第27話 雪の別れ


 青白い月明かりの下、雪を踏む音が響く。


「もうすぐ、境界線に着きます」女性を背負った男が口を開いた。

「そう、ですか――」背負われた女性は首に腕を回し、大人しく背負われている。

「そこで貴女の所属する第一軍の機甲部隊が待っているそうです」

「私が……帰ったら。また戦いが始まってしまいますね」

「シェラーシカ殿」

「……はい」

「私たちが取った道は変えられない。私は、忠義の道を取った。そして貴女も」


 シェラーシカを背負うシレンの手に力が込もった。


「競わせていただきたい。貴女と、私で」

「シレンさんと、私ですか」

「ああ。どちらが祖国に忠節を尽くしたか。互いに恥じない生き方をしたか――」


 ややあって、シェラーシカも応じた。


「――わかりました。負けませんよ、私も」

「それでこそ、シェラーシカ殿だ」

「それでも……」


 それでも、とシェラーシカは繰り返して目を閉じた。


「今だけは、このままでいさせてください」


 シレンの首にしがみついたシェラーシカの手が深く、胸元まで寄せられる。シレンは赤くなった顔を見られないように俯き、なんとか絞り出すように答えた。


「……私などの、背で、よければ」

「シレンさんの背中は、あったかいですね」


 シェラーシカとシレン・ラシン。ふたりがそれ以上何を語り合ったのか。

 それは後世に伝わっていない。






 そして、軍事境界線に役者は揃った。


 西側にモルト軍のグラスレーヴェンが1機と軍用車、兵士が数人が整列する。

 対する東側に5機の深紅のラインアット・アーミーと、5両の主力戦車が停止した。互いに乗車と機を降りた。


 ウィレ・ティルヴィア側の見届け人はエルンスト・アクスマン少佐及びラインアット・アーミー部隊指揮官のジスト・アーヴィン大尉。対するモルト・アースヴィッツ側の見届け人はウィレ側に近い境界線上にいる。雪で煤を洗い落とし、モルト軍将校として一分の隙も無い佇まいの、銀髪碧眼の青年将校だった。キルギバートは右腰に差した鉈剣の柄を手で押し下げて握る。


 モルトにおいて古式に則った、軍隊の公儀事における姿勢だ。


 シレン・ラシンとシェラーシカ・レーテは互いに並んで歩いて現れた。彼女は少しだけ足を引きずっていたが、苦痛も疲れも見せず、ウィレ・ティルヴィア軍の将校として佇まいを正している。


「ウィレ・ティルヴィア軍の出迎えの将兵にお伝え致す」


 シレン・ラシンの良く通る声が響き渡った。


「モルト軍少佐、シレン・ラシン。停戦協定の見届け人としてお預かりしたシェラーシカ・レーテ中佐を、そちらにお引渡し致す」

「ウィレ・ティルヴィア陸軍少佐、エルンスト・アクスマン。了解した」


 エルンスト・アクスマンとジスト・アーヴィンは互いに頷いて、それから立会人であるキルギバートに視線を送った。キルギバートが口を開いた。


「アクスマン少佐、シレン・ラシン少佐、シェラーシカ・レーテ中佐は小官の前へ」


 アクスマンが戦車から飛び降りてキルギバートの方向へと歩き出す。

 シェラーシカとシレン・ラシンの方が、やや早く辿り着いた。

 声もなく見つめ合う両者の間に、キルギバートが腰を折って割り入った。


「シェラーシカ・レーテ中佐ですね」

「貴方は――」

「モルト・アースヴィッツ軍大尉、ウルウェ・ウォルト・キルギバートです」

「覚えてます。かつて私がモルトに滞在していた頃、ラシン家に出入りしていた御門弟さんですね。そして――」


 シェラーシカの栗色の瞳と、キルギバートの青い瞳が重なった。


「エドラント将軍のことは聞いています」


 キルギバートは目を伏せ、頭を下げた。


「スミス・エドラント将軍はモルトランツ北岸にて私が介錯しました」

「エドラント将軍の最期は?」


 シェラーシカの瞳をまっすぐ見つめ、キルギバートは胸を張った。


「貴軍の撤退を見届けた後。軍人として恥ずべきところのない、立派な最期でした」

「将軍は最後に何か、言っていませんでしたか……?」

「"家族に感謝と、愛していると伝えてくれ"と」


 シェラーシカは涙をこらえ、頷いた。


「私が必ずお伝え致します」

「それと、これを――」


 キルギバートは胸元のポケットに手を入れた。その様子を見た赤いアーミーがたじろいだように火器を上げた。武器を取り出すのかと勘違いしたらしい。


「スミス・エドラント将軍が、最後に身に着けていたものです」


 シェラーシカの手のひらに乗ったそれは、"大佐"の階級章だった。スミス・エドラントという軍人が存在した、この世にたった一つだけの証明だ。ウィレ・ティルヴィア軍上層部に運命を翻弄された将軍は、西大陸に辿り着いた当時の大佐の階級章を身に着けたまま散った。


「感謝します。将軍を、お返しくださって」

「エドラント将軍のことは――」


 キルギバートがぽつりと、呟くように言った。


「これまで忘れたことはありません。……これからも忘れることはないでしょう。一介の武人として心から尊敬しています」


 シェラーシカは頷いた。

 キルギバートは頭を下げ、自ら再び距離を取って立ち直した。その前へとエルンスト・アクスマンが到着する。ウィレ軍、モルト軍が互いに相対する形となる。

 シェラーシカがゆっくりと歩き出した。シレンのもとを、離れてゆく。

 そのままアクスマンの横へと着き、三者が互いに向かい合う。立会人を除いたそれぞれが敬礼を交わした。


「協定の執行を確かに見届けました。これにて停戦期間の終了と致します」


 キルギバートが宣言し、腰に手を伸ばした。信号弾を詰めた拳銃を手にし、それを空へと打ち上げる。黄色い光が丸く空に咲いた。ゆっくりと上昇した照明弾はやがて重力に従って地面へと落ちながら、地上の両軍に停戦の終了を告げるだろう。


 空が白む。じき、夜が明ける。


 はやったような砲声が鳴った。やがて一発の砲声は、二、三と連なり始める。


 この戦争における唯一の休戦が、終わりを告げた。



 アクスマンとシェラーシカ、そしてシレン・ラシンは背を向けて歩き出した。


「シェラーシカ殿」


 砲声にかき消され始めた戦場に、シレンの声が響いた。

 シェラーシカが勢いよく振り向いた。振り向いた先で、シレンは腕を上げかけ、それから軍帽を取った。父親に風貌の似てきた青年は、それでも父親とは違う、彼だけの穏やかな笑みを浮かべた。


「幸運を」


 彼は敬礼しなかった。彼女を答礼させるため、引き留めることになってしまう。その想いがわかってしまうシェラーシカの瞳に涙が滲んだ。それでも泣くことはせず、見送りに立つモルト軍将校の姿を瞳に焼き付けて、頷き、再び背を向けた。


 二人は歩き出した。

 振り向くことは、二度となかった。



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