第33話 モルトランツ破壊命令

 大陸暦2718年12月30日未明。

 この日、モルト軍ウィレ侵攻部隊の総撤退が決まった。

 シュレーダーら政府首脳部はウィレ・ティルヴィアからの退却に当たって、「焦土作戦」を提唱。これに対してグレーデンら軍高官たちは反発し、撤退前からモルト軍内には不穏な空気が渦巻いていた。

 ひとまずブロンヴィッツの裁断を仰ぐ名目のもと、焦土作戦の全軍通達は見送られた。


 しかしこの判断こそが、後に渡る悲劇の前触れとなることを将軍、兵士たちは知らずにいる。


「全軍撤退だ」


 キルギバートは支給されたパイロットスーツに身を包み、ヘルメットを小脇に抱えて告げた。額や首筋には血が滲んだ包帯が覗いている。文字通り満身創痍だが、彼はまたも生き延びた。


「やれやれ、ついにか」

「ちょうど1年で撤退とは。終わってみると呆気なかったですね」

「その中で何回死に損なったかわかんねえけどな」


 クロスとブラッドも搭乗員服姿だ。唯一、カウスだけが平服を着ている。


「カウス。お前は手筈通り、最初の便でモルトへ帰れ」

「隊長、自分も一緒に――」

「駄目だ。そもそも、お前の分のグラスレーヴェンはない。それくらい戦力にゆとりはないんだ。であれば、リッツェらと一足先に宇宙へ帰った方がいい」

「だけど、皆を置いて……」

「命令だ、リンディ上等兵。それに、早く帰る方がお前のためにもなるんだ」

「自分の?」

「そうだ。多分、戦争は続く。そうなれば次の戦場はどこだと思う?」

「……宇宙に移ります」

「そうなった時こそ、お前の力が必要になる。訓練を受けて、俺たちの帰りを待つんだ」


 カウスはしばらく黙り込んでいたが、やがて僅かに頷いた。


「わかりました。隊長たちの帰りを待っています」

「すまんな、カウス」


 とぼとぼと兵営へと戻っていくカウスを見送るキルギバートの背中に、クロスが腕を組みながら声をかけた。


「よろしいんですか? これが最後になるかもしれないですよ」

「クロス。グレーデン師団機動戦隊時代からの生き残りは、どうやら俺たち4人だけになっていたらしい。もう誰も残っていない」


 キルギバートは振り向いた。


「そして年長組はここにいる俺たちだけだ。それなら、せめて一番年下の奴だけでも逃がしてやりたい」

「それでわざわざ、申請も出来たはずのグラスレーヴェン1機を断ったって? 泣けるね」


 肩を竦めるブラッドにキルギバートは唇の端を僅かに捻じ曲げて苦笑した。


「間違っていたと思うか?」

「軍人としては落第点だな」

「それでもな、ブラッド」

「あい」

「俺はもう、この街で子どもが傷つくのを見たくないんだ」


 ブラッドとクロスの顔から刹那、笑みが消えた。彼らが思い出しているものは、きっと同じのはずだ。モルトランツという街。ここから全てが始まったのだ。あの子たちに出会わなければ、きっと自分たちにとっての戦争はもっと違うものになっていたかもしれない。


 グローブを握りしめ、キルギバートは牙を剥いた。


「お前たちに命令する」

「おう」

「はい」

「撤退完了まで死守だ。一人、一機たりとも、この街に入れるな」


 そんな時だった。


「こんな街、残らず焼き尽くせばいい」


 あり得ない言葉が聴こえた。クロスとブラッドが我が耳を疑うよりも先に、キルギバートは大股でその声がした方向へと歩き出していた。


「今の発言は誰だ」


 低くどすの利いた声だった。キルギバートの背中越しに見た声の主は、モルト国家元首親衛隊の制服を着た将校たちだった。どうやら、撤退前の喧騒の中で暇を持て余し、たむろしていたのだろう。


「国軍の兵士か。なんだ貴様は」


 キルギバートらを見た将校らは軽蔑の色を顔に浮かべた。序列でものを見ている表情だった。それもそのはずで、今や親衛隊は国軍を支配している特権階級だからだ。

国軍から見ればそれだけではない。モルト国家元首ブロンヴィッツの身辺の守護者である親衛隊が相手なのだ。通常の兵士であればここで引き下がったかもしれない。だが、キルギバート達は引き下がらなかった。



「モルトランツを、同胞の街を焼けばいい、そう言ったのか」

「同胞……劣等人種の間違いだろ」

「なんだと?」

「宇宙移民でもなく、宇宙に住まう者にもなれない半端者だ」

「半端者――」

「所詮この街はゴミ溜めに過ぎん。そんなクズを守る価値など――」


 キルギバートは親衛隊員の襟首を引き掴んだ。どこにそのような力があるのか、そこから恐ろしい力で襟首を締めあげ、持ち上げた。爪先が浮き、親衛隊員が棒立ちになった。


「取り消せ」

「な、な、にを、する……!?」

「撤回しろ」

「は、は、はな、離せ……!!」


 親衛隊員はキルギバートの腕を掴んで、抵抗しようとした。そして仲間を助けようとキルギバートに詰め寄った他の将校たちもその面を覗き込んだ。

そして戦慄した。

 キルギバートの碧い瞳は氷色に変じていた。彼が心底激昂した時の目の色だった。


「お前は言ってはならないことを口にした」

「ひい……っ!?」

「この戦争は、この街から始まった。この街を手に入れるために大勢の人間が死んだ。この街は今でも、全ての者が命を賭けて戦った戦場なんだ。そして、ここに住む人々は今やモルト・アースヴィッツの一員だ。ここは俺たちが守るべき街だ」


 キルギバートは腕を振り抜いて、締め上げていた将校を放り投げた。床を無様に滑り、壁に接吻した将校の尻を踏みつけた。


「そんな戦場を、貴様はゴミ溜めと言ったな。そして、俺たちと一緒に生きようとした、この街で生きている人間を、貴様は劣等人種と言ったな」

「貴様ら……!!」


 親衛隊員らが殺気立った。キルギバートはそちらへ振り向いた。


「撤回しろ」


 眼光に射竦められた親衛隊員らが凍り付いた。


「撤回しないと言うのであれば、俺は貴様らを許さない」

「し、シュレーダー長官の命令なんだぞ……っ!」


 キルギバートは踏みつけている将校を見下ろした。将校はおびえながらも、精一杯の虚勢を張ってキルギバートを睨みつけた。


「この街を、焼き払えと命じたのは、我らが国家元首の代理人……っ! シュレーダー長官、国軍参謀総長の命令なのだぞ……ッ!」

「な、に?」

「やはり、国軍は聞いてなかったんだな……。モルト軍の撤退後、この街は一片残らず焦土の地にする。親衛隊はこれを実行するために、長官の命令で動くと――」

「おいやめろ。国軍の兵士にそんなことを教えるな」他の親衛隊員が踏みつけられているひとりに対して鋭い叱責を飛ばした。


 キルギバートの踏む足が、僅かに緩んだ。


「うそだ」


 その隙に親衛隊の将校はキルギバートから逃れた。虜囚となった仲間を取り戻した彼らは勢いづき、そのまま左腰に手を伸ばした。そこには短剣が提げられている。反対側には、拳銃も帯びている。


「親衛隊の、名誉ある軍服に、泥をつけたな……!」

「国軍であっても容赦せんぞ」


 親衛隊は剣客揃いとして有名である。

 対するクロスとブラッドも腰に手を伸ばした。一触即発となったその時、鋭い声が飛んだ。


「やめよ!!」


 声の主の方へと全員が振り返った。そこには長剣を帯びた国軍将校が立っていた。


 シレン・ヴァンデ・ラシンであった。


「戦地における同士討ちは、軍法により死刑である。双方、それ以上踏み出せば私が斬る」


 柄に手をかけたシレンに気圧され、親衛隊員が下がった。


「我らの名誉に、この国軍兵士は泥を塗った!」


 抗弁する親衛隊員にシレンは蹴上げるような声で一喝した。


「黙れ。軍人たるもの硝煙汚泥に塗れて国家のために戦う事を名誉とするものではないのか。それを諍いで陣中を騒がせるとは何事か」

「先に仕掛けたのはこいつ――」

「やかましい!」


 シレンの一喝は、ことのほか営内に鋭く響いた。


「このところ、貴様ら親衛隊は国軍兵士らに因縁をつけ諍いを起こすこと甚だしい。これ以上抗弁するならば、その身を国軍憲兵に委ねてもよいのだぞ」


 親衛隊員らは自分たちの分の悪さを感じたらしい。将校として高位の大佐に抗弁する無益さもさることながら、理屈や懐柔が通じるほどシレン・ヴァンデ・ラシンという男が甘い者ではないと思い知ったようだった。


 親衛隊員がすごすごと引き下がった後、鋭く周囲を見回してからシレンはキルギバートに歩み寄った。お互いにベルクトハーツ以来の再会である。喜ぶべきところではあるが、とてもそんな気分にはなれそうになかった。


「将校どもが騒いで何をしているのかと思えば、お前らしくもない真似をしたものだな。一体どうしたのだ」

「シレン様――」

「何度も言う。様はやめろ。お互い将校だ。”殿”なり”階級”で呼ぶべきであろう」

「申し訳ありません……。ラシン大佐、今の話は本当ですか。モルトランツを焦土とする、とは」


 シレンは僅かながら狼狽したように口を閉ざした。それから目を伏せた。


「本当だ。いずれ他の者にも知れ渡ることになろうな」

「この事をグレーデン閣下は御存じなのですか?」

「知っている。閣下はご反対なされたが、恐らく国家としての命ともなれば――」


 蒼白になったキルギバートはシレンに背を向け、足早に歩き出した。


「どこへ行く!」

「グレーデン閣下のもとへ参ります」

「やめよ。お前が行ってどうなる」

「モルトランツを焼き払うなど。閣下にお会いして――」

「その必要はない」


 さらに背後から声がして、キルギバートは振り向いた。そこには将官の軍服を着た男が立っていた。


「私はここだ」



 ヨハネス・クラウス・グレーデンであった。

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