第20話「愚かで哀しいもの」
時間は止まることなく、人に一切の猶予を与えることなく流れ続ける。
この日の夕刻、ベルクトハーツ宇宙港にてモルト軍守備隊司令官オルク・ラシン大佐と、ウィレ・ティルヴィア軍の軍使との間で停戦交渉が行われることとなった。
「ウィレ・ティルヴィア軍第一軍参謀長代理、シェラーシカ・レーテ中佐です」
シェラーシカが流暢なモルト語で挨拶した。
国家、軍の間では交渉に赴く側が、相手国の言語を使うことが流儀となっている。
これに対してオルク・ラシンも完璧な礼儀をもち、丁重に受けた。
「モルト・アースヴィッツ軍ベルクトハーツ宇宙港守備隊司令官、オルク・ラシン大佐。軍使であるシェラーシカ中佐を謹んでお迎え致す」
亜麻色髪の乙女に、ラシン家の灰色鷹は互いに敬礼を交わした。両者は共に護衛を連れず、一対一での邂逅となった。
「久しぶりだな。シェラーシカ中佐」
「ええ……義長兄さ……いえ、オルク・ラシン大佐も」
失言に思わず口元を抑えたシェラーシカに対して、オルクは咎めだてもせずに微笑して頷いてみせた。
「再会を賀したいところだが、時間がない」
「わかっています。では―」
空には依然として赤い星が瞬き続けている。
その下で、両者は会談の場へと赴いた。
そして同日夜までに、ベルクトハーツ宇宙港での停戦交渉は恐るべき早さで進行していった。この交渉において決められるべき事項は以下の事柄だった。
・両軍ともに24時間の戦闘停止
・ウィレ・ティルヴィア軍はモルト軍部隊の撤退を妨害しない
・両軍は停戦交渉までに捕虜とした将兵を解放する
・モルト軍部隊はベルクトハーツ宇宙港を破壊しない
・モルト軍部隊は宇宙空間からの砲撃を停止する
・モルト軍部隊はこの新兵器を都市部及び民間人攻撃に使用しない
このうち、上から四項目に関しては水の流れるような勢いで合意を見たが、最も難しい問題は残る二つの項目だった。
「では、やはり―」
「そうだ。あの宇宙からの砲撃に関して、我ら東大陸のモルト軍部隊は引鉄を握っていない。そしてもう一つ―」
オルク・ラシンは厳めしい表情を崩さず、机の上で手を組んだ。
「貴軍の停戦提案を受けたのは私の独断だ。貴国同様、我らにも事情があるのでな」
目を丸くするシェラーシカに対して、オルク・ラシンは頷いた。同様というのは、ウィレ・ティルヴィア軍が議会に無断で停戦を申し出たということだ。ウィレ軍が彼らの統領たる議会を無視してでも迅速な停戦交渉を持ちかけたとオルクは見破っていた。
「それゆえ、あの兵器に関する交渉は受けられない」
「ならば、誰であれば交渉が可能なのですか?」
「モルト軍においてそうした裁可を下せる存在はただ一人」
「ブロンヴィッツ氏ですか」
「そうだ。そして肝心な事は我が元首が、この二か条を受けるかということだ」
オルクは言い、シェラーシカは渋々頷かざるを得なかった。
この時点で、ベルクトハーツ守備隊が、"神の剣"がもはやモルト国家元首親衛隊長官シュレーダーに委ねられているという事を知らなかったのは悲劇というほかにない。
「オルク・ラシン大佐に申し上げたいことがあります」
「聴こう」
「降伏を、なさってはいただけませんか」
シェラーシカの声が哀願するように、僅かな震えを帯びた。オルクはわかっていたのだろう。表情を変えることなく、顎を引いた。
「もはやベルクトハーツの貴軍に勝機はありません。24時間後には、議会と本作戦司令官のベルツ・オルソン大将は総攻撃を命じるはずです。そうなれば―」
ベルクトハーツ守備隊は玉砕するより他にない。
「それは出来ぬ相談だな。シェラーシカ中佐」
「私は! ……できることなら貴方がたと戦いたくありません」
「ならば、貴官に問おうシェラーシカ中佐。もし今の私と貴官の立場が逆であれば貴官はどうしていた」
シェラーシカは返答に詰まった。元より理などなく、情で口走った提案だ。返せるはずがない。立場が逆であればどうだったかなど、考えるまでもない。シェラーシカは西大陸で、彼女の最初の師スミス・エドラントが責務を全うするために下した究極の選択を知っている。
そうした人々の選択のもとで、失った命を踏み台にしてシェラーシカは戦っている。そしてそれはモルトとて例外ではない。開戦からノストハウザンまで優位を保っていたモルト軍も、そこまでの戦いで多くの将兵の命を失っている。まして―。
「―ノストハウザンの戦い以降、どれほどの兵士が貴軍反攻の前に命を散らしたことか。敗北の前に名誉を失った将が今なお苦境に立たされている中で、我らのみ敵に降るなどできん。それに―」
オルク・ラシンは毅然とした態度を崩すことなく言い放った。
「私はラシン家の男児。軍神の一族は停戦を受けたとて、降伏の選択肢は持たぬ」
その言葉に、シェラーシカは重ねて説得することを諦めた。ラシン家の男に二言がないことをシェラーシカはよく知っている。幾らか運命が違う方向へ働いていれば、今頃自分もまたレーテ=シェラーシカ=ラシンとなっていたはずなのだから。
しかしそうはならなかった。
「どうあっても、そうなさるのですね」
「ああ。それが私の責務だ。そしてラシン家の男児の生きる道とあらばその道を往くまで」
「それが、滅びの道であったとしても、ですか」
「そうだな。それが滅びの道であっても、父のため、兄弟のため、戦友のために私はその道で貴軍らの向こうを張ると決めている」
故にシェラーシカとオルク・ラシンは敵同士となってこの場に在る。
「わかりました。大佐がそうまで覚悟を決めているならば……」
「感謝する。これで、会談は終わりだ」
シェラーシカは俯いた。最早彼女らにできることは、何もない。
「なあ、シェラーシカ殿」
「……はい」
その彼女に対して、オルク・ラシンは初めて表情を崩した。
「武人が気高くあろうと張る意地とは、かくも愚かで、哀しいものだな」
微笑するオルクに対して、シェラーシカは目を閉じて俯いた。
膝の上に置いた手の甲にいくつもの雫が落ちて砕けた。
「はい、本当に、本当に、哀しいものです……」
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