第23話 兄弟、盃を重ねて


 ライヴェ・ラシンは宇宙港管制塔の屋上で星を見上げていた。兄であるオルクから本国との通信のために一度外してほしいと頼まれたためだ。


「寒ぃな……」


 モルトもそれほど温暖な環境ではない。新都のある地表部分はともかく、地下の旧都は日光が届かないため年中暗く冷たいのだが、東大陸北部の冷え込みはそれ以上だった。吐息は白く、チカチカと月明かりに照らされて輝いた。


「ライヴェ」


 聞き慣れた声に振り向く。オルクが管制塔の剥き出しになった階段をゆっくりと上って来ている。


「兄上。もういいのかよ」

「ああ。ライヴェ、星を見てみろ」


 軽く肩を竦めたオルクに、怪訝そうな表情を浮かべたライヴェは空を見上げた。


「……あ」


 赤い星が消えている。頭上は昨日まで見ていた夜空の姿をそのまま映し出していた。こうでなくては、とライヴェは呟いた。


「不気味な星が一つ消えただけでこうも見え方が変わるものかね」ライヴェは顎に手を当てた。


 「それで」と置いて、ライヴェは管制塔の手すりに寄り掛かった。


「どんな手を使って赤い星を消したんだ。兄上」

「いや。消したのは私ではない」

「では誰が―」

「シュレーダーの奴ばらと口喧嘩をしていた時に、割って入った御方がいてな」

「御方って、まさか―」

「ああ、そうだ」


 国家元首だと、オルクは告げて星空を見上げた。


「シュレーダーの奴め、色を失って直立不動だった」

「にしては……愉快そうじゃないな」

「わかるか」

「二十年余り弟やってるんだ。顔を見ればわかるさ」


 肩を竦めるライヴェに対して、オルクはおもむろに管制塔の天辺で胡坐をかいた。ライヴェが振り返る中、段下に置いていた何かを取り出した。


「久々に、飲みながら話さぬか?」


 膝下に一対の水晶で出来た酒杯ゴブレットと、蒸留酒コニェルの小瓶を置いたオルクが薄く微笑んだ。

 ライヴェも膝を折って向かい合った。


「じゃ、俺が注ぐよ」


 酒杯を満たす。星空を天蓋にし、冬の大地を座にして兄弟は座った。肴にと、ライヴェは懐に入れていた煎豆と干肉を並べた。豪勢さでは故国の酒宴に及びもしないが、二人にとってはこれで十分すぎた。


「では」

「ああ」


 二人そろって杯を空ける。吐いた息が竜の吐息のように白く真っすぐに伸びるのを見て二人はにやりと笑った。


「こうやって飲むのは、いつぶりかな」

「いや……それを考えていたんだけどな。兄上。多分初めてだ」

「そうだったか?」

「ああ」


 オルクは目を丸くして、それからしばらく考え込んだ。確かにない。家族で食事を取ることはあったし、夕食を共にしたこともある。だが、確かに兄弟差し向かいで酒杯を傾けたことはなかったかもしれない。


「確かに。成人してすぐ、士官学校を出て……我らはそれぞれに連隊を持っていたものな。忙しくて、こうやって飲むこともできなかった」


 オルクは膝の上で酒杯を転がしながら、しみじみと語った。兄弟らしいことは何もしていない。ただ、ラシン家の男児たらんと肩肘を張って生きてきた。


「兄上は真面目過ぎるんだ。俺なんか、何度だって宴会に誘ったのに――」

「お前はやり過ぎだ、ライヴェ。宴会があると聞けば出かけて行った」

「派手な事が好きだったんだ」悪びれずに胸を反らすライヴェに、オルクは乗り出して口元を吊り上げた。

「名家の女性にちょっかいを掛け過ぎて、父上に殴られることも一度や二度ではなかっただろう」

「父上は堅物過ぎる。それに亡き母上への想いが美化されすぎてる」

「こと、女性に対するありようという点では、か」

「ありゃ一種の潔癖症だよ」


 当主であるゲオルクを貶せるのは息子たちの特権だった。生真面目なオルクは本来ならライヴェを叱るところだったが、苦笑いするに留めた。


「だがそれでも――」


 ライヴェは酒を注いだ。目は酒杯ではなく、その先の遠くを見ていた。


「外で楽しい酒宴など一度もなかった」

「楽しい、か」

「ないな。一度もなかった。家名に媚びてくる連中ばっかりで、やれ"うちの派閥に入れ"だ、やれ"うちの娘をよしなに"だなんだってな」

「確かにな。……ああ、確かにない。楽しい宴なんてものはなかったな」

「兄上もか」

「ああ、私もだ。だから、外では酒嫌いでずっと通した」

「それでか。じゃあ、兄上は」

「本当はいける方だ。ひとりの時はよく飲んでいた」


 ライヴェは声を立てて笑い終え、それから酒杯を足元に置いた。


「で、兄上」

「なんだ」

「元首は、何と?」


 オルクは酒杯で口元を湿らせるように弄んでいたが、やがてライヴェと同じように置くと腕を組み、口を開いた。


「私に、ここで死んでくれと仰せだ」



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