第11話 シュレーダーの誤算、ベルツの打算

「モルトランツ南部防衛線、さらに100カンメル後退!」

「南部司令所、敵機甲部隊の包囲を受けつつあり。救援要請が来ています」

「モルトランツ西岸より海軍主力部隊発見の報あり。敵空母より航空部隊多数接近中!」


 モルトランツ中枢のモルト・アースヴィッツ軍参謀本部に、ひっきりなしに訪れる報告はどれも凶報と呼べるものばかりだった。地上戦の終着は確実に近づいている。今や参謀本部の誰もが地上戦の結末を確信していた。


「南部のグレーデン軍団、後退します。参謀総長閣下、このままでは――」


 参謀将校の言葉に、シュレーダーが鋭い一瞥をくれた。


「狼狽えるな。ここまでは我らが――」


 その場にいた参謀将校――すでに触れられた通り、国家元首親衛隊将校のみで構成されている――が反射的に軍靴の踵を揃えた。


「我らが指導者、国家元首閣下の想定通りである。敵軍を引き込み、出来うる限りモルトランツ近郊で出血を強いるのだ」

「な、なるほど――! さすがは我らが国家元首閣下、そしてシュレーダー長官!」

「我が元首に報告を行うため、しばし離席する。情報収集を怠るな」


 追従者の敬礼に見送られて室外へと出たシュレーダーは、回廊を進んで一つの暗室へと飛び込んだ。扉が閉まるなり、それを背にして爪を噛んだ。


「速い……! 速過ぎる……!」


 「一体どうなっている」シュレーダーは歯噛みし、部屋奥にあるコンソールを叩き始めた。全てが計算外だった。ウィレ・ティルヴィアの大部隊が西大陸に上陸しても、開戦当初の経験から行けば進撃までに一か月は要するはずだった。しかし、彼らは上陸後即座にモルトランツへ肉薄する勢いで進撃している。これでは時間が稼げない。


 それよりも、最も重要な事は――。


「――元首閣下!!」


 通信画面が起動した。本国との惑星間光速通信を使用し、シュレーダーは主を呼んだ。だが、その暗闇に現れたのは彼が乞うた人物とは違うものだった。


「おやおや、シュレーダー殿。そんなに慌ててどうしたのです?」


 シュレーダーの喉から嫌な音が漏れた。"ブロンヴィッツの影バデ=シャルメッシ伯"。ここ最近で、シュレーダーが最も怖れるようになった人物だ。今やブロンヴィッツが直接シュレーダーと語る機会は滅多になくなっていた。東大陸失陥以来、ブロンヴィッツは明らかにシュレーダーとの会談を好まなくなっている。


「シャルメッシ伯! 元首閣下をお出し願いたい! ウィレ・ティルヴィア軍はすでにモルトランツより南方600カンメルまで迫っている。これでは我らの計画は間に合わぬ!」

「我らの計画?」

「そうだ! 西。そして西大陸のモルト系住民の反感を煽って惑星政府の瓦解を――」

「シュレーダー殿。貴方は何か勘違いをなさっているようですな」


 シュレーダーは通信画面に目を移して愕然とした。何が楽しいのか、目の前の男は目を眇めて笑っていた。


「我が主と、私の計画はそのような野暮ったいものではない。我らの計画? いつから貴方が我らの思惑に参画するようになったのです?」

「……、それは――」

「忘れるなかれ。知恵を貸したのは、この私です。この計画の真意は私と我が主ブロンヴィッツのみが知るところ。貴方は実行者として動けばよいのです。モルト・アースヴィッツ建国からずっと、貴方の役回りはそうだったではありませぬか」

「な、に――」

「貴方と私の違いはそこです。ただ唯一、貴方と私に共通点があるとすれば、それはすなわちブロンヴィッツという太陽なくして存在し得ないという事! それ故、我らは主の意志を体現し、実行しなければならぬのです!」


 唖然とするシュレーダーを見下ろすようにしてバデは低い笑い声を漏らした。最早バデの目には何も映っていない。重たげな瞼の紗幕に覆われた眼窩に納まっている瞳は、硝子の球のようで何の意思も感じられない。そこにあるのは――。


「シャルメッシ伯。ひとつだけ、お伺いしたい」確信を持てないシュレーダーは静かに口を開いた。

「ほう。答えられることであれば、なんなりと」バデは笑みを絶やさず頷いた。

「貴公の狙いはなんだ。何を思って、我が元首に従っている?」

「なんと、なんと……」


 バデは嘶くように喉を鳴らして笑った。


「決まっておりましょう。この戦争を今世紀最大の芸術として昇華させるためですよ」

「芸術?」

「そうですとも。この戦は我が主、グローフス・ブロンヴィッツという当代の英雄……、開闢かいびゃく以来の存在が造りたもうた芸術なのです」


 バデの言葉は止まらない。


「この戦争で政治、軍事、文化、全てを内包した歴史そのものが大きく塗り替わることでしょう。それは人類に必要不可欠な革新」


 まだ、止まらない。


「そして担い手たるブロンヴィッツは我らが完成させた芸術作品でもある。ただの護民官から、いまや宇宙を統べるまでに登り詰めた神のような御方こそが、真に至高の芸術作品……!」


 シュレーダーはこの時、確信した。

――この男は狂っている。

 息継ぎもなく矢継ぎ早に"芸術"を語る男の目に意思はない。あるのはただ狂気のみだ。


「ゆえに、シュレーダー殿。私は見てみたいのです。行き着く果てを。この戦争がもたらす革新も、惨劇も、全てを。そのためなら惑星の一つや二つが滅びようと、宇宙の在りようが変わろうと些末なこと」

「それが――」

「ブロンヴィッツが創造する万物こそ、全てに勝る芸術作品なのです。その芸術の前に、これまで人類が築き上げたありとあらゆるものが立ち塞がり、邪魔をするならば。それらは破壊されねばならないのです。宇宙が静寂の廃墟と化すその時まで――」


 言葉を失い、立ち竦むシュレーダーを一瞥しバデは溜息を吐いた。


「少々喋り過ぎましたか。ともあれシュレーダー殿。後刻、我が主より命が届きましょう。貴方はそれを実行するだけでよいのです。全ては崇高なる我が元首の理想の体現のために。期待しておりますよ、ご健闘を。忠臣シュレーダー殿」


 光を帯びたバデの背が暗闇へと消え、再び一室が暗闇に包まれた瞬間。シュレーダーは膝から崩れ落ちるようにしゃがみ込んだ。

 シュレーダーの理想は今や崩れていく一方だった。モルト・アースヴィッツという宇宙国家の中心的役割を担うのは、自分たちのような若く新しい世代だと、シュレーダーは常に自負していた。そのためには邪魔な軍部の"長老"ゲオルク・ラシンに不穏分子の嫌疑をかけて隠居に追い込み、同時に千年の軍神と謳われるラシン家を地に落とした。そのためにはバデ=シャルメッシとの政治的な同盟を不可欠だった。だが今や、同盟の主導権は完全にバデが握っている。ブロンヴィッツがシュレーダーに対して振り向くことも今やない。


 誤算だった。最大の庇護者の寵愛を失い、バデ=シャルメッシは御せる相手ではなくなった。自分は組むべき相手を誤った。


 シュレーダーは今や袋小路に陥っていた。


――軍部と和解すべきだろうか?

 否だ。親衛隊が力を失ったと見れば、グレーデン、ベーリッヒをはじめとする元帥、将軍たちはシュレーダーを排除すべく動くだろう。軍部に対しては見せかけでもいいから、己がブロンヴィッツの信任を保っているように見せねばならない。何よりも、すでに(※)に自分が仲間入りするなど、シュレーダーの肥大化した自尊心が許すはずがない。


(※)開戦前にローゼンシュヴァイク大将、ノストハウザンの戦い直前にフーヴァー大将が、いずれもブロンヴィッツと争い失脚している。


「このままでは――」


 バデに元首側近の立場を奪われる不安と、軍部に己の権威を脅かされる恐怖は短時間の間にシュレーダーを蝕みきろうとしていた。


「いやまだだ……。まだあるではないか」


 頭を抱えていた親衛隊長官は不意に顔を上げた。地上戦の舵取りを参謀総長として、西大陸統治の責任者として担っているシュレーダーには最後の切り札があった。


「ふ、ふふふ。そうだ。まだ手はある……!」





 同日。ウィレ・ティルヴィア西大陸南部。ウィレ・ティルヴィア陸軍西大陸方面軍(北方州軍)最高司令部。


 豪奢な内装の司令部は、ベルツ・オルソンという将軍の代名詞にすらなりつつある。赤樫造りの壁に、最高級の敷物を巡らせた執務室。その奥にある革張りの寝椅子の上でベルツは葡萄酒の入った酒杯を傾けていた。酒杯から漂う部屋を満たさんばかりの芳醇な香りからして、東大陸の己の本拠地から取り寄せた最高級のものらしい。

彼は得意の絶頂にあった。東大陸奪還の功績を独り占めし、いまや西大陸を我が手に収めようとしている。東西両大陸を奪還すれば、元帥への昇進も夢ではない。


 その時こそ、自分はシェラーシカ家を超え、ひいてはシュトラウスをも超えた存在となるのだ。ベルツの夢は膨らむ一方だった。



「閣下、失礼します」

「入れ」


 小柄な眼鏡をかけた参謀将校が部屋に入って来た。彼の腹心らしい。


「彼奴が動いたか」

「は。先ほど、シュレーダーより再度接触を申し出る報告を」

「存外臆病と見えるな。"一時休戦"と、すり寄ってきたのをこちらが袖にしてから一週間と経っていないというのに」

「しかし、今度は"西大陸を割譲したい"と申し出ております」

「何だと?」

「"まずはモルトランツ以外を全て明け渡し、休戦の手筈が整った後に西大陸を完全にベルツ・オルソン将軍に譲り渡す"用意があると。また、これまでウィレに対して求めていた209便事件の賠償請求の取り下げも、西大陸統治者として認めると――」


 ベルツは吐き捨てるように唸った。


「馬鹿が。己の手で戦争を始めた大義名分を取り下げる奴がどこにいる」

「それほどになりふり構えぬ状況なのでしょう。閣下、いかがでしょうか」

「……何がだ?」

「シュレーダーの行いは我らにとっては益ですが、モルトにとっては許しがたい背信行為でしょう。これを全宇宙に公表すれば、モルト軍は空中分解します。上手く行けば内乱に――」

「無用だ。今はな」


 首を傾げる参謀将校に対して、ベルツは寝椅子から立ち上がると雪降る窓辺へと立った。狙撃手の心配すらない、遥か後方にいるからこそできる行為だろう。ベルツは雪の先にあるモルトランツを見据え、唇をゆがめた。


「シュレーダーの接触要請には応じる素振りを見せつつ黙殺しろ」

「相手にされないのですか?」

「まだわからんか――」


 振り向いたベルツは口の端を歪めたまま笑った。


「間もなくアーレルスマイヤーの第一軍が来る。モルトがよほど追い詰められているなら、その時に連中の交渉とやらに乗ってやれば西大陸奪還の功績は我ら北方州軍のものになる」

「なるほど……」

「逆に、万一、我が軍が苦戦に立つような事があれば。その時こそシュレーダーの企みを全宇宙に知らしめてやればよい。連中が内乱でも起こしてくれれば好都合だ。モルトの害虫共が自分たちで潰し合ってくれる」

「西大陸の州都、モルトランツの扱いはいかがするので?」


 ベルツ・オルソンは目を細めた。その表情は限りなく邪悪と言える笑みをたたえていた。


「"アレ"の試験場とするにはちょうどよかろう?」


 参謀将校はそれを聴き、主と同様の笑みを浮かべた。


「よく覚えておけ。何かを得るには奪うだけでなく、時を選ぶ必要もある」


 意を察した参謀将校はもはや何も言わず首を垂れた。

 これこそがベルツ・オルソンの真髄だ。政争や陰謀に対し、動物にも似た本能的な嗅覚を持っている彼は、この戦いで権力者としての座に王手を掛けようとしている。


「奴らにはわかるまい。この広い宇宙には国が滅ぶのを待つ者もいるのだとな」


 ベルツは哄笑した。その笑い声もすぐに雪の中へと吸い込まれ、消えていった。

 吹き荒れる雪と同じように、戦いの行方はまだ見通せそうにない。

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