第4話 いつか、家族と


 公都シュトラウス市内、惑星法省在留管理局オフィス。

 

 休暇を得たゲラルツ=ディー=ケインは薄灰のシャツに黒のスラックスという、いかつげで剣呑な彼らしからぬ格好で長椅子に腰かけていた。猫背気味に身を乗り出し、周囲を絶えず観察している。足の間では組まれた手の指が落ち着かなさそうに組まれたり、解かれたりしていた。


「ケインさん」


 中年の女性職員の声が掛け終えるよりも前に、ゲラルツは立ち上がった。


「ゲート通過許可が下りました。面会時間厳守でお願いします」


 昔なら舌打ちしていたであろう、職員の事務的な声音も特に気にならなくなった。それよりも今の彼には休暇のうちに為すべきことがあった。貸し出されたカードキーを手にゲートをくぐり、廊下を通り、管理局のオフィスの裏口へと出た。鉄製で隙間なく枠に収まった扉が来客を拒むかのように閉ざされている。

 そこにカードキーをかざす。扉はあっさりと開いた。


 裏へと出る。そこは百メル四方が高い壁で覆われた庭付きの施設だった。そう、省内の施設にはウィレ・ティルヴィアへ入国した"配慮を要する移民"たちが収容されている。ケインがここで果たすべき用事はただ一つだった。

 庭で運動をする中高年の移民たちをゲラルツは横目に見ながら、学校舎のような建物へと足早に入った。目的地の部屋は何か月か経てば忘れてしまわないかと不安に思ったが、存外よく覚えているものだった。


 ノックもせずに、横開きの扉を勢いよく開ける。


「――」


 部屋は殺風景で内装もなく、鏡と洗面室がついている狭いものだった。部屋の隅に置かれた映像端末からは子供向けの番組が流れていて、すかすかで隙間の目立つ本棚には漫画や児童書が収まっていた。


「がたんした!」


 舌足らずな子どもの声が聴こえた。ゲラルツは荷物を脇へと落とし、足を踏み出した。寝台の傍に、ゲラルツと同じ髪、瞳の色をした女の子が立っていた。


「アンネ――」

「にーちゃん! にーちゃん!」


 女の子は、目を丸くして両手を高く伸ばして飛び跳ねながらゲラルツへと抱き着いた。彼の腰にやや届かないくらいの背丈しかないが、それでも力一杯ぶつかってゲラルツをよろけさせると無邪気に笑った。


「アンネ、おい、大きくなったな」妹を抱きしめ、ゲラルツはモルト語で話しかけた。「元気してたか」


「うん!」と元気よく頷く妹の足を床につけてやり、それから部屋の奥へと進んだ。


 そこには、やはりゲラルツと同じような髪と瞳の色をした少年が寝台に腰かけていた。


「兄ちゃん、おかえり」

「ああ、ケヴィン。具合はどうだ」


 容貌はゲラルツに瓜二つだが、眉目がどことなく気弱げで、頬がこけている。着ているものも病衣で、誰が見ても少年が病人であると一目でわかる風体をしていた。


「今日はとてもいいよ。さっきまで庭先でアンネと日光浴してた」

「そうか。ならいい」

「兄ちゃん、戦争はどうなってるの? ここからじゃよくわかんなくってさ」

「そんなこと、お前が気にする事じゃない」


 ゲラルツ=ディー=ケインにとって、残された数少ない家族。それが二人の弟と妹だった。モルト・アースヴィッツ秘密警察によって他の家族を殺され、全てを失った彼にとって、守るべき者はもはやそれだけだった。

 アンネがゲラルツの膝の上によじ登る。落とさないよう、ゲラルツは妹の腰を抱きかかえて膝の上に乗せてやった。きゃっきゃと声をあげて兄の首に抱き着く妹の髪を撫でながら、ゲラルツは外を見た。冬の日にしては幾分と暖かい陽光が射している。


「順調だ。もうすぐ、うちへ帰れるようになるぞ」

「そっか、よかった」


 突然、ケヴィンが咳込んだ。ゲラルツは妹を抱きかかえたまま、咄嗟に水差しをとって弟の口につけてやった。僅かに、本当に少しだけの水を飲むとケヴィンはけふけふと息をついて寝台の枕にもたれかかった。


「アンネ」

「なに、ケヴィンにーちゃん?」

「お外のおばあちゃんのところに行って、お菓子をもらっておいで」

「おかし! うん!」


 扉も開けっ放しのまま、外に飛び出していったアンネを見送ったケヴィンは外を見たまま少し笑みを浮かべていたが、やがてその口元に赤いものが混じった。


「ケヴィン!!」

「大丈夫。いつものこと、だから。でも、アンネにだけは見られるわけにはいかない」


 怖がらせてしまうから、とケヴィンは言いつつ口元を拭った。化粧のようにどす黒い赤の線が頬に引かれた。


「お前、やっぱり具合が」

「大丈夫だって。ウィレに来てからずっとこんな感じだから……」

「大丈夫じゃねえだろ! 待ってろ、すぐ医者を呼んできてやる」

「兄ちゃん」


 部屋を飛び出そうとするゲラルツの腕が掴まれる。ケヴィンの枯れたような腕のどこに力があるのかと思う程、恐ろしい力で引き留められた。


「呼ぶのはいい、けど、待って」

「お前……」


 ケヴィンは静かに手を離した。寝台に向き直るゲラルツの目をまっすぐ見据える。


「アンネを守ってあげて」

「……っ」

「おれがいなくなったら――」

「うるせぇ! ふざけんな馬鹿野郎!」


 ゲラルツは言葉を待たなかった。ひどい顔をしていると自覚しながら、彼は吼えた。


「お前はよくなる。兄ちゃんが絶対、絶対に腕の良い医者見つけてきて、モルトにいるブロンヴィッツも叩っ殺して、お前らをモルトに連れて帰ってやるから!」

「わかってる。それでも、次に会う時は、俺、もっと弱ってるから」

「じゃあ……! お前が弱っちまう前に、戦争を終わらせてやる!」

「本当に?」

「ああ、本当だ。俺が約束破ったことあったか」

「ない」

「なら、兄ちゃんを信じろよ。ちったぁ」


 「へへ」ケヴィンは笑った。「それでこそ兄ちゃんだ」。

 そう言って、寝台に真っ赤な花が咲いた。


 数刻後、管理局オフィスから出て来たゲラルツはふらふらと入口をくぐって外へと出た。塀の中では、管理局の伝手で派遣された医者と看護師が弟を見ているはずだ。

 空は暗くなっていた。行くあてもなく、出入り口の横の壁にもたれかかった。


 モルトからの亡命以来、元来丈夫でなかった弟は病気がちになっていった。ノストハウザンの戦いの後からは、一日中を寝台で過ごすようになっていると、ゲラルツは管理局からの手紙で知った。

 南部の戦いが終わった直後には面会に駆け付け、何人もの医師に診せた。それでも原因がわからない。ただ臓器が弱っていくばかりで、医師たちはやがて「異なる惑星の環境差によるもの」と結論付けたが、そんなものは何の解決にもならなかった。


――星を追われたモルト系移民の半数が、宇宙追放後の最初の5年で亡くなった。


 モルト・アースヴィッツに住む者なら誰でも知っている歴史だ。今ならその意味が分かった。異なる環境に放り出された人間は弱い。あの歴史の言葉がそのまま再現されている。「ウィレからモルトへ」が逆になっただけだ。


 モルトの"清浄"な空気を吸って、やっと生きてきたような人間にウィレの空気は汚れきっているのだ。


 それさえ知っていればと悔いた。知っていたとしてどうすると恨んだ。

 ケヴィンとアンネ、そして自分をウィレに追いやった現実。

 その現実に対して自分はあまりに無力だ。だから――。


「全部、全部ぶっ潰してやる」


 ゲラルツは己の腕を抱いた。

 自分の家族を地獄へ追いやった"敵"への憎悪が沸き上がってくる。


「全部、全部ぶっ殺してやる」


 その腕に力がこもった。肘の皮が破れ、血が滲んだが、痛みさえ感じなかった。

 肉が裂ける寸前、突然声が響いた。


「よー!!」


 声に驚き、腕を下げる。痛覚が息を吹き返し、肘に鈍い痛みを与えたが押し隠した。声の主に対峙すべくそちらを向くと、管理局正面入り口の階段を誰かが駆けあがってくるのが見えた。


「ここだと思った!」

「リック」

「よう。行くとこないんだろ?」

「うるせぇ、なんでこっちへ来んだよ」


 リックは屈託のない笑顔を浮かべて胸を反らした。


「オレっちの兄貴な、ここで働いてんの」


 「はあ?」と思わず間抜けな声が漏れた。リックはその手に保温用の断熱材でぎらぎら光る袋を下げていた。


「で、これが弁当。ちょっと届けてくっから、待ってろよー」


 言うが早いか、リックは会談を駆けのぼって中へと入って行った。


「なんなんだアイツ……」


 呆れて見送ったゲラルツが、どうこうすべきか思案を巡らせるよりも前に、リックは受付に弁当を託した様子ですぐさま戻ってきた。


「なあゲラルツ――」

「んだよ……」


 最悪の休暇だ。こんなところにまでひっつき虫がついて回るとは思わなかった。


「うち来る?」

「行かねえよバカが!!」


 思わず声も険しく、鋭くなる。いつものリックなら肩を竦めて逃げ出すところだ。

 だが、彼は後ずさりもせずに、いつものようなへらへら、ぐにゃぐにゃした笑みも浮かべずに、ゲラルツをまっすぐ見た。


「ひでえ顔、してんぜ」


 ゲラルツはリックに殴り掛かろうと拳を振り上げ、下ろした。


「な、うち来いよ。こっから近いんだ。シュトラウスに宿取るより安上がりだし」


 腹が立つ。

 いつの頃からか、リックは男らしい笑みを浮かべるようになった。


「家族さんとも、少しでも長く会いてえだろ」


 言ってリックは前を歩き出した。

 ゲラルツは少しだけ躊躇い、その後ろへと着いていった。絶対に横には並ばない。ただ、静かに目頭を押さえて、ついて行った。


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