第35話 惜別の豪雨


 砲声は絶えた。


 普段は戦勝に歓声を上げるウィレ陸軍第一軍司令部は静けさに包まれていた。粛然としているとさえ言っていい。彼らは一人として敵軍を悪罵しなかったし、白い歯を見せて勝利に笑うこともなかった。敵将、オルク・ラシン、ライヴェ・ラシンの死がそうさせている。勝利者となった彼らはむしろ敵の死を悼むようでさえあった。


 しかし、前線の兵士たちは対照的だった。東大陸最後のモルト軍の牙城を攻め落とした高揚に酔い、至る所で大騒ぎをしている。国旗にあたる青地のウィレ・ティルヴィア惑星旗を宇宙港管制塔に掲げ、酒を飲み、モルト軍が残した軍債の束をばら撒いて憂さを晴らした。勝利を謳うウィレ・ティルヴィア兵の姿は、10か月前には想像もできなかっただろう。彼らは宇宙最強を誇ったモルト軍を破り、故郷をこの手に取り戻したのだ。


 アーレルスマイヤー大将とヤコフ・ドンプソン参謀長が戦場の検分を行ったのはその日のうちのことだった。ウィレ・ティルヴィア軍将兵、特に第一軍の兵士達は歓呼で勝利者を迎えた。同じように北方州軍も勝利を祝いはしたが、彼らはアーレルスマイヤーには無関心で、戦場に己の勝利の痕跡を刻むことだけに執心していた。


 そして、勝利したアーレルスマイヤーの表情は晴れなかった。


「血を流しすぎましたな」


 ヤコフ・ドンプソンも珍しく神妙な面持ちで呟いた。


「その通りだ」


 アーレルスマイヤーは短く応じた。


「勝ち方だけで行けば、ノストハウザンの方がまだマシだった」

「敵軍が降伏しなかった以上、ああするより他にありません」

「これを西大陸でも繰り返すのか?」


 その語気は険しかったが、ヤコフはやんわりと受け流すようにして肯じた。


「そうしたくはないですが、そうせざるを得ないのが現状でしょう」


 アーレルスマイヤーは不意に立ち止まった。その先に、真っ白に燃え尽きたグラスレーヴェンが二機、佇んでいる。それはベルクトハーツ宇宙港の中央に位置していて、まるで戦死者たちの墓標のようだった。


「……」


 いや、墓標そのものだ。座り込んで燃え尽きた機体は、ライヴェ・ラシンの棺である。アーミーを脇へ抱え、立往生を遂げた機体はオルク・ラシンの棺となった。彼らの遺骸はない。燃え尽き、灰すらも残らなかった。撤去するにも、鋼鉄の塊が幾重にも絡んでいる。容易ではない。


 敵将は死んだ。だが、人為の及ばぬようになってなおも、己の死に様を見せつけている。


「ドンプソン参謀長」

「何でしょうか、閣下」


 アーレルスマイヤーは真っ白に燃え尽きた機体を見上げた。

 その先にある空は分厚い雲で覆われ始めている。


「本当に我々は勝利したのだろうか」


 ヤコフは僅かに肩眉を上げた。


「さて、どうでしょうか」

「我々はもしかすると――」


 アーレルスマイヤーが僅かに俯いた刹那、軍靴が鉄の塊を踏む音が響いた。見れば、北方州軍の兵士たちがかつてライヴェの乗機だったグラスレーヴェンに足をかけてよじ登ろうとしていた。ヤコフは「やれやれ」と眉をひそめた。参謀陣の中には露骨な不快感を露わにする者もいた。

 勝利に浮かれる者の周囲には、後から追いついた報道中隊のカメラがひしめいている。彼らはベルクトハーツ陥落の象徴を一つでも多く記録しようとしているのだろう。アーレルスマイヤーはそれを黙認しようとした。どんな戦いでも、勝利した戦場や攻め落とした街ではああした征服的な場面は繰り広げられるものだ。


 彼らはオルクの機体にもよじ登った。そうして司令官が見ている前で、装甲の継ぎ目に竿を差し、何かを括りつけた。


 曇天にウィレ・ティルヴィア軍旗が翻った。グラスレーヴェンの肩を覆うようにしてウィレ・ティルヴィア軍の青旗がはためく。北方州兵たちは機上でウィレ・ティルヴィア惑星歌を歌い、装甲を踏み鳴らして躍った。その様子を見ていたアーレルスマイヤーの表情がこわばり、目が怒るようにして吊り上がった。


「やめよ!!」


 アーレルスマイヤーが怒声を発すると同時、雨粒が地面に落ちた。それは二つ三つと土を叩き、数秒後には桶を返したような豪雨に変わった。泣くような大雨に、機体に登った兵士たちはたじろいだ。雨を吸った惑星旗は翻るのをやめて、うなだれるように垂れ下がった。


「勝利者の振る舞いではない」


 唖然とする報道中隊の記者たちと、勝利を喜ぶのを咎められて立ち竦む兵士と、睨み据えるアーレルスマイヤーの間で沈黙が起きた。雨はますます激しさを増していた。


 ぽつりぽつりと、地面を踏む足音がした。

 アーレルスマイヤーが振り返ると、ヤコフ・ドンプソンの後ろから一人の参謀将校が歩いて来ている。革製のロングコートを着て、顔は目深に被った軍帽と、掻き消すような大雨でわからない。


「――」


 それが誰かわかったのは、すれ違う刹那だった。


 シェラーシカ・レーテだった。


 燃え尽きたようにくすんだ色に変わってしまった亜麻色の髪を雨に濡らして、光のない瞳のまま、ゆっくりとアーレルスマイヤーを通り越していく。ヤコフが何かを言いかけて、口をつぐんだ。彼女はゆっくりと燃え尽きた機体へと歩いていく。

 じゅく、と何かを踏む音がしてシェラーシカは俯いた。そこには雨によって地面に貼りついた黒と銀のモルト軍旗があった。シェラーシカは膝をつき、泥で汚れることも厭わず軍旗を取り上げた。腕から足先まで泥まみれになりながら、軍旗を両手に持ってかつてオルク機だったものの足元へと歩み寄る。


 シェラーシカは、その軍旗を機の足元に掛けた。それから数秒の間を置いて、彼女は軍帽を取り、脇へと抱え、静かに踵を合わせた。手を額まで持ってゆく。真意に気付いた報道中隊のカメラマンがただひとり、機体の後ろへと回りこんだ。


 そして、歴史が撮影された。


 豪雨の中、敵将の"遺骸"の前で敬礼するシェラーシカ・レーテの姿は、ベルクトハーツ陥落の象徴となった。

 そしてこの日、ウィレ・ティルヴィア軍は北方州都ベルクトハーツに入城し、東大陸の解放を宣言した。

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