第21話 白百合、再び


「隊長。もう駄目だ!!」


 砂浜を掘って作った簡易な壕の中で、公都近衛機甲大隊長代行アレン・リーベルトはヘルメットを抑えながら部下の叫びを聞いていた。


「退くしかない」


 大隊は防御陣地を構築し、かき集めたアーミー部隊、戦車部隊で抵抗を続けている。しかし、それも弾が尽きれば潰えてしまう。しかし、アレンは退くことを選ばなかった。迫りくるグラスレーヴェン部隊を見据えたまま首を横に振った。


「俺は退かねえよ。兵士たちを見捨てることなどできるか」

「それでは全滅します!!」


 アレンは笑った。狂を発したかと、兵士がぎょっとした。


「なあ、お前はいつからこの大隊にいる?」

「いつ、って……ノストハウザンからですよ!」

「そうか。お前の顔も見慣れたし、この隊にいて長いと思っていたんだがな。この隊にも、もう西大陸から残っている連中はほとんどいねえんだな」


――シェラーシカ・レーテの代からの隊員は、もう本当にいないんだな。


 アレンは戦火に燃え狂う前線を見据えた。


「お前、西大陸の奇跡ってやつを知ってるか」

「奇跡?」

「そうだ。戦争が始まってすぐのことだ。グラスレーヴェン部隊に、ちょうど今のような感じで押しまくられたことがあった。その時はアーミーもなかった。歩兵と戦車と無人機だけで挑まなきゃならなかった」


 グラスレーヴェン部隊は猛火を踏み潰すようにして砂浜に迫っている。アレンは意識せぬうちに口元を吊り上げていた。まったく同じだ。あの時と同じだ。


「あんな鉄の巨人に挑むなんて馬鹿げてる。兵士たちは雪崩を打って逃げ出そうとした。だがな、そこに現れたんだよ。奇跡ってやつがな」


 アレン・リーベルトは振り返った。そこには、砂浜に突き立てられた"白百合の軍旗"が炎風にびくともせず、なびいていた。


「信じられるか? 亜麻色髪の女の子が軍旗を立てて、数十万のウィレ・ティルヴィアの兵士を奮い立たせた。そんな奇跡が!」


 アレンは塹壕を飛び出した。


「見てえだろ? もう一度、そんな奇跡を俺たちは起こさないとなんねえだろ!」

「同感だね」


 潮風が背後から吹き抜けた。アレンが後ろを振り返る。


「何でここにいるんだよ。アクスマン少佐」

「ひどい言い草だなあ。これでも僕は不死身のアクスマンだよ」

「そんな血塗れ、包帯だらけでよく言えたもんだ」

「こんな時に、病院もろとも吹き飛ばされるのを待つだけなんて性に合わないよ」


 小銃を杖にして、青色の戦車兵服を着たエルンスト・アクスマンがそこにいた。身体は今すぐにも崩れ落ちそうで、服の合間から覗く肌には包帯が巻かれて、血が滲み、あるいは溢れ出している。


 だが、アレンは見た。頭部にも巻かれた包帯、そこから覗く紫水晶の瞳だけは爛々と光っている。その目はまだ死んでいない。


「もう戻れないぞ」

「はは――。それでも、ここで退くわけにいかないよね」

「奥さんを未亡人にしていいのかよ」

「するわけないさ。帰って、ミハイラを力いっぱい抱きしめるって決めているんだ」

「けっ、ご馳走さん!!」


 アレンは笑った。


「大隊長が帰って来たぞ!!」


 兵士達が拳を突き上げた。


「戦車を! 誰でもいい、乗せてくれないか!!」


 すぐに生き残りの主力戦車が駆けつけた。重傷のアクスマンはアレンの手を借り、搭乗員の腕を借りて引き揚げてもらい、砲塔内に納まった。顔だけを外に出して、アクスマンは再び指揮棒を振るった。


「大隊、前へ!! ラインアット・アーミーは前面へ展開。戦車部隊は左右から機動力をもってグラスレーヴェンに対抗するよ。彼らを内陸へ押し返すんだ!!」


 塹壕から、波打ち際から、次々に鋼鉄の兵士が打って出る。グラスレーヴェン部隊はそれを捕捉しては踏み躙るべく、手にした火砲を乱射して波打ち際へと迫る。一機のグラスレーヴェンがアーミーに白刃を振るう。だが、その刃を受け止めたアーミーはがっしりと組み付いてみせた。


 驚愕するグラスレーヴェンのパイロットが最後に見たものは、真後ろ、下方に回りこんだウィレ・ティルヴィア軍主力戦車の姿だった。


「撃てッ!!」


 腰部装甲の真下を撃ち抜かれたグラスレーヴェンが仰向けにひっくり返る。それよりも前に、股下を潜り抜けたアクスマンの主力戦車は、すでに二機目のグラスレーヴェンを照準に捉えていた。接近されすぎたグラスレーヴェンはすぐに刃を抜いて振り上げる。その脇下に、徹甲弾が叩き込まれた。


 砲弾は脇下から入り、首筋へと抜ける。頭部が脱落し、砂浜に盛大な金属音を立てて転がった。兵士たちが歓声を上げる。


「いける――」


 アクスマンが、アレンが、兵たちが確信し、前へと出ようとした、その時だった。


「し、白い機体だ。白い機体が飛んでくる!!」

「白鷹が来たぞーッ!!」


 彼らは空を見上げた。

 ぞわりとした悪寒、そして血の凍るような戦慄が身体を走り抜けた。

 夜空に白い光点が浮かんでいる。それは地上にも白い影を引き連れ、列を連ねて砂浜の陣地を見下ろす位置へと到来した。


 白い機体。ウィレ兵にあまねく死をもたらし、戦場を一片残らず業火に叩き込む鬼神――シレン・ヴァンデ・ラシン――が来た。


『ウィレ・ティルヴィア軍の兵士に告げる。シレン・ヴァンデ・ラシンである』

『投降せよ。さもなくば一人たりとも残さず鏖殺する』


 兵士たちが乱れ、戦列が崩れる。風に煽られるようにして防御陣地が一挙に崩れた。果敢にもラインアット・アーミーたちは白い機体を食い止めるべく防御陣地を飛び出してグラスレーヴェンの中枢にいる白い機体へと殺到した。


 数瞬後、彼らは全て爆炎に姿を変えた。火柱が夜の砂浜を煌々と照らし出す。


「駄目か――」


 アレンが歯噛みし、火砲を避けて戦車を駆るアクスマンは砲塔を拳で打った。ウィレ兵たちが一挙に総崩れを起こしかけた、その時だった。


 虚空に轟音が響いた。頭上を特急列車が過ぎ行くような音がしたかと思うと、それらは次々に地面へと突き刺さり、先ほどの爆炎よりもさらに大きな爆発を巻き起こした。


「なんだ!?」

「リーベルト大尉!! 入電! 支援砲撃、戦艦アーシェンブルクです!!」

「ファーネル提督か!?」


 白い機体が爆発を耐え抜き、海の彼方を睨んだ。そこには星群のようないくつもの光が点滅していた。それらはすぐに虚空に砲弾の群れを撃ち出し、グラスレーヴェンを後ろへ後ろへと煽って後退させる。


「海軍より入電! 我、モルト水軍第一艦隊を撃滅! 西大陸周辺のモルト水軍艦隊はすべて撃破せり! 繰り返す、モルト水軍を撃滅せり!」


 崩れかけたウィレ兵が足を止めた。そこへ、さらなる報告がもたらされる。


「高速揚陸艇群、来ます!」


 アレンは海辺へと振り返った。鋼鉄の巨大な箱のような揚陸艇、揚陸艦群が白い波濤の水飛沫を暗い海に投げかけながら、砂浜へと迫っている。アクスマンが叫んだ。


「揚陸艦群に手出しをさせるな! 主力戦車群、制圧射撃用意!」


 主力戦車たちが、グラスレーヴェンから身を隠していた砂浜の稜線を越えて押し出す。砲身を一斉にグラスレーヴェン部隊へと向ける。


「っ、てぇっ!!」


 恐ろしく統制の取れた一斉射撃がグラスレーヴェン部隊の足元で炸裂する。一撃、二撃と、間断なく撃ちこみ続ける砲撃の前に、グラスレーヴェン部隊がたじろいだ。


――何をしている!! 残るはあの陣地だけぞ、押し出せぇッ!


 白いグラスレーヴェンが叫ぶ。その頭部、肩に次々と歩兵が放った擲弾が炸裂する。怒り狂った白い鬼神はその手に持った"猛禽"で戦場を薙ぎ払い、刃を振るって戦場を屠りにかかろうとした。


 一斉にグラスレーヴェンが足を踏み出す。もはや海岸線まで一カンメルもない。目と鼻の先、ウィレ軍陣地は全て、グラスレーヴェンが蹂躙できる圏内にある。


「駄目だ、押し負ける……!!」


 戦車部隊が下がり始める。

 歩兵部隊が崩れて逃げ出す。

 後ろは海だ。もはやどこにも逃げ場はない。


「ち、奇跡は起こらないってのかよ……」


 アレンは再び海へと振り返る。

 そこにあるはずの白百合の軍旗を最期に目に焼き付けておくために。


 だが、そこに軍旗はなかった。

 正確には、移動していた。軍旗は砂浜を離れて、人の手の中にあった。

 アレンは目を見開いた。砂浜に揚陸艇、揚陸艦が到着している。その前面のハッチが開き、今まさに多くの歩兵たちと、戦車、そしてアーミーたちが発進した。失いかけたウィレ・ティルヴィア陸軍上陸部隊が、再び集った。


 アーレルスマイヤーの陸軍第一軍、その防衛戦闘の最精鋭である第十師団はついに上陸を果たした。そして砂浜には、白いウィレ・ティルヴィア陸軍の制服を着た将校団の姿もあった。


「――待たせてすみません」


 その中心に、亜麻色の髪を風に靡かせた少女が立っていた。

 

『シェラーシカ・レーテ中佐、聴こえるか』

「聴こえます。アーレルスマイヤー将軍」

『今日この日、この一日のみ、君を第一軍作戦参謀から解任する』

「……ありがとうございます、将軍」

『君にしかできない任務を言い渡す。公都近衛機甲大隊を救いたまえ』


 シェラーシカ・レーテは頷き、傍らを見た。

 第十師団長のアダムス中将、その幕僚は頷き、彼女を促した。


「行きたまえ、シェラーシカ中佐」

「――ありがとうございます」


 シェラーシカは微笑んで、傍らにある軍旗を握りしめた。

 白百合の軍旗は夜の砂浜にあり、そして白く輝いて将兵たちに戦機の到来を知らしめた。


 ブザーが、アラートが、ホイッスルが鳴る。忘れかけた総反撃の合図が一斉に鳴り響く。数十機のアーミーが咆哮をあげた。兵士たちが武器を差し上げ、夜空に拳を突き上げて戦喊声ウォークライをあげた。


 その中心にあり、シェラーシカは一機のラインアット・アーミーの手に乗った。肩へと乗り、軍旗を高々と敵へと突き付ける。猛烈な爆風が吹き上がった。旗は敵を指し示すかのように翻った。


 シェラーシカが絶叫した。


「ウィレ・ティルヴィア陸軍、前へェーッ!!」

「見たか、野郎どもッ!! あれが奇跡だ!!」


 アレンの声に、崩れかけた公都近衛機甲大隊の兵士たちが歓声をあげた。


 兵士たちが叫んだ。


「お嬢ちゃん……いや、我らがシェラーシカだけに良い恰好させんな!!」

「おかえり、"連隊長"!!」


 アレンは鼻元を擦った。


「何でえ。こんなにいやがるじゃねえか。あの時の生き残りバカどもが」

「リーベルト大尉、行こう」


 アクスマンが戦車上で敵を示した。アレンも頷き、そしてあの日と同じように叫んだ。


「野郎ども!! 我らのシェラーシカを死なせるな!!」

「おうさ、死んでやる! あの星とあのお嬢ちゃんのために!」

「そうだ、この星のために!!」

「我らがシェラーシカのために!!」

「戦ってやる、命を賭けて!!」


 公都近衛機甲大隊を越えて、シェラーシカが進む。その後に、大隊が続いた。


「前へェーッ!!」


「水の星に栄えあれ!」


「水の星に勝利あれ!」


「惑星ウィレ・ティルヴィア永遠なれ!」


 突撃の声が揃った。崩れかけた先鋒と、後続の部隊が合流する。その先陣をラインアット・アーミーの大群が駆け抜けてゆく。


「突撃!!」






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る