第36話 顛末-秘密-
もはや古戦場となったベルクトハーツでは大雨が降り続いている。
カザト・カートバージはアーミーから降りた。戦いも終わり、市内にあてがわれた宿舎の部屋の窓から雨の降る街並みを見下ろしていた。
「よお、また大雨だな」
聴き慣れた陽気な声にカザトは振り向いた。扉を押し開けながらリックが入ってきている。
「リック」
「オレだけじゃないぜ」
リックの背中越しに、腕を組んだまま壁によりかかるゲラルツの姿が見えた。カザトの部屋を彼が訪ねてくるなど、今までなかったことだ。
「オレはリックについてきただけだ」廊下に立っているゲラルツは無愛想に言った。
「まぁ、入ってくれよ。外は寒いだろ」
北方州の夜は、
「やっぱりお前は雨男だな。戦いの後はいつも大雨だ」
「自覚はしてるつもりだよ。隊長やファリアさん、エリイは一緒じゃないのか?」
「隊長は後始末で忙しそうで、エリイはアーミーの調整中。ファリアさんはシュトラウスに出てった」
「え、なんで?」
「隊長の代わりに国防総省へのおつかいだって。それと……あの人、公都に弟さんがいるんだってさ」
カザトは目を丸く見開いた。隊の姉的存在とも言える彼女に弟がいるなど、初めて聞いた。
「お前どこでそれを知ったんだ?」
「出てく直前のファリアさんにたまたま出会ってよー。教えてくれたんだ」
カザトは納得しつつ、少しだけ憮然とした。ファリアと自分も大抵の付き合いの長さになるが、今まで教えてもらったことなど一度もない。リックはこうやってふらふらと人の所へ顔を出しては自分の知らなかった情報や噂話を持ってくる。正直、ずるいとさえ思う。
「弟さん病気らしくって、あんまりよくないんだって」
それを聴いたカザトは「そうか」と零すような声を漏らした。戦いが終わった今しか見舞いに行く機会はないだろう。次の戦場がどこであれ、ウィレで戦闘が続く限りは休暇に恵まれる望みは少ない。ファリアは常に何かを抱えて戦っているように見えたが、それは病に侵された家族のことだったのだろうか。
「ファリアさん、言ってくれてもいいのに……」
「なんでだよ」低いゲラルツの声に、カザトは振り向いた。
「なにが?」
「なんでテメェにファリアさんがそんなこと話さなきゃいけねぇんだってことだ」
相変わらずゲラルツの語気には毒がある。だが、以前ほどの険は感じられない。それでもカザトはこうして睨まれると、時々たじろいでしまう。
「何故って、そりゃぁ仲間だろ。何か力に――」
「テメェ、忘れたのかよ」
「人には言いてぇことと話したくねぇことの一つや二つあんだよ」
ゲラルツの言葉は痛いほどに正論だった。言葉に詰まるカザトに対して、ゲラルツは背もたれをギィギィと鳴らしてふんぞり返っていた。
「ま、テメェがお人好しなのは知ってるが。あんま首突っ込むとうぜぇんだってことは覚えとけ」
「……ああ、そうする」
湯が沸く音がして、カザトは鉄瓶を取り上げた。備え付けのカップを取り出して机の上に置くと、湯を注ぎ、その上からたっぷりと蜜を注いだ。出来上がった蜜湯をふたりに手渡し、自分は寝台の上に腰かける。
「明日は解放記念の式典とかやるらしいぜ。祭りならパーッと休暇とか」
「それはねぇな」
浮かれるリックに対して、ゲラルツは素っ気なく答えた。
「なんでだよ?」
「ベルクトハーツはベルツ・オルソンの北方州軍の根城だろ」
「どういうことだよ?」
首を傾げるリックに対して、カザトは合点がいった様子で頷いた。
「ベルクトハーツは北方州軍が解放した。そう見せるためにも、俺たちの姿は邪魔ってことか?」
「そういう事だ。追っ付け命令が届いて、俺たちはとっととベルクトハーツから追い出されるだろうな」
「なるほどぉ。……って、それじゃあオレたちの役目は?」
「北の連中の尻拭いが終わった今、用済みだ」
「いや……だがよぉ、ゲラルツ」
リックは納得しきれない様子で腕を組んだ。カザトも膝の上で手を組んだ。同じウィレ軍として戦ったのに、邪魔者扱いではやりきれない。
「考えすぎだろ、さすがに今日や明日ので――」
むくれかけるリックが何か愚痴ろうと口を開いた瞬間、扉が開いた。
「邪魔するぞ。ここにいると聞いたんでな」
次に部屋へと入ってきたのは、彼らの隊長であるジスト・アーヴィンだった。いつものように煙草をくわえて、部屋の扉の枠へと寄り掛かるようにして立っている。
「隊長、ここは全館禁煙ですよ」
「細けえこたぁいいんだよ」
"不良中年"というリックの呟きが背後から漏れたが、カザトは聞かなかったことにし、気を取り直した。
「隊長、何か用ですか?」
「明日の朝にシュトラウスへ帰るぞ」
カザトとリックは目を丸く開いた。ゲラルツだけが「ほらな」と言って椅子の上で行儀悪く足を組んだ。ジストは大方、彼らが何を話していたのかを察した様子で頷いて見せた。
「お前ら。次の戦場が決まったぞ」
カザトは背筋を伸ばした。
「西大陸南岸。ここから北部まで駆け上がる。任務はいつも通り――」
「戦線に穴を開けること、ですか」
「そうだカザト。ファリアと公都で合流したら準備にかかる。そのつもりでいろ」
ゲラルツがカップの中身を一気に飲み干した。
「短い休みだったな」
「違うぞゲラルツ。元から休みなんてものは存在しない」
ジストは紫煙をくゆらせた後、煙草を噛み潰した。
「ウィレからモルトの奴らを追い出さない限りな」
カザトは立ち上る煙をわけもなく見つめた。それが、ベルクトハーツの戦いの最後に散って行った敵のパイロットの爆炎に重なって見えた。
あの時、自分は確かに聴いた。
――さらば、
敵は自分たちの事を"友"と呼んでいた。しかしカザトは理解できない。"友"だと言いつつ、彼は何故戦う道を選んだのだろう。彼はむしろ喜んで散って行ったようにさえ見えた。生きることより、死ぬことを選んで挑んできたように思えた。
死んでしまえば全て終わりだ。カザトはそう思っている。
モルトのように軍神という存在を信じる信仰の文化は、ウィレには存在しない。
いやかつて存在したのだろうが、廃れてなくなってしまった。全てを終わらせる"最終戦争"。二百年前の世界戦争で惑星に住む者達は気付いてしまった。"神など存在しない"と。もはや信仰とは古く錆びて、見向きもされずに苔むした"廃墟"でしかない。
だが、モルトの人々は違う。
――彼も同じなのだろうか。分かり合えたとしても、それでも殺し合う道を選ぶのだろうか。
カザトは戦場で出会った敵である青年――キルギバートと彼は名乗った――の姿を思い浮かべていた。風になびいた銀の髪、その背中はやがて、天井に消えていく紫煙とともに霞んでいった。
そして、ベルクトハーツから離れた公都シュトラウス。
宵闇に閉ざされた国防総省の最奥部。高給将官のみが出入りを許された司令部に、ひとりの士官が立っていた。色素の薄い金の髪、明るい黄色の瞳が闇の中で光っている。瞳の奥には仄暗い光が揺れていた。
「貴官を待っていた。ファリア・フィアティス少尉」
呼ばれたファリアは背筋を伸ばした。だが、その表情は戸惑うようであり暗く冴えないものがあった。やがて奥の革張りの椅子が回転し、座っていた男が姿を現した。
「約束を果たしてもらうぞ」
「わかって、います」
暗闇から出て来た男。
それは北方州軍の頭目ベルツ・オルソン大将だった。
「では、渡してもらおうか」
うつむくファリアは僅かずつ、本来関わりを持つことのなかった男へと歩み寄っていく。
「その秘密をな」
ベルツは喉をならして低く笑った。
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