第34話 えいゆうになれなかった男


 キルギバートは誰もいなくなったモルトランツの街を歩いていた。


 彼は親衛隊の言葉を嘘だと信じ、真偽をグレーデンに問うた。

 だが、返ってきた言葉は無情だった。


――事実だ。

――我々は撤退にあたってモルトランツを破壊する。そうしなければならん。


 キルギバートは怒り狂った。馬鹿な事があるかと、命令を疑い、そうして街にいる人々がどうなるのかをグレーデンに問うた。しかし、上官である彼はその問いには答えなかった。


――それが命令だ。軍人として受けるべき、国家元首の命令だ。

――納得できなくとも、我々が軍人である以上、それを実行しなければならん。

――キルギバート大尉。君はどうなのだ。軍人か、それとも、それ以外の何者か。

――もし、君が軍人以外の何者なのであれば……。


「ここにもはや、君の居場所はない」


 そうして、為す術もなく命令を拝受して、キルギバートはさまよっている。行く当てがあるわけではない。風に吹き流されるように、揺蕩うようにして、ただ茫然としている。

 彼にとっては11カ月ぶりのモルトランツの街だった。それなのに帰って来たという実感が沸かない。全て変わってしまっていたからだ。


 市役所だった建物――彼と、デュークと、グレーデンで初めてウィレの食事を摂った場所――は全て取り壊され、今や荘厳な黒鉄の司令部が立っていた。それ以外は全て取り壊された。多くの戦友の命を奪った機関砲陣地も、レールガン砲座もあとかたなく消え去り、なだらかな高台状の地形だけがその名残をとどめている。


 オフィス街はモルト軍のため行政区に様変わりしていた。真新しい建物はすべて無人で、ただ数か月前までは賑わっていたのであろう状態で放置されていた。だが、そこで働く人はもういない。


 否応なしに受け入れなければならない。モルトランツに、もはや政府機能は存在しない。捨て去られるべく準備が進んでいるのだ。現実を見せつけられた。

 モルトランツの占領後に閲兵行進をした大通りを歩く。そのうち、キルギバートの目に懐かしい煉瓦外装の建物が見えてきた。


「あれは――」


 閲兵式で彼らが滞在したホテルだった。彼らがかつて"家"としていた場所だった。キルギバートはその建物の門を叩いた。無音で扉は呆気なく開いた。そこも廃墟になっていた。


 入るかどうか、足を踏んで悩んだ挙句、彼はその場所に足を踏み入れた。埃臭さと、手入れされていない湿気た部屋のにおいが鼻孔をくすぐった。


「……」


 外から射し込む光だけを頼りに、部屋を見回す。赤い絨毯には軍靴の跡がはっきりと残っている。そうして、壁際には革張りのソファが横倒しになって放置されていた。

 その傍に片足を立てて跪いた。肘掛のあたりを握って引き起こすと、幾らか重たいそれはどすんと音を立てて元の格好に落ち着いた。


「やっぱり、そうか」


 思い出がよみがえる。ソファはクロスやブラッドが狸寝入りを決め込んでいたそれだった。躊躇いながら、そこに腰を落ち着ける。瞬間、彼の脳内にかつての記憶――思い出と呼ぶべきもの――が流れ込んできた。


 そうだ。フロントの受け付け台近くではまだ連隊長だった頃のグレーデンとケッヘルが何やら難しい顔で書類を覗き込んでいた。その近くでは、グラスレーヴェンの搭乗員たちが黒茶の入ったカップを持ちながら談笑し、入口近くでウィレの空を見上げるクロスがいて、ブラッドがその傍にしゃがみ込んでいる。


 ここには日常があった。


「おい、キルギバート。何をしている」


 懐かしい声がした。幻聴だとわかっているのに、声は妙に生々しかった。

 振り向かずに、キルギバートは応じた。


「――デューク隊長」

「そうだ。どうした。ぼうっとして」


 キルギバートは頭を抱えた。銀髪にぐしゃりと指が食い込んだ。


「教えてください、隊長。俺たちは何のために戦ってきたんですか」


 声は答えをくれない。

 キルギバートは頭を抱えた。銀髪にぐしゃりと指が食い込んだ。


「わからない。俺にはわからないんです」


 答えを待った。だが、もう声は聞こえなかった。


 幾らかそうしていたが、彼は諦めてホテルだった廃墟から出た。

 その近くにあった居住区もなくなっていた。子どもたちの住んでいた町も、もう存在しない。そこは全てが更地となっている。

 ウィレ・ティルヴィアに築くモルト人の理想郷。その途中で廃棄された建設現場。宇宙に住む者たちが見た夢の跡だ。


 キルギバートの背中に、声が突き刺さった。


――この侵略者ども。


 振り向いたが、そこには誰もいない。

 そうしてようやく思い出した。あれは"子どもたち"を探していた彼らの前に現れた老婆のものだ。彼女がどこに行ったのかも、もはやわからなかった。


――強制退去せよ。以上。それだけ。あんたらの新しい国は何もしない。お前たちも人でなしだ。人を大勢殺した鉄人形を歩かせ、悦に浸ってるだけ。さぞ気分が良かったろうさ。

「御婦人。一つだけ聴かせてください」


 キルギバートは呟くように言った。


「あの"子どもたち"を、知りませんか」

――死んだよ。あんたらが殺したんだ。

「そうか」


 キルギバートは天を見上げた。

 そこには彼の故郷がある。その故郷が静かに夜光を投げかけている。


「そういうことだったのか」


 この街で生きていた人々の生活を叩き壊したのは自分たちだ。

 住む場所を奪い、それまでの日常を奪い、思い出を奪い、全て奪って戦い、そうして負けたのだ。


 ここにいる資格はない。

 崩れそうになる膝を精一杯持ちこたえさせて、キルギバートは歩き出した。


 中央地区から、郊外の自然公園に向けて不確かながら歩みは進んだ。


 既に東の空に恒星が昇り始めていた。グラスレーヴェンであれば幾らかの跳躍で辿り着くような街はずれも、人間の足では小一刻を要する。キルギバートは胸を押さえた。息が切れている。上手く息が吸えない。


 行く手前には、川がある。そしてそこに大きな橋がかかっている。


――お前の身体は傷だらけだ。それが癒えることはない。

――昔ほど、できることは多くない。


 いつかの軍医長の言葉が蘇ってきた。

 キルギバートは橋の欄干に手をかけて、少しだけ身体をもたれかけた。意識してもいないのに口元が歪んだ。微苦笑を浮かべて呼吸を整える。


「街だけではないんだな」


 自分も変わった。11カ月前にはもう戻れないところまで来ている。


 それでも、変わらないものを信じたかった。


 ようやく橋を渡り終える。

 かつてスタジアムがあったそこには建設途中の大きな建物が見えている。

 ならば、すぐ傍には緑地公園があるはずだ。キルギバートが守ると誓った"子どもたち"の楽園があるはずだ。


 しかし、キルギバートが見た景色は荒涼としたアスファルト舗装だった。


 鼓動が少しだけ早まり、胸がざわつく。一直線に、かつてあった"楽園"の場所――敷地の端――へと駆けて行く。しかし進んでも、駆けても何もなくなっている。どうしようもできないうちに、キルギバートの行く手を川が塞いだ。


 楽園のあった場所は地ならしされ、どこに何があったのかもわからなくなっていた。


 その背後で、突如轟音が鳴り響いた。


 振り仰いだ先で、白煙と閃光を投げかけながら、ゆっくりとシャトルが上がっていく。地上から宇宙へ脱出するモルト軍のものだった。


 キルギバートは理解した。

 子どもたちの"楽園"はとっくに失われたのだ。

 シャトルの発射場となるべく、他でもないモルト軍の手によって地下深くへと埋められた。自分の立っている円形に舗装されたそれが、かつての花畑だ。


 子どもたちはどうだったのだろう。

 目の前で楽園が失われていく様子を見たのだろうか。大人のウチュウジンの力で、どうしようもなく追い出されてしまったのだろうか。自分がいたら守れた――いや、きっと無理だ。


 これが自分たちの仕事なのだ。結局、自分たちは領土どころか、守ると誓った子どもたちの"小さな楽園"すらとうに守れていなかった。


 キルギバートは膝から崩れ落ちた。


「すまない」


 拳を地面に打ち付け、うずくまったまま動けなくなった。


「すまない、みんな」


 「俺は大嘘つきだ」と、彼は泣いた。


――だって、おにいちゃんは、えいゆうヒーローだもん。


「おれは、えいゆうヒーローにはなれなかった」

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