第35話 敵前逃亡

 その日から、キルギバートは少し無口になった。

 外出を心配して出迎えてくれた仲間に対しても、言葉少なに応じるだけだった。


「どうしちゃったんですかね、大尉」

「……さあな」


 心配するふたりの言葉も、キルギバートは聞こえていないようだった。食堂での食事もほとんど手をつけず、勤務以外では営舎に設けられた長椅子に腰をおろして、何をするわけでもなくぼうっとしているといった風だった。


 あれほど覇気と生気に満ち溢れていた銀髪碧眼の青年は、夜が明けるなり五つも六つも年を取ったようになってしまった。


「――重症だな」


 帰って来たキルギバートが抜け殻のようになってしまった。

 その事態を知ったグレーデンは執務室で一言だけそう述べた。

 ケッヘルは相変わらず、表情一つ動かさなかった。


「あれでは使い物になりません。宇宙に帰しますか」

「そうしたいが、そうもできん。守備隊に彼の力は必要不可欠だ」

「閣下。率直に申し上げます。貴方は大尉の力を過大評価しておられます」

「そうだろうか?」

「都市破壊命令ごときで動揺し、分別を失うような者が模範的軍人であるわけがありません」


 グレーデンは腕を組んだ。黒茶に視線を落とす。映りこんだ自分の顔の、さらに向こうにあるカップの底を見つめながら、彼は口を開いた。


「本当に従うべき命令だと思うか」

「は?」

「ケッヘル少佐。我々は解放者としてこの惑星に降り立った」


 窓の外で轟音が響く。シャトルでの脱出は続いている。

 いずれ、自分たちの番がくる。そうなれば宇宙に帰ることになるだろう。


「そして"虐殺者"として惑星から出て行くのだろう。あの命令はそういうことだ」

「閣下、それは――」

「この街は私の故郷だ。少佐。ウィレもまた、私の故郷だ」


 ケッヘルの眉が動いた。

 グレーデンは手を少しだけ掲げて「いや、いい」と制して息を吐いた。


「他の兵士には言えぬ。言えぬから貴官にだけ話す。少佐」

「は」

「軍人として命令を遂行する……我々は正しいのだろうか。私は正しいのだろうか」


 ケッヘルは沈黙した。グレーデンも黒茶のカップを手に取ると、冷えたそれに口をつけ、ただ思案しながら時を過ごした。


 兵営がにわかに騒がしくなったのは、それから一刻ほど後のことだ。ウィレ軍に攻撃開始の兆候が見られること、そしてその最中にも関わらずシュレーダーがモルトランツからの撤退を図ろうとしていることが判明したためであった。


「仔細を確かめる」


 グレーデンは執務室を出ると大股に営舎を進んだ。武装したシレン・ヴァンデ・ラシンの一隊がすでにグレーデンを待っている。


「閣下。具申致します」

「ラシン大佐、どうした」

「もし疑惑が真実であれば、シュレーダーを処断すべきです」


 シレンは長剣の柄を握りしめている。


「モルトランツ防衛の任は始まったばかりにも関わらず味方を捨てて逃げ帰るなど。これ敵前逃亡にあらずや」

「まだ真偽が定かではない。大佐、軽挙妄動は厳に慎み――」


 そこまで言いかけた時、報告を告げる下士官の声が営舎に響いた。


「報告します。総司令部にシュレーダー参謀総長の姿が見えません!」

「最後に確認されたのはいつだ」

「五分前です。参謀総長の側近たちの姿もありません」

「総司令部はどうなっている」

「空です。空であります」


 ここに至ってグレーデンもついに憤怒した。


「……あの愚か者、裏切り者め。何としてもこの街から出すな」

「閣下」


 ケッヘルが背後から寄り添うようにしてグレーデンの脇へ進んだ。


「シュレーダーはウィレにおける統治者としての責務を放棄し、逃亡を選びました。いまや責任を負える者は、貴方だけです」

「……少佐」

「これを機に、全権掌握を。閣下、モルトランツ総司令部を制圧するのです」


 言葉に対し、グレーデンは幾らかの沈黙をもって応じた。


「閣下!」


 焦れたようにケッヘルが口を開きかけた瞬間。グレーデンは重たい口を開いた。


「我が師団の兵を呼べ。今すぐに」


 ケッヘルが駆け出す。グレーデンはシレン・ラシンへと振り向いた。


「ラシン大佐。従ってくれるな」


 シレン・ラシンは長剣を掲げて応じた。


「この剣と身命は閣下に捧げ奉ります」



 参集が進む中、キルギバートは未だに自室から出ていなかった。

 喧騒が聴こえていないわけではない。だが、何をする気もなく、参集の声が聴こえても椅子から立ち上がろうとすらしなかった。


「隊長!! 参集命令です。出撃です!」


 扉を叩く音が聞こえる。クロスの声だ。


「早く来てください! 大変なんです」


 ぼんやりとしたまま、キルギバートは扉を見つめた。何をそんなに急いでいるのか、もはや理解できなかった。必死になって何をどうするというのだろう。


「どうした」


 扉の向こうから違う声が聴こえた。ブラッドの声だ。


「隊長が何も言わないんです」

「どけ、クロス」

「ブラッドさん――」


 ガァン!! と、凄まじい音と共に扉が蹴破られた。

 足を振り上げたブラッドが現れ、目を白黒させているクロスの姿も見えた。

 しかしキルギバートは動かなかった。呆然とした様子でブラッドを見ているだけだ。


「何してんだよ。俺たちがこんなに心配してんのに」

「ああ。ブラッド、クロス。お前たちこそどうしたんだ。そんなに慌てて」


 ブラッドとクロスは互いに顔を見合わせ、キルギバートをもう一度見た。表情に困惑が浮かんでいる。

 だが、今のキルギバートにはそれすら理解できない。


「なにって……」

「外の声が聴こえねえのかよ! 参集だ。シュレーダー参謀総長がケツまくろうとしてるらしくて――」

「――それが何だ」


 信じられない言葉を聴いた、というように目を丸くする二人の前で、キルギバートは椅子に深く腰かけたまま、静かに俯いた。


「俺はもう戦いたくない」





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