第26話 出迎え任務
月明かりに照らされた紅の鋼鉄の塊―ラインアット・アーミー―の上では、ふたりの男が相別れようとしているところだ。
「降ろせ、もう歩ける」機体の手の上で、銀髪碧眼の青年が立ち上がった。
「なあ……、もう行くのか?」胴体の装甲に亀裂が入り、剥き出しとなったコクピットから少年に近いウィレ兵が訊ねた。
「もう、とはなんだ。俺の原隊は向こう側だ。さっさと降ろせ」
銀髪碧眼の青年は問いにも答えずに背を向けたままだ。
「おい、キルギバート」
すかさず、青年――キルギバートは振り返った。
「気安く呼ぶな」
シュトラウス語を話すモルト青年の表情は剣呑で、口調もきつい。
それでもウィレ・ティルヴィア人の少年はめげずに歩み寄ろうとしている。
「ああ……そうだな。悪い」
詫びるカザトに対し、キルギバートは露骨なまでに眉根を寄せて口を開いた。
「停戦中とはいえ、我々は敵同士だ。敵兵に慣れ合われる筋合いはない」
「――そうかもしれない。だけど」
カザトが何事かを言いかけたその時、アーミーの通信が鳴った。
『カザト、敵とのお喋りはそこまでにしろ』
「隊長……」
『お前の機体の手の上にいる大尉を、モルト軍に引き渡せと命令が来た』
「了解しました。彼を連れて行くんですね」
『いや。正確に言えば違う。俺たちはこれからある人を迎えに行くんだ。その大尉には立会人になってもらう。戦時協定を順守して停戦を終わらせたかどうかをな』
カザト機のコクピットは損壊していて、通信画面は点灯しない。音声だけの通信だが、ジストが煙草を揉み消す音がはっきりと聴こえた。それだけ今夜は静かなのだ。砲声もなく、兵士の怒号も聴こえない。
夢のようだとさえ思う。赴く先全てが騒々しい戦場の音響に支配されていた毎日とは違う。
『おいカザト、聴いてるか』
「は、はい。隊長」
『ぼけっとすんな』
「してません! ……それより、我々は誰を迎えに行くんですか?」
『第一軍作戦参謀部のシェラーシカ・レーテ中佐だ』
「"
カザトの声が上擦った。
『マジか!! すげぇ、サインもらわないと!』
それまで黙っていたリックも割って入った。
『うるせぇリック。寝てたんじゃねえのかよ』ゲラルツが毒づいた。
『寝るかゲラルツ! シェラーシカをナマで見られるなんてすげえんだぞ!』
『ただのオンナじゃねえかよ。すげぇもクソもあるか』
『あーあ、これだからゲラルツは――』
『んだとぉ』
「黙れクソガキども」とジストは低くどすの利いた声で脅した。
カザトはそれどころではない。郊外とはいえシュトラウス育ちのカザトにとって、シェラーシカ・レーテとは誰もが知る"有名人"だ。戦争が始まる前からシュトラウス市民からは熱狂的な人気を誇る女性で、
戦争が始まってからは西大陸の戦い、その後の議会演説で名を高め、シュトラウスでの反攻の立役者としても知られる。そして何よりも――。
『――俺たちラインアット隊の生みの親だ。丁重にお迎えしろよ』
『……それはむしろ隊長の仕事なのでは?』
ファリアが通信に割って入った。
『ファリア、余計な事言うんじゃない』
『仕事に関しては余計だと思いません。隊長の職分です。仕事してください』
『言うようになったじゃないか』
笑いながらジストが煙草に火を着ける音が聞こえた。『迎えの最中は禁煙でお願いしますよ』とファリアが咎めているが、カザトの胸は高鳴るばかりだ。敵軍と停戦交渉に赴いた有名人を自分たちの部隊が出迎えるのだ。光栄に過ぎる。
「おい!!」
カザトは我に返った。機体の制御がおざなりになっていて、キルギバートが掌に掴まってぶら下がっていた。慌てて機体の腕を上げ直す。
「す、すまない!」
「殺す気か! そうなんだな!?」
「ちがう、そんなつもりは――」
「やっぱりお前たちは敵だ……!」
言いつつ、キルギバートは手の平の上に戻った。胡坐をかいて座り込み、前を向く。
「お前の仲間が迎えに来るって!」
「――そうか」
「みんな生きていて、無事だって! よかったな!」
キルギバートは前を向いたまま振り向きもしない。
「そうか」
繰り返す言葉が軟らかくなったような気がして、カザトは少しだけ安堵した。
ほどなく、軍事境界線上にラインアット隊は到着した。その場に着くと、キルギバートはさっと身を翻して機体の手から雪面に降り立った。
カザトも駐機させて、機から身を乗り出す。すでに機から降りたジストが、キルギバートと何かを話していた。恐らく、先ほどの"役目"を伝えているのだろう。淡々としたやり取りの後でキルギバートとジストは敬礼を交わした。
そのまま、キルギバートが背を向けて歩き出す。
「キルギバート!」
「……なんだ」
「また、どこかで会えるよな」
キルギバートは沈黙した後、一度だけ頷いた。
「また会うとも。無論、戦場でな」
「今度会う時、俺は――」
「そうだな。今度会う時は……決着を着ける時だ」
それだけ言って、キルギバートはカザトから遠ざかって行き、軍事境界線の真上に立った。それきりカザトの方を見ることは二度となかった。
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