第2話 ラインアット、モルトランツに立つ

 この日。モルトランツのモルト軍総司令部にウィレ・ティルヴィア軍が"進入"した。この戦争が始まってすぐ、モルト軍の手によってウィレ・ティルヴィア西大陸の州都たるモルトランツが最初に陥落してから、ほぼ一年ぶりのことであった。

 戦わずして、カザトたちはモルト軍の戦線に針ほどだが確かな孔を穿ったことになる。


 総司令部が置かれた市庁舎の前に、紅のラインアット・アーミーが揃った時、すでにキルギバートはグラスレーヴェンを降りて地上にあった。ヘルメットを脇に抱えてアーミー――というよりも、恐らく中にいるカザトら――を、羽虫を見るような目で見ながらついてくるように顎で示している。


 リックがげんなりしながら呟いた。


「あいつホントにオレっちたちのこと嫌ぇなんだろうな」

「心配すんな。オレだってぶっ殺してやりたいくらい嫌いだ」

「やめろゲラルツ。……隊長」

「わかっているカザト。全員降りろ。足下にいる戦鬼を待たせると喰われるぞ」


 ジストはハッチを開けるなり、ワイヤーを使ってするすると滑り降りた。カザトも遅れないように続いたが、すでにファリアが地上に降りている。次いでゲラルツが目でモルト兵らを威嚇しながら降り、最後にリックが続いた。


「ジスト・アーヴィンだ。久しぶりだな」

「モルト軍大尉、キルギバートだ」


 カザトははっとした。拳を握りしめるジストに対し、キルギバートも青筋を立てている。両者の間には見えぬ雷が走り、がくついた空気が場を覆い始めている。


「これより貴官らをモルト軍総司令部へと通す。アーヴィン大尉には、我らが総司令官たるヨハネス・クラウス・グレーデン大将に会ってもらいたい」

「要望というより、有無を言わせないってところか。こんな勢力圏内のど真ん中で、俺が断ったらどうするつもりだ?」


 ジストとしては困らせるつもりでかけた皮肉のつもりだったのだろう。しかしキルギバートはにこりともせずに腰に手をかけた。


「斬る」


 すぐさまゲラルツが腰の銃に手を伸ばした。

 だが、その横からモルト兵の一隊が小銃の筒先を揃えて彼らへと向ける。その指揮のために、黒髪と金髪のモルト軍青年将校が腕を振り上げていた。


 ジストは肩を竦めた。


「やめだ、やめやめ。ここではお前に従った方がよさそうだ」


 キルギバートは柄から手を離し、ややあって頷いた。


「そうした方が身のためだ。……クロス、ブラッド、よせ!」


 その時だった。


「何をやっておるか!」


 鋭い一喝が響いた。見れば正面入口ファサードに黒髪で痩せ形のモルト軍将校が立っている。見るからに参謀将校と言った身なりで、革で出来た外套の裾を風にはためかせ、キルギバートらを睥睨している。


「ケッヘル少佐」


 キルギバートの呟きに、ジスト・アーヴィンは目を眇めた。


――あれが、グレーデンの懐刀。そして――。


「ケッヘルって……まさか」

「モルト・アースヴィッツ政府内務大臣の?」


 カザトとファリアの言葉に対して、ジストは軽く頷いた。政府首班の御曹司といえば聞こえはいいが、ウィレ・ティルヴィア軍を散々に苦しめてきたという点では、ジストらウィレ・ティルヴィアの兵士にとっては彼の父親より恐ろしい存在だ。


 ケッヘルはきつい目つきでキルギバートを睨み据えた。


「閣下がお待ちである。状況は遅延を許さぬのだ。命令を遂行せよ」


 声音は静かだが、聴く者の胸を冷えさせる何かがある。浮足立ちかけたモルト兵らもケッヘルの叱責を受けて平静さを取り戻していた。キルギバートは彼に目を伏せて詫びると再び歩き出した。


「……閣下を待たせるわけにはいかない。ついて来い」


 ジストらはおとなしく、モルト軍の兵士たちによって形成された林の中を進んだ。

 カザトはキルギバートの背を見つつ思う。これほどの鬼を心服させるグレーデンという男は、一体どういう男なのだろう?


 総司令部は元が市庁舎というだけあり、内部は一種荘厳さを帯びた造りをしている。入ってすぐの控え室の前へと差し掛かった時、先ほどのケッヘルと何人かのモルト軍将校がやって来た。


 ケッヘルは流暢なシュトラウス語で喋り始めた。


「指揮官はそちらのウィレ軍大尉でよろしいか」

「その通りだ。そちらは?」

「モルト軍少佐、グレーデン大将の幕僚を務めるヘーゲル・パウル・ケッヘルだ。大変不躾だが、貴官の耳を貸していただきたい」


 ジストは少し目を丸くしたが、それもだとわかると不承不承に腰を折って耳を近づけた。


「――――」


 ケッヘルが何事かを囁くのが見えた。これほど近くの事にも関わらず、完璧なほどの耳打ちでカザトには聞き取れない。

 囁かれているジストはしばらく目を伏せて聞き入っている風であったが、終わりがけに僅かに目を見張るような素振りを見せ、それからケッヘルを凝視した。不気味なほどに静かなグレーデンの副官はさもありげに頷いただけだった。


「キルギバート大尉」

「なにか。ケッヘル少佐」

「そこの控室にアーヴィン大尉以外をお通ししろ。そのまま貴官は待機だ」

「な……、こいつらと――」


 ケッヘルに睨まれたキルギバートは何か言いたげに口を開きかけたままだったが、それにも構わずにグレーデン軍団きっての権力者は傲然と銀髪碧眼の戦鬼を従わせにかかっている。


「不服かね」

「……いや、承服した。少佐殿」

「それと貴官の一存に任せるが、彼らにも事の経緯を伝えてよい。……閣下はそう仰せだ」

「事がどう動くのかも定かでないうちに、か?」

「私にとって閣下が貴官をなぜ重用するのか理解に苦しむように、閣下には閣下のお考えがあるのだ。少なくともこの局面において、ウィレ・ティルヴィア軍きっての精鋭である"戦線を穿つ者達ラインアット"をあてにしておいでなのであろう」


 そこまで言うとケッヘルは背を返し再び歩き始めた。


「アーヴィン大尉、参られよ」

「……了解した。キルギバート大尉」

「なんだ」

「俺の仲間たちを丁重に頼む」


 ケッヘルとジストは去り、カザトらとキルギバートのみが残された。


「キルギバート……」


 カザトの声にキルギバートは努めて反応を見せまいとしていたが、やがて肩を落として一つ溜息をつくとカザトらに対して振り返った。何とも言えない表情で、すぐ傍の樫造りの応接室の扉を指し示す。


「来い。お前たちにも話してやる」



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