第24話 王と御者と道化


「何故ですか、国家元首」


 オルク・ラシンとの通信を終えたブロンヴィッツに、シュレーダーは問いかけた。通信画面越しのブロンヴィッツの表情は能面のような無表情で、ただ忠臣と呼んだ部下を静かに見下ろしていた。


「何故オルク・ラシンの要求を呑んだのですか。彼の命と引き換えにゲオルク・ラシンの復権など……まるで釣り合いません!! 奴らは何事かを企んでいます。恐らくはウィレに通じ、秘密裏に亡命を――」

「シュレーダーよ」


 崇拝する指導者の平坦にして抑揚がない声に対し、一も二もなくシュレーダーは踵を合わせて応じた。


「は、は……!」

「お前には失望した」


 立ち竦むシュレーダーに対しブロンヴィッツは声音を保ったまま続けた。


「お前が開戦前から掲げていた占領地のモルト化は遅々として進んでおらぬ。さらには抵抗運動の兆しも見え始めていると聞く。軍はお前の指導に対して異議を唱え、私の元にはゲオルク・ラシン元帥を復帰させるよう嘆願書の類が連日届いている」

「それは、我が指導に対して反抗的な輩が―」

「では問おう。何故神の剣を、自儘に抜いた?」


 首筋まで強張らせたシュレーダーは磔にされたように硬直した。


「私はお前に対し、確かに神の剣を管理するよう委ねた。しかし自儘に抜いて振るえとは一度も言っていない」

「しかし元首閣下は、かつてノストハウザンに―」

「そうだ。あの一発であるからこそ、千金の価値があった。それをみだりに振るえば、我らがこの大戦で掲げている大義は如何となる。この大戦の大義とは何だ」


 シュレーダーは顔を上げた。無論わかりきっているという様子で、ブロンヴィッツに挑みかかるようにして口を開いた。


「存じております! "モルト民族を再び、宇宙至高の民族に"」

「違う」


 間髪を置かずに発された否定の言葉に、シュレーダーは狼狽を隠せない。その姿を見てもなお、ブロンヴィッツは一切の情動を見せなかった。


「私がこの戦争によって成し遂げたい事は"全てを等しくする"ということだ」

「それは―」

「ウィレとモルトの地位、全惑星市民の尊厳、政治・経済・軍事の均衡……。この大戦が起こるよりも前の宇宙では全てが不平等にして不条理であった」


 だからこそ、とブロンヴィッツは続けた。


「――私は立ったのだ。そして、その大義ある戦において宇宙に平等をもたらすものこそ、宇宙からの光の剣でなくてはならぬ」


 恐懼するシュレーダーをブロンヴィッツは睨みつけた。


「ノストハウザンの戦いで神の剣を抜いたのは確かに大きな賭けであった。だが、結果を見ればどうだ。この宇宙の各国家は、未だモルトに背いたか。軌道上は誰のものか。シュレーダー、答えよ」

「国家元首の統制の下……未だ宇宙はモルト率いる宇宙市民、そして水の惑星ウィレ・ティルヴィアの二陣営に保たれております。軌道上は未だ、我らモルト・アースヴィッツ機動艦隊が掌握しております」

「なれば問う。シュレーダー。たかだか一つの宇宙港に対して二発も砲撃を加えれば、ノストハウザンへの初撃の価値はどうなる。惑星ヒーシェ、ルディの各陣営はどう思うか。敵陣営たるウィレ首脳部はどう考える」


 シュレーダーは言葉に詰まった。その通信の向こうで、ブロンヴィッツが立ち上がった。元首にのみ許された杖を振り上げ、足元に突き立てる。


「もはや私を宇宙の統治者とは思うまい。核をいたずらに振り回し、国家を亡ぼした愚劣な旧時代の国家指導者と同列に見なすであろう。味方ですら我らの気を損ねれば己も撃たれると思うであろう。ウィレ軍は死に物狂いで宇宙へ上がってくるであろう」


 杖が地に突き付けられる音が鳴るたび、シュレーダーは自分の身が打たれたかのように首を竦ませた。三十余年に渡って生きてきて、これほど国家元首の勘気を被ったことがなかった彼の衝撃は大きすぎた。


「シュレーダー、この罪、如何にして贖う」


 シュレーダーはその場に跪いた。


「お許しを! 我が元首っ、お許しください! 私が浅はかでした! 元首閣下の威厳をあまねく宇宙に知らしめるために行ったのです!!」

「シュレーダーよ、私が訊いているのは罪の贖い方だ。謝罪ではない。お前は私の大義に汚泥を擦り付けた。その償い方を問うているのだ」

「あ、う……」


 終わりだ。シュレーダーは確信した。どうあってもブロンヴィッツが自分を許すことはない。お終いだ。次代の国家元首の座も、何もかもが消えてゆく。自分もゲオルク・ラシンや先々代の参謀総長ローゼンシュヴァイクのように追放、いや、悪くすれば命をもって―。


 もはや――。


 シュレーダーがそこまで思いつめた刹那だった。


「そこまでになさいませぇ、我が主」


 久しく聞かなかった奇矯な声に、シュレーダーはびくりとして顔を上げた。

 ブロンヴィッツの傍らの影からバデ=シャルメッシがぬるりと現れた。


「それ以上シュレーダー殿を追い詰めるは、酷というもの」

「バデ……。だがこの罪は如何とする」

「一時の敗戦など、次の勝利で贖わせればよろしゅうございます」


 事もなげにバデは告げて肩を竦めた。


「次の戦いは、どのみち宇宙に移るでしょう。となれば、シュレーダー殿には第一次地上戦における有終の美を飾らせ、この戦争が宇宙の在り方そのものを変える戦闘であることを知らしめさせればよいのです」

「具体的には?」

「そうですねぇ――」


 シュレーダーは思わず直立不動の姿勢を取った。そうしてから我に返り、屈辱に身を竦ませた。国家元首にではなく、その影法師にへつらう己の姿により、彼の自尊心はずたずたに引き裂かれた。

 そんなシュレーダーの姿を心底愉快そうに眺めつつ、笑みを絶やさずにバデは告げた。


「――シュレーダー殿、ウィレ・ティルヴィア西大陸を焼いておしまいなさい」

「……は?」


 バデは語る。もはや"今の"西大陸にモルト民族の理想郷を築くことは困難だ。敵の手に一度でも落ちるのであれば残さず更地にしてしまえばよい。


「ベルクトハーツは最後の一兵までラシン家の長男が死守するでしょう。その後の始末などウィレが行えば良い。あそこはモルト民族とは何の縁もない土地ゆえな」

「しかし、それでは――」

「それでよいのです。だからこそ、ラシン家の罪は重くなる。ウィレによって奪われてはならぬ拠点を奪われた。その罪を廃嫡された長男の命で贖ったとて、名門ラシン家には何の痛手ともならない。ラシン家の生殺与奪は依然として元首の掌中にある」


 バデはにたりと笑った。


「貴方の考えるラシン家への処遇という部分も満たされる。そして国家元首の理想も叶えられるというもの――」


 この男は人の思考が読めるのかと、シュレーダーは震えた。


「いかがですか我が主、ブロンヴィッツよ。シュレーダー殿は貴方の御意志の実行者として稀有の存在。お許しになり、西大陸を真っ新な画用紙とする任を与えては」

「……だが神の剣は使わせぬ」

「結構、結構。別に火を着けるのは我が手でなくともよいのです」

「どういう意味だ」


 ブロンヴィッツが座の肘掛に頬杖をついた。


「ウィレ軍、あちらにも火を着けたがる御仁はおりましょう」


 シュレーダーは数瞬沈思した後、愕然として口を開いた。


「まさかベルツ・オルソン――」

「そうそう、その御仁。あの者はモルト民族の息がかかっていると言うだけで悉くを毛嫌いする単純明快な御仁。早い話が、ウィレによって苛烈な反攻を行わせるがよろしかろう」


 シュレーダーは震えながら唾を呑み込んだ。動じないのは発言した当人、そしてブロンヴィッツだけだ。


「ウィレが己の大地を焼き払う愚を犯してくれるならば有り難い。我が主ブロンヴィッツの掲げる大義は強靭になり、再びウィレへと攻め入る時、我らは救済者として迎えられましょう」


 バデの言葉に対して、シュレーダーはただ立ち竦んだ。その思考経路はまるでブロンヴィッツそのものではないか。いや、そうではない。


 彼は愕然とした。自分の推測が正しいとするならば――。


「シュレーダーよ」

「は、は!」

「シャルメッシ伯に感謝せよ」


 ブロンヴィッツはそれだけを言うと、通信画面から姿を消した。後に残ったのはバデだけだ。


「シュレーダー殿、お気張りなされ。国家元首はまだまだ貴方に期待している。なにせ、この戦争は有史以来の芸術……。貴方の為す役割はとても大きなものだ。何せ、作品はまだ完成していないのですから」


 バデ=シャルメッシの含み笑いは嬌笑となり、シュレーダーはただその場に立ち竦んだ。


 その数分後、ウィレの空から赤い星は消えた。


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