第29話 ベルクトハーツ決戦-戦線を穿つ者たち-
「シャトルが上がってる」
ウィレ・ティルヴィアのアーミーパイロット、リック・ロックウェルは彼の愛機の中から空を見上げ、焦れたように呟いた。
彼らラインアット隊はウィレ陸軍第一軍の後方にある。キルギバート率いるモルト軍機動戦隊と相打ち同然となり、損傷著しい機体を修理するために前線から下げられて出撃が遅れたのだ。
「早くしないと終わっちまうぜ、おっさん!」
「うるせえ。……どのみち、間に合わん。この戦いは終わりだ」
「なんで?」
答えたのはカザトだった。
「モルト側の砲撃が減ってる。必要な分まで逃してるんだ」
ジストは少しばかり目を見張った。その通りだ。射程圏外から数百、数千の野砲で攻撃を加えるウィレ軍に対して、モルト軍の反撃の砲火はその一分にも満たない。宇宙へと駆け上がり続けるシャトルに乗せているのが人員と物資であればモルト軍は反撃に必要な兵力も全て捨ててベルクトハーツを守っていることになる。
「だから……もう長くない」
ジストはタバコを吹かせた。カザトは目の付け所がいい。状況を大局的に見る目が急速に育ってきている。いずれ、人並みかそれ以上の指揮官になることができるだろう。もっとも、カザト特有の甘さが捨てられるようになればの話だが。
『ラインアット隊全機、聴こえるかい』
聴き慣れた"魔女"の切迫した声に、皆が通信に傾注した。
『楽な戦いと見ていたが、そうでもないようだ』
「……何があった?」言いながら、ジストは煙草の火を揉み消した。
『ラシン家の連中がお出ましだ。そのせいで前方の部隊が散々に苦労している。アーヴィン、隊を率いて西へ行け。そこの戦線を突き崩して連中の横っ腹を突きな』
「了解した。……聴いたかお前ら。ベルクトハーツに突っ込む」
「待ってました!!」
リックが陽気な声を挙げ、ゲラルツが「うるせぇ」と低い声で呟いた。
『カザトさん』
突然入った少女からの通信に、カザトは目を丸くして頷いた。
「どうしました、エリイさん」
『整備は万全だけど、アーミーは怪我をしたばかりです。お気をつけて』
「了解です。なるべく無茶はしないようにします」
カザトはそこでエリイの様子が普段と違う事に気付いた。いつもならこの流れで、リックやゲラルツに天真爛漫な毒舌を吐くが、今日に限ってしょげている。
「エリイさん、どうしました?」
『えっ』
「元気ないというか、いつもと何だか違うなって」
『そそ、そんなことないッスよ!?』
慌て、狼狽えながら、へらへらと両手を振るエリイに対してカザトは笑わなかった。ただじっとエリイの瞳を見ている。そんなカザトに気付いたエリイは目を反らして押し黙ると、やがて小さな溜息を吐いた。
『ラインアット・アーミーは完璧のはずなのに……。このところの戦いでカザトさんも、他の部隊のみんなも傷つくことが増えてるのが、申し訳なくって』
カザトは表情を曇らせた。確かにこのところ、アーミーの被撃破率は増えている。戦いが長引いたことにより、グラスレーヴェンがアーミーとの戦い方を覚えてきたためだ。エリイはそれを気に病んでいる。
そういえば、南部戦線でもモルト軍の夜襲でアーミーが傷ついた時、エリイは泣きながら整備に当たっていた。
「エリイさん!」
『は、はい?』
「大丈夫ですから!」
『え?』
「エリイさんの整備は完璧ですから!」
エリイの目が真ん丸になった。カザトは馬鹿がつくほどの真面目な顔で頷いた。
「壊したやつが悪いんです!」
リックとゲラルツがぎょっとした表情を浮かべ、ファリアは珍しく笑いを噛み殺した様子でくすくすと噴き出していた。
『いや、それじゃ……!』
「うまく言えないですけど。後は俺たちの仕事なんで!」
エリイが何も言えず口をぱくつかせている間に、口元を捻じ曲げて聴いていたジストが溜息を吐いて通信画面を小突いた。
「おい、ガキンチョのエリイ」
『ちょ、ガキって!』
「いいから聴け。いいか、完璧な仕事なんてものは存在しない」
鉛を飲まされたような顔で口を閉じているエリイに対し、ジストは珍しく真っすぐに前を向いて続けた。
「お前が机の上で組み上げたものがどんなに良いものでもな。結局は南部の戦いみたいになるし、今の現実はこんなだ」
『……』エリイは黙り込んで俯いてしまった。言い過ぎだろうと咎めたいがジストの言う事は簡潔に過ぎるほどの正論で横槍を入れることすら怖かった。
「それをお前が受け容れない限り改善はない。お前の時間は夏から止まったまんまだ。それじゃ困るんだ」
しんと静まり返った数秒の後、ジストは煙草の火を着けずにくわえた。
「整備は?」
『え?』
「整備はどうなんだ?」
『やれる限りのことは、してる、はず、です……』
「してるはずぅ? どうなんだ」
『最善です! いつだって!』
「なら、それでいいじゃねえか」
ジストの言葉に、エリイは顔を上げた。悪中年然とした隊長は煙草をくわえた口元をにやりと歪めてみせた。
「お前が最善を尽くしたなら、今度は俺たちが最善を尽くす番だ。ひとりで出来る仕事なんて存在しねえ。ましてや、できもしない完璧を追い求めるなんて尚更だ」
その言葉を聴いたカザトの方は目を見開いている。そんなカザトの顔をジストは首を捻じ曲げて見やると「カザトの言いたいことはそういうこった」と呟いた。
「そうだな? カザト」
「え、あ、はい! そうです、その通りです!」
「だ、そうだ。お喋りは終わりだ。出るぞ」
通信画面の向こうで「あひゃひゃひゃ」と変な笑い声が聴こえた。アン・ポーピンズはげたげたと大笑いしながらジストを指差して見下ろした。
『おいおいアーヴィン、珍しく青臭ぇことをやってみせたじゃないかい』
「うるせえクソババア、殺すぞ」
『お前ら、今の通信を記録しときなよ。これから一生かかったってあんな言葉聴けやしないぞ』
「ムカつくババアだ。行くぞ」
ジスト機が発進する。リックがにやつきながら後に続き、その横に苦い表情のゲラルツが続く。カザトは機のスロットルを押し込みながら、再びエリイの顔を見た。
「行ってきます!」
エリイは弾けるような笑みを見せて頷いた。
急加速したアーミーはそのまま、砂塵を巻き上げ、戦場へと突き進んだ。
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