第36話 戦う理由
「ふざけんじゃねえぞテメェ」
クロスが止めるよりも素早く、ブラッドがキルギバートの襟首に掴みかかった。
「ちょっとブラッドさん! いや、隊長も一体どうしちゃったんですか!?」
「こんな時に腑抜けてる場合かよ。立てよ!」
キルギバートは首を横に振った。
「もう嫌なんだ。嫌になった」
「何でだよ。今までそんなこと――」
「ああ、なかった」
ブラッドは愕然とした。キルギバートの目は濁ってしまっていた。彼らが祖国の地下街で見た、未来に絶望しきり、酒に酔いつぶれる貧しい中年労働者のそれと全く変わらなかった。
「なにがあったんだよ」
「……ブラッド、クロス。公園は、楽園はなくなっていたよ」
その言葉を聴いたクロスとブラッドは身を硬くした。
「綺麗さっぱりなくなっていた。あの街も、全て。俺たちのせいだ」
「子どもたちは?」
「わからない。もうどこにいるのかも、無事なのかさえ」
「そんな……」
立ち尽くすクロスに、キルギバートは曖昧な笑みを浮かべて頷いた。
「なあ、クロス、ブラッド。俺たちは何のために戦ってきたんだろうな」
「大尉――」
「俺たちはなんだ? この惑星を散々に荒らして、殺して壊して回って、死にかけては殺してを繰り返しただけだ。守ると決めた子どもたちの楽園さえ守れてなかったのに、守ってるつもりで戦ってた。滑稽だ。こんなおかしいことがあるか」
クロスははっきりと悟った。キルギバートの心は折れてしまった。
彼の心は強靭で太くても、戦争によって"しなやかさ"は失われてしまっていた。もう元に戻らない。固くなった軸が折れてしまえば、それで終わりだ。
「もう戦う理由なんて何もない。だから――」
そこまで言った時、ブラッドの拳がキルギバートの頬にめり込んだ。
「腑抜けたこと言ってんじゃねえッ!!」
ブラッドは飛びかかり、椅子ごと吹っ飛んで派手に床を転がるキルギバートに馬乗りになる。二発、三発と殴りこんで、やっと事態に気付いたクロスが飛びついて止めた。
「なに、何してるんですか!?」」
「止めんじゃねえ!」
クロスを振りほどいてブラッドはキルギバートの襟首を締めあげた。唇の端から、鼻から血を流しているキルギバートの顔に、当惑が広がった。やがてそれは憤怒に変わり、ブラッドの手を解くと彼を殴り返した。
「お前に何がわかる!!」
「うっせえバーカ!!」
キルギバートの拳がブラッドの頬を打った。だが、力を失ったそれはブラッドをこたえさせなかった。すぐに立ち直ったブラッドは、キルギバートの拳を受け流すともう一度殴り倒した。
ブラッドは無様に床に転がったキルギバートの襟を締め上げて引き起こしながら、窓を指差した。
「見ろよ! シャトルが上がってく! 俺らが戦わなかったら、カウスはどうなんだよ!!」
「カウス……」
「戦う理由がない? ふざけんのも大概にしろ! 一人で背負い込んだ気になってんじゃねえ! 俺らだってテメェの隣で、必死で戦ってきたんだよ!」
ブラッドが拳を振り上げた。頬にめり込む痛みを予感し、目を瞑ったキルギバートだが、いつまでたってもその一撃は来なかった。
キルギバートは目を開けた。馬乗りになったまま、ブラッドは泣いていた。
「俺にとっちゃ、お前と一緒に戦うことが戦う理由なんだよ」
「ブラッド――」
「戦ってくれよ。俺たちのために。俺らだけじゃ戦えねぇんだよ……」
何も言えずに黙り込んだキルギバートの横に、クロスが立った。しゃがみ込んだ彼は、ただ困ったように静かに微笑んで頷いた。
「隊長。いや、キルギバートさん。"みんな一緒"でしょう?」
キルギバートは目を閉じた。
永遠にも感じられる長い沈黙の後、最初に口を開いたのはキルギバートだった。
「……ああ、そうだ。そうだったな」
キルギバートの腕が振り上げられ、空を鳴らし、ブラッドの頬に拳がめり込んだ。
「お前……!!」
「早くどけ、ブラッド」
立ち上がったキルギバートの瞳には、熾り火のような光が宿っていた。
「そうだな。まだお前たちがいる」
口に溜まった血を吐き捨てて、ブラッドはにやりと笑った。
キルギバートはその胸板を小突いた。
「効いたよ。……行くぞ、参集だ」
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