第5話 彼女の見た夢


 私にも、がいます。


 公都シュトラウスの病院にいる、たったひとりの家族です。


「申し上げにくいのですが――。弟さんは非常に厳しい状況にあります」


 白衣の医師の淡々とした言葉にも、もう心が動きません。

 ただ虚無に近い表情で受け入れるしかないのです。

 それに、その言葉は私が軍に入る少し前から、何度も聴かされた言葉でした。


「できることなら、弟さんのためにも終末期医療へ移行する事をおすすめします。これ以上の治療は、弟さんの身体に多大な負担を――」


 言葉はいつも途中で聞こえなくなります。

 医師の言葉に意味なんてなく、聴く意味さえもはやありません。

 心は勝手に耳を塞いで、抜け殻のように静かな身体の内側で叫び声をあげるのです。聴こえないように。心が傷つかないように。


 現実はいつも残酷で、自分たちに優しかったことなど一度もありませんでした。

 幼い頃に両親を交通事故で失い、家を失って。引き取ってくれた祖父も祖母は高齢だったのですぐに亡くなってしまい、後を託された叔父も病で倒れてしまいました。私たちはいつしか、身内からさえ「不幸の子」と蔑まれるようになりました。


 親戚を転々とする子ども時代はすぐに終わりました。嫌気がさした身内によって赤ん坊同然の弟と路頭に放り出されたからです。


 生きていくために、私は子どもの自分を殺して大人になりました。そしていつからか、私の世界からは"色"が消えていきました。いつも私の目の前は白でも黒でもない、灰色の世界が広がっていました。生きることに比べれば些細な事です。生きることは、私にとって"生きるか死ぬかの戦い"と同じ意味なのですから。


 灰色の世界で、数年生きたある日のことです。


 当時、大きな選挙が行われ、ウィレ・ティルヴィア最高議会の議長が変わったことはちょっとした救いでした。福祉制度が充実して、勉強さえがんばれば良い学校に編入できる政策が相次いで立てられました。弟も病院に入れることができて、私も医師を目指して学院で勉強に励みました。


 私が勉学に励んだ惑星政府公立の高等学院は北方州が運営している学校でした。そこで当時理事長をしていた人物は軍の高官で、私にある事を持ちかけました。


――その成績ならば軍でも身を立てることができるだろう。


 医師になりたかった私は悩みました。それでも軍幹部としての士官の報酬は医師見習いよりも高くて、私は医師になる夢を捨てました。

 軍に入ったことさえ食べていくため、そして成長した弟の病を治すため。自分のことなんて知らなかった。常に何かのためと誰かのために生きてきました。


 いつか報われる日が来ると信じて。


 そんな時に、戦争が起きました。軍人になっていた自分はますます、元の夢や日常から遠ざかっていきました。しかも、なぜか"特級射手"の適性を見出されて前線で人を撃つ身となっていたのです。自分で選んだ道でもありません。流されて、漂って、いつの間にかそうなっていました。


 私は人から奪い取る人間になっていました。本当は人を救い、守りたかったはずなのに。


 何もかもが嫌でたまらなくなりました。もう生きてさえいたくないけれど、生きていかなければなりません。守るべきものがある限り、死ぬことさえ許されないのですから。こうして生きてゆくだけの日々がきっと続いていくんだと、私は思っていました。自分に言い聞かせ、押し殺すようにして。


 だけど、そんな日々が少しだけ変わりました。

 私は共に戦う人々と出会いました。帰るべき家を見つけました。

 家の名前は"戦線を穿つ者ラインアット"、そしてそこで戦ううちに、私は思いました。もしかすると、彼らと戦友かぞくになれるかもしれない、と。


 でも、その戦友かぞくたちと共に生きる資格は、私にはないのです。

 なぜなら、私は本当の家族――弟――を助けるために、戦友を裏切っていたのですから。


 我に返ると、まだ医師は何事かを話しています。

 まるで醒めない悪夢のようで。目の前の世界から、また色が消えていきます。

 流す資格のない涙は勝手に流れ落ちて止まらず――。


 嗚呼、そうでした。

 私はもう、後戻りができないのですから。

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