第27話 最高傑作

 朦朧とする意識の中、カザト・カートバージは少しずつ意識を取り戻した。足下への意識の覚束ない浮遊感を味わう間もなく、焦げた臭気や猛烈な熱気に喘いだ。沈黙した機体の再起動を試みるが、駆動系の出力に異常があるためか、いつまで経っても愛機は立ち上がらない。


「っ、ファリアさん、隊長……!!」


 仲間を呼びながら生きている主電源を探す。


「ゲラルツ、リック……、エリイちゃん!!」


 しかし機体は動かない。


「くそ、こんな時に……!」


 機体がどうなっているのか、そして外がどうなっているのかもわからない。焦る気持ちを押さえつけながらカザトは計器を手当たり次第に探っていく。そんな中で、手元のコンソールの中にただ一つだけ光るものがあった。


「短波通信……?」


 開放回線で行う通信回路だけが生き残っているようで、通話を示す青い光が仄かに点滅している。


 仲間の誰かかも知れない。カザトは通信を開いた。名前を名乗ろうとした刹那、先に声が聴こえた。


『――おっと、やっと反応があった!』


 知らない、若い男の声だった。


『無事だったかい。運が良いな』

「あなたは……?」

『そんな事よりも、エリイ、君のつくった兵器は素晴らしかった。あのような業火の中でも、まだパイロットは生きているぞ!』


 若い男はカザトへの関心を失っているようだった。ただ、「エリイ」という名の少女にだけ、何事か興奮した様子で呼びかけている。


『さすがだよ、さすが我が妹だ。君の傑作のおかげで、アーミーという最高の兵器は今完成した!』

「兄?」


 カザトは状況について行けず、エリイは沈黙したままだ。


『君を今から迎えに行くよ。もう君が苦労をすることはない。ここから先のアーミー開発は全てサムクロフト重工が引き受けることになるからね。これで軍だけではない。政府上層部も我々の存在に重きを置かざるを――』


 そこまで話した言葉は、唐突に断絶した。


『喋り過ぎた。クソお坊ちゃんめ』


 聴こえてきたのはアン・ポーピンズの声だった。彼女が無線を断絶したのだろう。


「ポーピンズ中佐!? 聴こえますか!?」

『心配いらん、カートバージ。全部聴こえてる』

「さっきのは……。いえ、その前に、他の皆は?」

『ということは、お前さんに他の隊員の声は聴こえてないってわけだね。あたしのところには皆の通信が聴こえてる状況だ。心配いらん。皆生きてる』

「……よかった。それより、中佐、今のは?」

『お喋りなボンボンが浮かれ上がっただけさね』

「兄、というのは……まさか」

『……やれやれ。みんな同じことを言いやがる。後で聞かせてやるから待機してな。回収班を送る』


 その時、カザトはようやく理解した。周囲の戦闘はすでに終結している。


「中佐!」

『あんだよ、まだ何かあんのかい?』

「その、戦いは?」

『お前さんが気を失ってる間に終わったよ。グレーデンは軍をまとめてホーホゼから撤退した。あたしらウィレの勝ちだ。こうなりゃ、後はモルトランツだけだよ』


 カザトはそこで肩の力を抜き、シートへともたれかかった。張りつめていた緊張が解けてゆき、ずんと足が重く感じる。だが、解放感に浸ることはできなかった。先ほどの若い男の声がずっと気がかりであったし、何よりも――。


「――キルギバート。お前は生き残ったのか」


 心が重い。


 その重さが何によるものかを、カザトは今はっきりと理解していた。キルギバートという男との戦いの行方に、自分は思ったよりも執心している。互いに引き分ける度、鉄の鎖のような重さを持った何かがカザトの心と身体を操縦席に縛り付けてゆく。


「……ダメだ。ダメだダメだ」


 カザトは自分の頬を何度かはたいた。


「俺は、英雄になるんだろう。この戦争を――」


――一兵士でしかない自分に、何ができるんだ。


 心の中の自分がすかさず口を出し、カザトは愕然とした。無邪気に理想を追いかけていた頃。ノストハウザンの戦いまでの自分なら考えられない自問だった。


 その時になって初めてカザトは悟った。

 自分はまた負けたのだ。完膚なきまでに力量の違いを見せつけられた。戦士として絶対の自信を持つあの男キルギバートに対して、自分は、何も持っていない。


 誇れるものは戦友だけだ。それは自分ではない。自分には何もない。

 膝を殴りつける。


「くそ……! 何も変わってないじゃないか……!」



 それから小半時ほどでカザトは帰還した。

 コクピットから引きずり出され、地面に立ち、振り向くと愛機は黒焦げのひどい姿になっている。機体の姿に溜息をつくよりも先に、隊の空気がひどく重々しいことにカザトは気付いた。


 その原因はすぐにわかった。すでに帰投したジスト機の傍に人だかりができ、それが二つに分かれて対峙しあっている。


「ふざけんじゃねー! エリイちゃんを連れて行くなんてさせねぇぞ!」


 リックの甲高い叫び声が聞こえた。思わず駆け出す。

 対峙しあっている者の姿が鮮明になる。片方はラインアットの仲間たちを初めとする陸軍隊士たちだった。軍服、パイロットスーツ、あるいは整備兵用の作業服などを着ているが、ウィレ軍に所属するそれだとわかる。


「これは決定事項です」


 もう片方は異質だった。全員が背広を着ていて、黒眼鏡をかけている。そしてその背後にいるのは膝下まで伸びる長裾の外套を着た士官……北方州の高級将校だ。その中央には若い男がいた。北方州軍の質の良い革の外套を羽織っているが、下は背広だ。


「エリイ・サムクロフトは弊社が貴方方に貸し出していただけです。期限が来たから返してもらうのは当然のことでしょう」


 背広を着て黒眼鏡をつけた男が事務的な口調で話している。


――貸し出す? 何を言っているんだ。


 カザトが駆けつけた時、ジストがちょうど煙草の一つに火をつけながら、ゲラルツと並んで背広組に立ちはだかろうとしているところだった。食ってかかろうとするリックも勇んで前へ出ようとするが、ゲラルツに「邪魔だどいてろ」と追いやられている。


「お引き取り願えませんかね」


 ジストはいつになく慇懃な口調だ。だが、煙草を口から離さず、常に増して死んだ魚のような目をしていた。だが、その瞳孔の端にちらちらと燻る何かが見えた。


 こういう時、ゲラルツはそれを読み取って何も発さない。言いたいことは全てジストに任せておいた方がいい。ダメな時にこそ暴れればよいと知っている。


 その隙に、カザトは彼らの背後に目をやった。ファリアがいた。先の戦闘によるものか、こめかみを少しだけ切って血がにじんでいるが、大事はなさそうだ。


 そのファリアが、何かを庇うように抱きかかえている。


「……!」


 エリイだった。ひどく怯えていて、丸い目を揺らしてファリアに抱き着いている。離さないでほしいと必死で訴えるようにファリアの腕をきつく握っていた。


 状況についていけないが、これだけはよくわかった。彼らはエリイを連れて行こうとしている。そして、それをエリイは望んでいない。それどころかひどく恐れている。


 であれば、カザトの為すべきことは決まっている。

 エリイを守る。それだけだ。


 そこへ――。


「エリイ、出てきてくれたのか!」


 明けの空に男の声が響いた。無線で聞いた若い男のものだ。

 現れた声の主を見て、カザトらは目を見開いた。短く艶やかな金髪を持った美青年とも言える男だった。だが、その髪の下にある顔だった。爛々あるいは炯々と光る大きな瞳に、少しだけ低い鼻筋に整った顔は、エリイのそれだった。


 間違いなく、彼はエリイの家族だ。

 だが、エリイはその声を聴いてもファリアの傍を離れなかった。


「エリイ! 君はすごい!」


 男は続ける。


「父さんにも、ボクにもできなかったことを成し遂げた。君の兵器は完璧だ」


 朝日が昇る。陽を背負った彼はジストも、ゲラルツも見ていない。

 カザトも見ていない。その背後にいるであろう自分の妹さえも見ていない。

 どこを見ているのかわからない。ただ前を見ている。


「でもそれは当たり前だよね? その傑作兵器をつくるために"造られた"のが君なんだから! だけど、君は期待された以上の事をしてみせた。兄として心の底から嬉しく思うよ!」


 言い切って、男はエリイへと手を伸ばした。


「やはり、君はサムクロフトのだ!」





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