第37話 モルトランツ動乱
大陸歴2718年12月30日。
「全員傾注せよ!」
ケッヘルの鋭い号令に兵士たちが踵を合わせた。モルトランツの大通り――かつてモルト軍が栄光の閲兵式典を行った場所—―にはグレーデン配下の軍団将兵が整列している。脱出により減ったとはいえ、その大兵力は未だ健在であたりに威風を払っている。
「軍団長に、敬礼!」
グレーデンが弾薬箱で造られた即席の壇上に立つ。将兵全員が彼に敬礼を送った。最前にある将校の列にはキルギバートがいる。幾分か顔を腫らし、それでも迷いのない表情で上官に傾注している。
グレーデンはそんな部下たちを見まわすと、静かに呼吸を整えて口を開いた。
「諸君。時間がないので手短に話そう」
「最高司令部はモルトランツの破壊を命令された。"ウィレ・ティルヴィアに明け渡すくらいならば、民間人もろとも街を焼き払え"と」
「我々は軍人としてこの命令に従わねばならない。否、従わねばならなかった」
その言葉に、キルギバートは顔を上げた。
「諸君に報せねばならない」
「命令を下した親衛隊長官にして国軍参謀総長アルベルト・シュレーダー大将は本未明、総司令部を出た」
兵士たちがどよめく。総司令官が敵前逃亡を図った。それがどれほどの不義理であり、軍人にとって忌避すべき罪かを兵士たちは知っている。
「その行為にどのような思惑があるにしても、その行為に我々の知らない大いなる理由が含まれているとしても、私は断言する」
湿気た熱気のような空気が冬の大通りを撫でる。
「彼は逃げた。軍旗に忠誠を誓い、これまで敢闘した我々を残してだ」
怒りが兵列を貫き、昂奮が将校らの胸を突く。
「司令塔なき我々は今、地上最後の領土にいる。我々は勝利からも見放されつつある。それでも、我々には果たすべき使命がある」
グレーデンは声を張り上げた。戦場で多くの兵士を突き動かし、奮い立たせてきた彼の声がモルトランツに鋭く響いた。
「その使命は何だ。玉砕か、降伏か」
「否、生還である! 私は、モルトランツより諸君全員を宇宙へ帰す! ひとりの死者もなく、何の犠牲もなく、祖国へ凱旋する!」
「私と共に歩んでくれた戦友諸君。我々はどのような非情な命令も、どのような困難な命令も受け入れ、遂行してきた。そして、どんなに非情で困難な戦いであっても、我々は常にひとつの思いを胸に抱いて戦ってきたはずだ」
「この戦争は大義の下に行われなければならない。モルト民族とウィレ・ティルヴィア人が等しくあるべき、その大義の下に遂行されなければならない。だからこそ、私はここに宣言する」
強風が吹き、グレーデンの長い外套が風にはためいた。
「モルトランツ破壊命令を私は拒絶する。例え命を下すものが誰であっても、我々に虐殺者の汚名を着せる事だけは絶対にできないのだ」
グレーデンは言葉を切り、居並ぶ将兵たちを見まわした。
「私がこれから行おうとしていることは、命令拒否であり、最高司令官に対する不服従だ。敵前逃亡と並び、忌避すべき大罪だ」
それでも。グレーデンは言葉を繋いだ。
「もし、私の言葉に対して承服できぬ者がいれば、今のうちに名乗り出て、私を処断してほしい。諸君らモルト軍人には、その資格がある。常に私の傍らにあり、常に私と共に戦ってくれた諸君に罰せられるなら、私は喜んで己の首を差し出そう」
グレーデンは肩幅に足を開き、身体の後ろで腕を組んだ。兵士が奉職すべき存在に対して、待つ場合の姿勢。それはすなわち、処断を甘んじて受け入れる姿勢でもあった。
全員が静まり返った。寒風がひとすじ、通りを吹き渡った、その時だった。
「私は閣下に従います!」
グレーデンに負けぬほどに声を張り上げた者がいる。それは冬空よりも眩く、白く澄んだ銀の髪をした青年だった。
「この街は私にとって全ての始まりの場所です。そして、私が軍人として戦うことを決意した旅立ちの場所です。そして、ここにはまだ守るべきものがある。私が軍人である限り、この街がモルト領である限り、私には戦うべき理由があるのです」
兵士を率いた銀髪碧眼の青年は、胸を張り、傲然と顎を上げた。殴られて腫れて潰れかかった目蓋から覗く瞳は青く燃えていた。
「グレーデン閣下と志を共にする者は一歩前へ!!」
直後、兵士たちが前進した。轟、と軍靴が地面を叩く音がした。
事は決した。前進した全将兵に対して、グレーデンは帽子を脱いだ。
「感謝する。諸君。ならば、赴くべきところへ赴こう」
グレーデンは手を伸ばし、指を突き付けた。
「我が軍団はこれより、モルトランツ司令部を制圧。大撤退作戦を開始する!!」
グレーデンたち、そしてモルト地上軍最後にして最大の大博打が始まった。
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