第26話 禍いの黒き手

 刃が振り落とされる寸前、またも衝撃を感じた。気付けば敵の禍々しい刃は地面へと突き立って石くれを盛大に撒き散らしている。


「ブラッド!?」

『とっとと脱出しろ!!』


 窮地を救ったのはブラッドのアーミーだった。彼が倒れたキルギバート機に体当たりしていなければ、自分は今頃あの刃によって肉塊にされていたはずだ。


「すまん……!」


 キルギバートは座席の下にあるレバーを探り当てた。それを引くなり、あれほど重々しかった鉄扉のようなコクピットハッチが外へと開き、頸部装甲板が炸薬で吹き飛び、次の瞬間、肩と首を見えない手で押さえつけられたような強烈な衝撃がきたかと思うと、そのまま座席ごと外へと放り出された。


 外へと飛び出した刹那、強烈な熱気と燃える地上の橙色の光が目に飛び込んできた。眺めはやがて紺色の空へと変わり、頭上に落下傘が展開すると緩やかな降下を始めるに伴って再び炎の赤色へと変わっていく。


 足下を見る。キルギバートの血相が変わった。


 ブラッドのアーミーが頸を切り飛ばされ、仰向けへと倒れようとしている。黒いアーミーの方は手ぶらでただ立ち尽くしているだけだ。あの回転鋸を使ったわけでもない。


―なんだ、何をどうしたんだ。


 訝しんだ瞬間、黒いアーミーがこちらへと振り向き、キルギバートと目が合った。そしてその背後から、何かが立ち上がるのが見えた。黒く、鈍く光り、枝分かれしていく。蜘蛛の足のような何かだ。いや、そんなものよりも、もっと柔らかさのある何かかもしれない。


 惑わされるな。と脳裏で大声が響いた。本能的な警告だった。アレこそがブラッドのアーミーの頸を切り飛ばした何かだ。そして、その何かはぐにゃり、と歪んだかと思うと鎌の刃のような形に姿を変えた。


「っ!?」


 あんな兵器は存在しない。

 見たことがない。

 信じられない。


 その刃が針のように尖った。黒いアーミーはこちらを見たままだ。キルギバートは座席に自分を縛り付けるベルトを解いた。地面を見る。まだアーミーの全長程の高さがあるが、それでも彼は席を蹴立てて飛び降りた。


 そこへ、針とも刃ともつかない何かが音もなく伸びて、座席を恐ろしいほど容易く貫いた。海綿スポンジを針で突くよりもさっくりとした音を立てて操縦座席が蹂躙される。間一髪で逃れた。


「――っ、ぐ!?」


 はずだった。針は中ほどで枝分かれし、キルギバートの肩口へと突き立っていた。


 矢のか? それを握ろうとして手を伸ばした瞬間。

 背中に途方もない衝撃を感じ、視界は夜空で固定された。そこにさえ、黒い何かが鎌首をもたげてこちらを見下ろしている。


――俺は悪い夢を見ているのか。


 地面へと墜落したキルギバートは息を吸い込み、吐き出そうとし、そこで意識は断絶した。




 キルギバートの見ているものは、悪夢でも何でもなかった。


 彼へと襲い掛かった黒い何かを切り払ったグレーデンのグラスレーヴェンは、それを機体の腕で防ぎながらキルギバートを拾い上げた。


「全軍、撤退だ! 逃げよ!」

『閣下、キルギバート大尉は!?』生き残ったクロスが叫んだ。彼も黒いアーミーにより機の片手をもぎ取られている。

「生命反応はある。お前はヘッシュを拾い上げて力の限りモルトランツへと駆けよ」

『退くのですね』

「もはや敵は昨日と別物だ。にも関わらず、我らは手の内を晒しすぎた」


 クロスはそれ以上何も言わず、機体から這い出したブラッドを残りの手で拾い上げると猛スピードで戦線から離脱を図った。グレーデンも追いすがる黒い機体を切り防ぎながら後退する。


 その手にある銀髪の青年を見やり、グレーデンは僅かに溜息と共に目を眇めた。


「まだ、望みはある」


 グレーデンらモルト軍反攻部隊は、この日の午前までにホーホゼから撤退した。

だが、その代償はあまりに大きかった。モルト軍は反攻に費やした機甲戦力の三割を失い、ついに地上での反撃能力を喪失する。


 グレーデン軍団はその日のうちにモルトランツへ後退。

 西大陸での戦闘は終局へと入った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る