第10話 転んでまた立ち上がる

 翌朝、"転んだ"シェラーシカは頭に包帯を巻いて現れ、ベルツ・オルソン麾下として作戦参謀の任務に就いた。ベルツ・オルソンはシェラーシカらを前にして宣言した。


「全ての作戦は私が立案する。貴官らは最高司令官たる私の意に沿うよう勤めなくてはならない」


 訓示を受け、一切合切のやる気を失ったヤコフ・ドンプソンは「寝るので後はよろしく」と宣言しベルツの言う事に口を挟もうとはせず、無茶な作戦部分の修正のみをひっそりと手がけた。実行役はシェラーシカが請け負った。


「……包囲作戦は以上になります。これでよろしいでしょうか、オルソン閣下」

「ふん、それでよい。実行にかかれ」


 ベルツ・オルソンに作戦説明をし終えたシェラーシカは静かに礼をして立ち去り、後に残された高級将校らは鼻を鳴らしてせせら笑った。


「大人しいモノですな。公都の華と誉めそやされてのぼせきったところを、閣下の仕置きで余程しょげたと見えます」

「所詮は十七、八の娘。親も庇護者もいない状況ではさぞ心細いことでしょうなぁ」


 ベルツは満足していた。提出された作戦も皆、ベルツの案通りになっている。

 若干の不満があるとすれば、シェラーシカが抵抗するであろうとした予測が外れたことだ。何かにつけて跳ねっ返ってくるようであれば、ベルツは公衆の面前で思う存分にシェラーシカをいたぶることができたが、配属された彼女は完全にベルツに服従していた。将兵の人気が高いシェラーシカに対して理由なく侮辱を与えれば公都に属する将兵から信望を失い、戦線に辿り着いたばかりの北方州軍の立場が危うくなる。


 まあいい。戦いは始まったばかりだ。シェラーシカを駒として扱う機会はいくらでもある。じっくりと嬲ってやればいい。

 かつてこれほど心躍る戦いはなかった。ほの暗い歓喜で胸を膨らませたベルツは朗々と宣言した。


「ベルクトハーツは三日以内に陥落する! 作戦を開始せよ!」



 一方の第一軍はわざわざ東部への大回りを強いられたものの、アーレルスマイヤーもシェラーシカらの意図を汲んだようで抜け目なく立ち回り、東部側の包囲についたのだった。


「なるほどね。そういう事かあ」


 東へ進撃する第一軍の中に「公都近衛機甲大隊」の姿がある。戦車上で空を見上げていたエルンスト・アクスマン少佐は苦い笑みを浮かべた。シェラーシカが泣いていた理由とは、つまりこういうことだったのだ。


「公都に電話しないとな」

「少佐!!」


 戦車の傍らをいく歩兵たちが車上の指揮官に声をかけた。


「どうしたんだい?」

「御結婚、おめでとうございまーす!」

「あ、もう知ってたんだ……」


 囃し立てる声と拍手が四方から響いた。

 照れくさそうに手を振るアクスマンの左手指には銀の指輪が光っていた。


「式はいつですか?」

「したよ」

「は!?」

「ひっそりとね。でも、その式も10分くらいで中断しなきゃいけなくってさー」

「な、なんで?」

「戦場への招集がかかったからだよ。休暇中だったけど、出動なら行かなきゃいけないからね」


 呆気に取られる兵士達の前で、アクスマンはハッチから両足を出して胡坐をかいた。


「だから指輪の交換と、結婚証明書への署名と、誓いの接吻だけだったなぁ」

「そんな、奥さんがあんまりじゃないですかい」

「結婚できたから、これだけでも十分って言ってくれたよ。最後の誓いの時の彼女、可愛かったなぁ……」

「なんていじらしい上にできた女なんだ。どんな人なんですかい、その奥方は」

「皆も知っている人だよ」


 歩兵たちが一斉に首を傾げた。


「ミハイラっていうんだけどさ」

「ええーッ!!?」


 兵士たちは魂消るほど驚いた様子で、次々に質問した。


「ミハイラってあの特級追跡者の?」

「そうだよ」

「公都近衛連隊時代からの疫病神?」

「あー……でも、そうは呼ばれてたみたいだね」

「公都シュトラウスの不法組織を幾つもひとりで壊滅させてきた女決戦兵器?」

「短刀一本で軍人くずれの暴力団を壊滅させたっていうあのミハイラ?」

「まぁ……そうだね。実際、身のこなしはとってもすごいよ。僕じゃ敵わないなぁ」


 周囲から次々に「なんてことを」とか「やめとけ」という声が響いた。

 祝福はほんの数秒、もはや罵声である。


「なんであんな時速100カンメルで暴走する重戦車みたいなのと結婚したんすか、勿体ない!!」

「あんたモテるんだから浮気でもしてバレたら奥さんにサシミにされちまいますよ」

「あー、もう、言っておくけど! 君たちが知るミハイラは、噂と想像で塗り固められたものだろうけど。僕が結婚した彼女はそんな事を気にする必要がないくらい素敵な花嫁なんだからね」


 少しだけでも、笑みの消えたアクスマンの表情は珍しい。皆が黙り込んだ。


「し、少佐はいつから彼女と付き合い始めたんですか?」


 年少の兵士が遠慮がちに訊いた途端、アクスマンの顔が晴れた。兵士たちは年少の兵士を心の中で誉めそやした。


「付き合い始めたのはノストハウザンの後からだよ」

「はっ、や!!」

「短かっ!!」

「それくらい彼女が魅力的だったんだ。付き合ってみると色々相性がよくって、僕も彼女の事が大好きになったし、彼女もそうなってくれたみたいだから。そこから先は早かったなぁ。いいかい、彼女がどんなに素晴らしいか……」


 そこから先。兵士たちは前線への到着までアクスマンから花嫁の素晴らしさを延々と語って聞かされるのだった。




 シェラーシカは足早に作戦参謀部へと戻っていく。

 表情に柔和な笑みはない。完全に引き締め、整えられた"無"だ。


 婚約者と別れた。

 父を陥れられた。

 師を失った。

 戦友を失った。


 それでも戦い続けてきた。それが自分のためでもあったし、亡き人々のために自分に課した罰でもあった。しかし何よりも、自分を育んでくれた水の惑星を、シェラーシカは愛していた。その故郷のために下した自分の選択は正しいと思い込んでいた。

 シェラーシカにはわかっていた。そんなものは自分を慰めるための自己暗示に過ぎない。失った苦しみを誤魔化し、背を向けるために、自分が正しいと思いたかっただけなのだ。


 西大陸から命からがら逃げのび、議会で流した涙は一体何だったのだろう。受けた拍手も全て欺瞞だったというのだろうか。全て無駄だったのだろうか。


「無駄にはさせない」


 それほどに疑うのなら、見せてやる。


 父以上の"シェラーシカ"に、自分がなってやる。


「わたしは、負けない」


 シェラーシカの背中は、闇に溶けて消えていった。


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