったら、武人の名折れだ。いいだろう」


 キルギバートは背中を壁から離し、しばらく考えていたが、やがて訥々としゃべり始めた。


「閣下……グレーデン大将はウィレ・ティルヴィア軍との共同戦線を望んでいる」

「ベルクトハーツの時のような、一時休戦ってことか?」


 カザトの言葉にキルギバートは首を傾げた。


「そのようなものだが、少し違う。俺達モルト軍がウィレ・ティルヴィアから撤退するための"作戦"の一つだ。そしてそれは、このウィレ・ティルヴィアを救うための"作戦"でもある」

「どういう意味だ?」


 キルギバートは少し俯いたが、やがて意を決したようにカザトらを見た。


「ウィレ・ティルヴィア、西大陸はもうすぐ消えてなくなるかもしれないからだ」


 キルギバートはそこから、これまであったことをカザトらに語った。

 モルト軍が内紛の危機を迎えたこと。それまでの権力者であった親衛隊がグレーデン率いる国軍の前に敗れ去り、核を奪って逃げだしたこと、そしてその核が"最終戦争最大の禁忌"であることを。


「モルトランツに核を……!?」

「なんてことを……!」


 カザトとファリアの驚愕をよそに、ゲラルツは腕を組んだまま苦い表情を浮かべている。


「そうだろうな。体制に従わない人間をゴミか虫けらのようにしか見てない親衛隊だったら、そういうことを考えても不思議じゃねえ」


 キルギバートはモルト訛りのシュトラウス語を話すゲラルツを見つめた。その彼にリックが遠慮がちに声をかけた。


「こいつ、親衛隊に家族を殺されてウィレにやってきたんだ」

「なん、だと……?」

「勝手に喋んじゃねえ」


 ゲラルツが拳を握ってリックの頭を小突いた。


「そんな、自国民を迫害するなど……モルトは同胞を貴ぶ国で――」

「テメェがどう思おうが、現にオレはこうやってテメェの目の前にいんだよ。両親と兄貴と赤ん坊の弟を殺されて、生き残った弟は宇宙病にかかり、妹も移民局にひとりぼっちで置いてきた」


 キルギバートは黙りこくった。信じられないと口元に手を当て、俯いている。


「嘘だと思うか。だったら――」


 懐に手を伸ばしたゲラルツの肩を、カザトが掴んだ。


「もういい、いいんだゲラルツ。あの写真こそ、大事に身に着けておくべきだろ?」


 ゲラルツはしばらくカザトを見つめていたが、やがて舌を打って手を振りほどいた。


「キルギバート。俺達の隊はいろんな人間が、様々な思いを乗り越えて集まった部隊だ。だからきっと、お前のような軍人らしい部隊じゃないと思う。だけど、この部隊だからこそやって来れた。お前とも渡り合う事ができたんだ。だけど今は――」


 カザトは手を差し伸べた。


「俺はお前の味方だ。ウィレを助けようとしてくれたというのなら、お前がモルト人であっても関係ない。お前は俺たちの味方だ」


 キルギバートはそらしていた目をカザトへ向け、向き直った。カザトは屈託のない笑顔でキルギバートを見つめていた。


「俺は、お前を殺そうとしたんだぞ」

「俺だってそうした」

「この先、戦場で出会えばまたそうなるんだぞ」

「その時はその時だ」

「お前……」

「でも、そうならないように頑張るつもりだ。それが兵士としてではあっても、自分のやれることをやって、絶対この戦争を終わらせる」


 カザトの瞳には迷いがない。ただ、青い空のような澄んだ光がたたえられている。


「お前たちの作戦に俺は乗る。一緒にこの西大陸を、いや、ウィレ・ティルヴィアと大勢の命を救いたい。それが俺の正義の味方、英雄としてやりたいことだから」


 キルギバートは困ったような表情を浮かべて、腕を組んで固まっていた。

 だがやがて、忍び笑いを漏らした。笑い声はやがて軽やかな弾んだものになった。今度こそ、カザトたちは驚いた。こんなふうに笑える男だという事も知らなかったし、彼が笑ったところを見ることも初めてだった。


「……まったく、どこまで救いようのないアマちゃんだな。よくも恥ずかしげもなく、仇敵か怨敵と呼べる男の前でクサい台詞を吐けたものだ」


 カザトは耳まで真っ赤になった。


「それがウチの副長なんで」


 リックがにやつきながら言った。


「馬鹿過ぎて青臭くてやってらんなくても、コイツらしいところだ」


 ゲラルツが片頬を歪めてみせた。


「そんな彼だから、誰一人欠けずに貴方と渡り合ってきたのよ」


 キルギバートは軍帽の庇をつまんで深く下げた。悔しそうな、それでいて納得したような複雑な笑みを押し隠して頷いた。


 そして、ちょうどその時だった。

 控室の扉が開き、ジスト・アーヴィンが帰って来た。


「……なんだこの空気」


 胡散臭げに呟くジストに対して、ファリアは「何でもありません」と弾むような声で返した。


「それで隊長、結果は?」

「結局俺は取次役だ。今はアーレルスマイヤー元帥とグレーデン将軍が通信で会談している。だが……」


 ジストの表情から気だるさが消えた。

 作戦開始の合図だ。姿勢を正す隊員たちに、ジストは期待通りの言葉をかけた。


「面白い事になる。同盟成立だ」

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