第五章 英雄少年と傷だらけの獅子 -地上戦完結編-

第1話 鉄の狼、南進す

 東大陸が落ちた。

 惑星ウィレ・ティルヴィアにおける地上戦の趨勢は決し、モルト軍の敗色はもはや隠せない。勢いに乗るウィレ軍は陸、海、空の全ての戦場で大反撃を敢行し、大陸歴2718年の冬までにモルト軍は西大陸を完全に包囲される形となった。


 その最中。一人の男がウィレ軍を相手に一歩も退かず戦い続けている。


 大陸歴2718年12月1日。モルトランツより南に1200カンメル地点。

 西大陸中部ホーホゼ農耕地帯。モルト軍野戦司令部。


 ウィレ軍の反攻は苛烈を極めている。西大陸でもっとも平和な場所と言われた大陸のど真ん中「ホーホゼ農耕地帯」の田畑はウィレ軍の大陸間弾道弾、巡航弾の攻撃によって炎に包まれ、至る場所で火と灰が舞っている。


 その焼けた砂を踏み、モルト軍将校の制服を着た男が「まるで煉獄だな」と呟きながら歩いていく。その先には幾らかの軍用品でつくられた集落のようなものがあった。そこが彼らの司令部となっている。


「――西大陸南西部にウィレ・ティルヴィア陸軍の上陸を確認しました」


 簡易な天幕で造られた司令部に痩せぎすな体躯の将校の報告が響いた。

 天幕中央に置いた大机に敷いてある地図から目をあげた将官は短く頷いた。この男こそ、ウィレ・ティルヴィア軍二個軍四十個師団に対し、たった一師団を率いて戦い続けるモルト軍司令官である。


 その名は――。


「――グレーデン閣下。敵の攻囲は厳しいものです。それでも南進なさいますか」

「無論だ。ケッヘル少佐」


 灰色髪のモルト軍大将、ヨハネス・クラウス・グレーデンは西大陸における最後のウィレ・ティルヴィア侵攻部隊の司令官として、すでに三か月に渡り、西大陸南部から押し寄せるウィレ・ティルヴィア軍の攻勢を食い止め続けている。


「防衛と反攻を両立するなど、正気の沙汰ではありませんな。まして、一師団にそれをやらせるとは――」

「それは今も昔も変わるまい。この師団は当初から無茶な任務ばかりこなしてきた」


 グレーデン師団。その名はもはや率いる将軍にちなんだ一俗称ではない。"鉄の狼"と渾名される将軍が率いる師団は、いまやウィレ軍にとって最も恐れられる師団となっていた。


「我々は傷つき果て、東大陸から逃げ帰ってきた敗残師団のひとつに過ぎなかった。だが、それでも士気は高い。再編によって兵力も充実している。今や西大陸の防衛を担えるのは我らしかいない」

「やれますか。閣下」

「やるのだ。それに、我らには成し遂げねばならないことがもう一つある」


 主であるグレーデンの言葉に対して、ケッヘルは軍帽を脱いで脇に抱え、休めの姿勢をとった。その顔は東大陸にいた頃から、より峻厳さが増した雰囲気さえ漂わせている。文官然としていた師団長副官は確実に参謀の面構えへと変貌していた。


「……グレーデン師団機動戦隊の復活。ですか」

「そうだ。これほどの敵の攻囲にあっては、我らもそれを突き破るための衝角を持たねばなるまい」


 「どうだ」とグレーデンは問うた。


「キルギバート大尉らの消息は掴めたか」

「いえ。最後に交信があった昨月25日以来、応答はありません」

「だろうな。敵軍の真っただ中に不時着した地点にいつまでも居座れるわけがない。装備も十分でない以上は潰走したと見て不思議はない」

「閣下、進言をお許しくださいますか」


 ケッヘルの言葉に、グレーデンは軍帽の目庇を傾げて応じた。


「キルギバート大尉らの生存は絶望的です。あえて申し上げます。この南進が彼らを救出するためのものなのであれば、我らは南進せず戦力を温存すべきです」

「だろう、な」


 グレーデンは言いつつ、天幕の外に向かって歩いた。すでに日は落ちかけている。


「日が落ちるな」

「昨日より日没は十分ほど早いものと」

「夜戦の用意だ」

「閣下?」

「夜間の戦闘をウィレ軍は嫌がっている。それを利用して南東部へと進む」


 ケッヘルは眉をひそめ、それから呆れたかのようにそろりと息を吐き出した。主である将軍の言葉が意味するところが、鋭敏な副官にはわかってしまう。


「苦労をかける、少佐。だが、私の答えは決まっている」


 グレーデンは藍色に染まっていく空を見た。火の粉はより黄や赤の色を強くして空に舞っている。


「あの日、ノストハウザンで散らせた戦友たちへの誓いなのだ。もはや誰も見捨てはしない」


 グレーデンは言うと、机の上に交差するように組んでいた革の手袋を取り上げた。

 そうして彫りの深い顔に自嘲とも不敵ともとれる笑みを浮かべて頷いた。


「私のグラスレーヴェンを出せ」


 天幕からグレーデンは駆け出した。その周囲に、鉄の軋む音を立てて次々と巨人たちが立ち上がった。


「師団総員に告ぐ、ウィレ軍四十個師団、その喉首は我らが食い破る」


 吼えるように剣を掲げるグラスレーヴェンの集団を統べ、"鉄の狼"は叫んだ。


「"狼"諸君、出撃だ」


 この夜、グレーデン師団はウィレ・ティルヴィア陸軍を相手に十三時間もの激戦を展開。物資、燃料集積所を襲撃されたウィレ・ティルヴィア軍は四十倍の兵力を有しながら散々に攪乱され、ついには後退することとなった。


 後に"ホーホゼ夜戦"と呼ばれた局地戦はモルト軍の大勝に終わった。

 ヨハネス・クラウス・グレーデンはゲオルク・ラシン以来途絶えていた"モルトの名将"としての名をより高めることとなったのである。

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