第8話 銀の獣
大陸歴2718年12月中旬、西大陸南部。
寒く、荒涼とした大地に悲鳴が響いた。
野に建つ一軒家の中で、四人の軍人たちが暴れている。彼らは家の中のものをひっくり返し、貯蔵されている食物を貪り食い、ついには食卓のある一室でふたりの女を組み敷いていた。
泣き叫ぶ二人は家の主である母と娘で、西大陸での戦乱を避けるようにして家の中で息を殺して日々を過ごしていた。そこへ、四人の軍人が来た。目的は掠奪。"家の端末で放送されていたのが
「やめてぇ、やめてください!」
「いやあぁ! おかあさん、助けて!!」
救いがたい事に、軍人は"モルト国家元首親衛隊"の制服を着ていた。
「敵国の報道を聴くような市民が、栄えあるモルト軍の勢力圏にいるはずがない。お前たちはウィレ・ティルヴィア軍の間諜だろう? そんなものにかける慈悲があると思うのか」
かつてモルト至高の精鋭と謳われた姿はそこにない。若い彼らは他所で奪った酒をがぶ飲みし、本来整えていたであろう色素の薄い髪はほつれていた。戦地で敵を相手にせず、戦えないものから奪い、搾り取る。そしてそこに女がいるのであれば、僻地へと赴いた鬱憤のはけ口にする。それが彼らのやり方だった。
この日もそれは変わらなかった。強いて言うならば顔の作りがよい女の、成熟した方と若い方が手に入って、彼らも勿体をつけたがったのだろう。嬲るように組み敷いて、ようやく彼女たちと事に及ぼうと革帯に手を掛けた。
悲鳴が上がった、その時だった。
背後の家の扉がいきなり蹴破られた。冬空の冷たい風が吹き込むと同時に、ささくれだった黒い影が部屋の床を踏み抜く勢いで走り込んできた。
そこから先は瞬く間だった。親衛隊将校が気付いて入口に振り向くよりも早く、部屋の隅で鑑賞していたひとりが鳩尾を打ち砕かれて床に転がった。慌てて母親から腕を離して、下半身を丸出しにした将校は四人の中でもっとも体格が良く、剃り上げた禿げ頭が特徴的な筋骨たくましい男だったが、影は素早く両頬を殴打し、さらに顎を拳で突き抜いた。禿頭の大男は昏倒した。
「な、な、な、なな、なんだ貴様――!?」
残った二人が銃を抜いた。だが、それよりも先に戸口から二条の閃光が走って、二人の手首を撃ち抜いた。甲高い悲鳴と、濁りきった唸り声のような悲鳴が響き、そこに黒い影が襲い掛かった。
影からふたつの腕が伸びた。それは男たちの顔面を鷲掴みにすると床に叩き付けて擦りつけた。まるで"獣"だ。先ほど顎を撃ち抜かれた大男が立ちあがって、その"獣"に殴り掛かった。
影が振り向いた。腰に手を伸ばしている。腕が腰から離れて天井へと伸び上がった時、その手には鉈剣が握られていた。大男は立ち止まって、思わず両手を前に突き出した。
「待―—」
ばしっ、と音がした。鮮血が部屋の天井にまで飛び散り、両腕が床に落ちた。
「ぎゃぁーーーーッ!!」
室内が凍り付いた。母親は娘の顔を胸に抱いて、それを見せないようにした。影か、あるいは"獣"がようやく静止した。母親が目を見開いた。炯々と輝く青い瞳。そして銀色の髪を後ろに撫で付けた若い獣が立っていた。
「お、おま、モルト軍士官だろ。なんで、味方を――!」
「モルトの軍法を知らないのか」
「な、に――」
「モルト国軍刑法第四章、第四条掠奪罪法規」
鉈剣を振り上げた獣の目が氷にも似た薄青色に輝いた。
「領土で略奪・虐待を犯さんとした者……特に婦女を犯さんとした者は――」
親衛隊員の顔が恐怖に引き攣った。小銃を手にしようと、横に手を伸ばす。その腕を軍靴が踏み抜き、尺骨が音を立てて砕けた。
「ぎゃあっ」
「――死刑に処す」
「わあっ、ああっ、待て、ま――」
鉈剣が振り下ろされる瞬間、銀髪の獣が吼えた。
「見るなッ」
母娘はともに目を閉じた。何かを叩くような音、ばらばらと雨の降るような音がした後、床に何かが落ちて転がる音が続いた。
しばらく暗転した世界の中で、モルト語のやり取りが聴こえた。
「どうします、これ」
「敵前逃亡者の扱いは決まってんだろ」
「お前たちに任せる。なるべく、この家から遠くでやってくれ」
なにかを引きずるような音がした。それが戸外まで伸びて行ったあと、戸口が閉まって聞こえなくなる。恐る恐る目を開けると、床には引きずってできた赤黒い線だけが残っていた。
その線を股にかけるようにして、銀の獣が立っている。馬手に赤い雫の滴る鉈剣を提げて戸外に目を向けていたが、やがて振り向いた。幾らか落ち着いた青色の瞳が母娘を捉えた。
「すまないことをした」
震える母娘はその時にやっと気付いた。目の前に立つ銀髪の獣は体中を怪我していた。着ているものさえぼろぼろで、あちこちが擦り切れている。気づかなかったが、肩でわずかに息をしている。立つのもやっとだ。
西大陸を制覇した異星人の姿は、もはやそこにはない。
その獣が立ち上がった。悲鳴をあげる母と娘の前へと静かに歩み出る。
それから、懐から何かを取り出し、目の前の床に置いた。純金の延べ棒だった。モルト語の刻印が施されていて、きっと高位の軍人に支給される報酬なのだろう。だが、母娘にはそれがわからない。
「それをお金に換えてくれ。俺たちには必要のないものだ」
言われて、ようやく母親は「こんな高価なものは受け取れません」と震える声で言った。突き返そうとする腕を、さらに強く握り込んで、銀髪の獣は押し返した。
「じき、ここも戦場になる」
獣の息の調子が狂った。肩で喘ぎ、鉈剣を床につきながら息を整えようとしている。飢えと渇きと疲れによるものだと、すぐにわかった。
「早く行け」
あぐらをかくようにしてしゃがみ込んだ獣は動くこともせず、ただ項垂れて佇んでいた。
しばらくして、衣服を整えた娘が何かを差し出した。割れ残った皿に水を汲んでくれたのだった。それが小刻みに震えては、注がれた水面に細かな波濤を造っている。
「ありがとう」
獣はシュトラウス語で礼を言って受け取ると、それを一気に飲み干した。
「頼みがある。――さっきの放送を聴かせてくれ」
母娘はともに身を硬くして抱き合った。銀髪の獣は驚いたように目を丸くし、それから哀しそうに眦を下げて笑った。
「頼む」
やがて、母娘は家を去って行った。
――ここはもう危ない。早く行け。
そう言って、母娘を住み慣れていたであろう家から追い出した。恐ろしい獣をみたというのに、その獣を何度も振り返りながら、どこかへと消えていった。
「大尉」
「……終わったか」
「ええ、終わりました。鉄の規律を誇ると言われた、モルト軍がこうも……」
銀髪の獣は静かに目を閉じた。
この頃。モルト軍の戦線は日に日に後退し、指揮の拙い部分では壊乱する部隊も出始めていた。寄せ集めとなりつつある各部隊では不可避の現象も起こり始めていた。放火や略奪に走る兵士が出始めたのだ。特に国軍ではなく、選民意識に凝った親衛隊の狼藉ぶりは目を覆いたくなるものがあった。彼らは督戦として各軍に派遣されていたので真っ先に逃げ出し、親衛隊員同士で徒党を組んでは小さな町や村を寝床にして勝手なふるまいを続けている。
この家での惨劇も同じ類のものだ。
ウィレ・ティルヴィアの地上に存在するモルト軍は、日に日に崩壊している。
「大尉、我々のやっていることは――」
「わかっている。まっとうな督戦行為ではない。だがな」
銀髪の獣は牙を剥いた。
「ここに来る前の集落はどうだった。若い女は乱暴され、年寄りや子どもは殺されていた。俺たちは、守るべき彼らから敵として認識されたんだぞ。あれは誰がやったと思う?」
「ここはまだ、モルト軍の勢力圏内です。そしてこの数カンメルを紹介して見つけたのは、奴らだけです」
「そういうことだ!!」
鉈剣を床に叩きつけた。
「そんなことをする奴に、敵味方の区別はない。わかっているだろ、なあクロス。ウィレがモルトランツに入れば戦線は崩壊する。モルトランツのあの子たちはもう一度戦火に放り込まれる。それだけは――」
祈るように腕を組み、ぶつぶつと早口で呟く銀髪の獣の肩に、黒髪の青年は手を置いた。
「みんなわかってます、大尉。落ち着いて」
「……すまん。埒もない事を言った」
「それより、どうしますか」
「一刻、休息を入れる」
「その後は――」
「この家に火をかける。煙を見ればウィレ軍が寄ってくる。そこに夜襲をかける」
何も言わず、黒髪の僚友は頷いた。そうして彼らは外へと出た。
すでに転がっている将校だったもの、そしてその前に三人が跪かされていた。
「罪状はこいつと同じだ」
「ち、ちがう、俺たちは――」
怯える将校たちの言葉に一切耳を貸さず、銀髪の獣は刃を抜いた。
「将校としての責務を執行する。お前たちが放棄したものだ」
「た、たすけて」
「許して――」
銀髪の獣は鉈剣を振り上げた。
後は言葉を必要としない。
全てが終わった後、銀髪の獣の背後で音声放送が流れ始めた。母娘が最後に残して行ってくれたものだった。
『本朝、ウィレ・ティルヴィア軍は大規模な反攻作戦を発動。陸空海軍全てを動員した西大陸奪還作戦が間もなく始まります。陸軍第一軍はすでにシュトラウスを発し――』
陸軍第一軍、その言葉を聴いた獣の顔が少しだけもたげられた。
『数々の戦地でグラスレーヴェン部隊を撃破した"ラインアット隊"も本作戦に参加するとの情報筋の見方に、陸軍参謀本部は――』
銀髪の獣は祈るように両手を組んだ。そして顔を上げた。
「そうか、奴らも来るんだな」
白い歯を剥き出しにし、その表情は笑っていた。
獣は立ち上がり、仲間の持つ火種を家の中へと放った。
荒れ放題になった家は、すぐに火の手に包まれた。
「決着を着けよう」
炎を見つめながら、銀髪の獣は静かに呟いた。
「カザト・カートバージ」
狂気に満ちた戦場で、最後の地上戦の幕が上がる。
家を焼いた炎と煙は狼煙のように立ち上り続けていた。
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