第31話 転機のはじまり-帰る場所-
ジストから報告を受けたアン・ポーピンズはやはりというべきか、ジストが啖呵を切ったくだりまで聴くと爆笑し、足で床を叩きまくった。アンの副官であるロペスは神経質そうな面に乗った眼鏡を直しながら皺の寄った眉間を何度も押さえている。
「やるねえアーヴィン。お前もついにそんな事が言えるようになったかい」
「……うるせぇ」
「で、報告のためだけってわけでもなかろう。賭けに協力しろって?」
「どうあれ、勝手に乗り込んで来られた挙句あんな物言いをされたんじゃあな。是が非でも結果をもってぶちのめす以外ねえだろ」
「はっ。勝手に受けといてよく言うよ。大人になるまで報告・連絡・相談を学ばなかったのかい」
指揮官用の椅子にもたれかかったアンに対して、珍しくロペスが腰を折った。
「とはいえ、ポーピンズ中佐。アーヴィンの言にも一理あるかと」
「一理もへったくれもあるかい。面倒事を持って来やがって」
「しかし、これで"賭け"とやらに敗れれば我々とて無事では済まないでしょう」
「ん?」
「ラインアット隊がなくなれば、我々は失職します」
アンは即座に立ち上がった。
「アーヴィン、そのお坊ちゃまとやらはどこにいる。ぶちのめしに行くよ」
「自分の給料天秤にかけやがったなクソババァ。お坊ちゃまはもういねぇよ」
「ダテに国家公務員やってないんだよ。勝手にクビにされてたまるかい」
呆れかえった様子のジストらに対して、アンは軍帽を被り「しっし」と手で車外へと追いやり始めた。
「アタシに考えがある。ちっとばかし時間をもらうから、外で遊んでな」
その頃、エリイは人知れず野営地の片隅で膝を抱えていた。
仮設された粗末な小屋型の建物と、その横に置かれた物資搬入用の木箱の裏で、何をするわけでもなく、かれこれ数時間もうずくまっている。
誰にも知られたくない過去を暴かれてしまった。
誰の目にも触れずに消えてしまいたいと彼女は思った。それでも、彼女には消えるために行く場所もない。ラインアット隊に来るまで彼女にとっての世界とはサムクロフト重工の研究施設でしかなかった。
エリイにとってラインアット隊とは帰ることのできる"家"そのものだった。人間として振る舞うことを抑制され続けた研究室とは違う、温かい場所だった。感情を出しても何も言われず、受け入れてもらえる場所を、エリイは隊の他に知らなかった。
カザトやリックと同じ世代の兄弟のように過ごしても、
甘えたくなってファリアの膝の上に乗ったり、寄り添って過ごしても、
喧嘩相手としてゲラルツに喰いついても、
犬のようにジストの後ろをくっ付いて回っても、
彼らは皆家族のように自分を受け容れてくれた。それがエリイにとってはかけがえのない日常だった。
それが叩き壊された。自分の兄に突き付けられてしまった。
自分はつくられた存在の一つであり、所詮は機械でいうスペアでしかない。
そんなことを知られてしまったら、もう誰も自分を元のような目で見てはくれない。自分を人間として見てくれる人は、きっともういない。誰もが自分を気味悪がるだろう。
もう日常は戻ってこない。
「帰る場所、なくなっちゃった」
知らず涙が出てきた。ぐす、ぐす、と嗚咽が漏れた。でも声を上げて泣いたりすれば人が来る。それも嫌だったので、膝がしらに頭を押し付けて、声を押し殺して泣いた。
「エリイちゃぁーんっ!!」
はっと顔を上げた。聴き慣れた声がする。
木箱から頭の上半分だけをそっと覗かせた。
「どこにいるんだよぉー!!」
リックだった。大慌てで、半泣きの顔をして走り回っている。
行き交う歩哨の兵士や軍属のスタッフたちに「エリイを見なかったかい!」と聞いて回っている。「見てない」と言われる度に、きゃんきゃんと子犬のように叫んで問いかける彼の姿を見ていると、落ち着いたはずの涙が余計に流れ始めた。
「エリイを見てないか。オレたちの大事な仲間なんだよぉ」
出て行くに行けず、エリイはぎゅっと腕で膝を抱きしめ、顔を埋めて泣いた。
そうして叫び声が遠ざかった頃。エリイはようやく顔を上げた。
そうして尻ごと飛び上がって驚いた。
「おい」
すぐ目の前にゲラルツがいたからだ。汗まみれで袖なしのシャツを着て首には白いタオルをかけていた。
「いるならこんな所だろうなと思ったが、わかりやすい奴だな」
今の自分は涙と鼻水でぐずぐずの顔をしている。そんなところを、よりにもよって一番見られたくない相手に見られた。エリイは耳まで真っ赤になって唸った。
「な、なん、何の用っスか?」
強気に出られる状況でもないのに、思わず食って掛かる言葉が出た。
「なにも。リックたちがベソかいてお前を探すってんで、一緒についてっただけだ」
「なんで、ここを」
「あいつらは陽の当るところを探しすぎんだよ。こういう時は人目に触れねぇところとか、じめっとしたところの方が見つけやすいんでな」
エリイは周りを見渡した。日が当たらない上に、少し地面は湿っていて、しかもじめじめとしている。花すら咲かないような日陰でかれこれ数時間もうずくまっていたのかと思うと、自分でそんな場所を選んだにも関わらず惨めな気分になってきた。
「お前、思ったよりもだいぶ単純だな」
エリイの目から滝のように涙が溢れてきた。真っ赤になって足元の砂を握りしめてゲラルツに投げつけた。投げつけた泥混じりの砂はゲラルツの胸板に当たって、べしゃりと潰れて飛び散った。
「出てって!! 出てってよぉ!!」
思わず大声で叫んだ。こんな所を見られた羞恥心が、怒りや悔しさに変わっていく。八つ当たりでしかないとわかっていても、ゲラルツに砂を投げつける手を止められない。
泥まみれになったゲラルツは件の無表情でエリイを見下ろしていた。彼女の息が切れるまでたっぷりと砂まみれの泥まみれになった彼は、少ししてから膝を折ってしゃがみ込んだ。
さすがにやり過ぎたかもしれない。気の荒いゲラルツのことだから、一発や二発ぶたれても文句は言えない。それでも羞恥心と反抗心からか、エリイはふぅふぅと息を吐きながらゲラルツを睨み続けていた。
「ひでぇ顔だな」
だが、ゲラルツの口から漏れ出た声は思いのほか優しかった。彼は首にかけていたタオルを解いてエリイに差し出した。
「拭けよ」
エリイの方は完全に面食らった様子だった。それでも、ゲラルツからひったくるようにしてタオルを取り、涙と鼻水まみれになった自分の顔を遠慮なくごしごしと吹き始めた。
タオルから匂いがした。支給品の安い洗剤の匂いに交じって、整備用の機械油のにおいや、焦げたモーターのにおいがする。全て、自分がこの隊で過ごしてきた場所の思い出だった。
これからも一緒にいたい、大切な場所のにおいだ。
「ふ、うえ、うえぇ……」
ますます涙が溢れてきて、エリイはそれを顔に押し当てた。
「うえええ、うええええん」
初めて大声を上げてエリイは泣いた。
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