第30話 売られた喧嘩は高く買え
「……どういうことでしょう?」
「黒いアーミーの開発計画は北方州軍と貴方がたサムクロフト重工。間違いありませんか」
「そのとおりですが?」
ジストは煙草を深く、長く吸い込んだ。そして煙をゆっくりと吐き出して首を傾げた。
「ラインアット・アーミーの開発は第一軍だ」
場の空気が一変した。うずくまって地べたに這いずったままのカザトも、エリイを守るべく立ち尽くしていたファリアたちも、それを肌で感じた。空気がぴりついたものになる。その気迫は、目の前の無気力な上官から発されていた。
「その総責任者はヤコフ・ドンプソン将軍。決裁権を持つものはシェラーシカ公、第一軍作戦参謀次官シェラーシカ・レーテ大佐です」
ジストの言葉に北方州軍の兵士たちがたじろいだ。軽く息を吸い込んだレオンハルトの方は、わずかに拳を握りしめている。
「そして、現場を握っているのはこの俺だ。ジスト・アーヴィン陸軍大尉。ラインアット隊の指揮官を務める人間が決めることだ。最低でも、今あげた二名と俺の許可なくして、エリイ・サムクロフトを引き渡すなど無理と知れ」
レオンハルトの表情が初めて崩れた。度し難いモノを見たような苦笑を浮かべて、彼はジストに対して両手を広げて肩を竦めて見せた。
「はは……、正気ですか? これは北方州軍と、サムクロフト重工だけではない。ウィレ軍の今後を担う一策なのですよ?」
「知らん。それに、あんたは大事なことを忘れている」
「何でしょう?」
「エリイはモノじゃねえ。人だ。俺たちにとってはな」
エリイが地面に突っ伏し、初めて嗚咽を漏らした。
レオンハルトの笑みが深くなった。
「……君は実に度し難い男だな」
「褒め言葉だ。それでもエリイを取るというなら、かかってこい。相手になってやる」
「ラインアット・アーミーは時代の遺物になる宿命だ。どんなに抗おうとも私たちが創り上げた完璧な戦闘生命体の前に敗北する」
「そうかよ。それが本音かい」
ジストは煙草を放り捨てた。レオンハルトは早口で捲し立てる。
「そうでなくても、西大陸での作戦は北方州軍が作戦の指揮権を握っているんだ。大尉が陸軍大将に、そして議会の承認を受けて計画を進める私たちの前に敵うと思っているのかな」
ジストは腕を組み、顎元に生えている無精ひげを撫で始めた。傍目から見ればレオンハルトの言葉に考え込んでいるようにも見えるだろう。だが、カザトたちは知っていた。こういう時の隊長は何も考えていない。肚を決めたジストはレオンハルトの言葉など何も聞いていない。
ジストは目を上げた。
「であれば、賭けをしようじゃないか」
「――どのような?」
「次の戦いはモルトランツだ。ここに俺たちは一番乗りする。できなければエリイを好きにするといい」
その言葉を聴いたファリアが息を呑んだ。口を開きかけた瞬間、ジストは素早く振り向いて自らの隊員たちに鋭い一瞥をくれた。
「不服か?」
ゲラルツとリックはすでにやる気だ。
「いいぜ。やってやる」
「エリイちゃんのためだったら一番乗りくらい楽勝だぜ」
その言葉を聴いたレオンハルトが声を上げて笑った。
「やれやれ! 君たちは想像以上のバカだったようだ! 周りを見てみたまえ。自分たち以外は全てこの黒のアーミーだというのに、それにたった一部隊だけで抗うつもりかい!?」
「御託はいい。俺たちが勝ったらエリイに手を出すな。受けるのか受けねえのかどっちだ」
「もちろん受けるよ! わざわざ
その言葉と共にレオンハルトは背を翻して去って行った。静けさを取り戻しつつある平野に、すでに太陽は高く昇りきっている。
ジストは眠そうな顔をしてポケットに手を突っ込んだ。ファリアはすすり泣くエリイから離れ、ジストの隣に立った。その顔は怒りを抑えたままこわばっている。
「隊長、なんでエリイちゃんを賭けるなんて言ったんです……!」
ぼりぼりと後ろ頭を掻きながらジストは首を振った。
「……仕方ねえだろ。啖呵を切ったところで、権力持ち出されたら俺たちにできる事なんてないからな」
「それでも卑怯です。人を賭けたバクチの真似事なんて……!」
「もう賽は投げちまった。今更止められねえよ。それに――」
ファリアへとジストが振り向いた。その表情を見た彼女は息を呑んだ。戦い以外で激情を表に出すことのないジストの顔に青筋が浮かんでいた。
「お前は腹が立たねぇのかよ。あそこまで言われて」
「……いいえ」
「リック、ゲラルツ、んでカザト。勝手に乗り込んできたボンボンに役立たずのお払い箱扱いされて、平気か? 俺は今、無性に腹が立ってる」
ゲラルツとリックは首を横に振った。
カザトは砂を握りしめながら、ゆっくりと立ち上がった。
「俺もです」
ジストは仲間たちの方へと歩き出した。
「売られた喧嘩は高く買ってやれ」
煙草の箱を握りつぶして吼えるように叫んだ。
「やるぞ」
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