第8話 挫折のシェラーシカ

「私を非難すると言うのは筋違いだ、アーレルスマイヤー大将」


 心から愉快そうに、歌うようにベルツは言った。


「シェラーシカ中佐は着任後1か月に渡り、積極的な攻勢を進言しなかった。その果てに、多方面から逃れてきたモルト軍のベルクトハーツ合流を許している」


 ベルツは人差し指を突き付け、シェラーシカを容赦なく"断罪"した。


「最高議会はこうお考えだ。"ベルクトハーツの守将シレン・ラシンと婚約者だったシェラーシカ・レーテが私情をもって敵軍に情けをかけている"とな」

「それは貴官の私見ではないのかオルソン大将」アーレルスマイヤーの声がさざ波のように揺れた。

「であればこれを見るがいい」


 ベルツは再び右手を突き出した。今度は彼の手の上に投影が浮かび上がる。


「最高議会から軍に当てて送られた、攻勢を求める要請書だ。正副議長、アルカナ氏の署名もある。これでも私見と疑うか!」


 アーレルスマイヤーも愕然となり、黙り込んだ。かつてベルツ・オルソンに対して抜いた"宝剣"によって、自分が切り返されるとは思いもよらないことだった。数か月、公都を離れた間に何があったと言うのだろう。

 ひとつ断言できることがあるとすれば、もはや後方は味方ではないという事だ。公都シュトラウスの政治の主導権を握ったのは、オルソン家なのだ。


「この度、モルト軍の撤退を許せばそれは戦史に残る汚罪となる。そうなればアーレルスマイヤー大将、シェラーシカ中佐及びドンプソン参謀長の責任追及は免れぬ。貴官らも見て来たであろう。敵前撤退を成功させた結果、戦局がどのようになったかを」


 反論ができない。西大陸の戦いにおいてウィレ・ティルヴィア軍は敗れたが、モルト軍の眼前で東大陸への撤退を成功させた。その結果、ノストハウザンの戦いでは逆転し、今日のウィレ・ティルヴィア軍優勢を築き上げることができた。同じ事をモルト軍がやればどうなる? また西大陸の惨劇を繰り返すことになるのか。


「何が言いたい、オルソン大将」

「今回の作戦の指揮権を……私に譲れ、アーレルスマイヤー大将」

「ベルツ・オルソン……!!」


 シェラーシカが机の前に立った。愚弄により顔面は蒼白になり、白目は幾らか血走り、拳が震えている。


「それが貴方の狙いですか……!! 私の父から奪い取った時のように!」

「違ぁう、シェラーシカ・レーテ! 私は私情で業を為すのではない。この惑星のために、公儀をもって業を為しただけだ」


 ベルツは突き付けた右手で拳を握った。


「我らの祖国を食い荒らしたモルトの害虫どもを、今度こそ東大陸から根絶する。そしてウィレ・ティルヴィアは再び秩序を取り戻すのだ。貴様のように偽善と見せかけのお情けで戦争をやっている青二才に大将たる私の高潔な信条など理解もできまい!」


 シェラーシカの意識がぶつりと途絶えた。


 目の前が真っ赤に染まり、呼吸をするたびに肩が上下する。


 全てを放り捨てて、目の前の男を殺すべきだ。


 手を腰に伸ばそうとした、次の瞬間。凄まじい力で肩を握られ、引き戻された。


「……わかった」


 アーレルスマイヤーが彼女の右肩を握りしめていた。


「指揮権を貴官に譲り、第一軍は北方州軍のベルクトハーツ奪還に協力しよう」

「私の配下になる、ということか?」

「そうだ。最高司令官の地位は最高議会からいただいたものゆえ、指揮権の委託ということになるが、この戦いにおいては貴官が元の最高司令官として振る舞っていい」


 凄まじい哄笑が響いた。


「わははははは!! 言ったな。アーレルスマイヤー大将! 間違いないな!」

「ああ、間違いない」

「ならばいい! それと、シェラーシカ中佐の作戦参謀部も私の司令部の下に置く。本作戦の補佐をさせるが、それも構うまいな」


 越権だ。他軍の参謀部を引き抜くなど正気の沙汰ではない。これ以上ない、ウィレ・ティルヴィア軍の秩序全てを否定する行為だ。


「好きにするがいい」


 それでも、アーレルスマイヤーは頷いた。

 シェラーシカは目の前が真っ暗になった。その鼻先に、ベルツの指揮杖が突き付けられた。


「シェラーシカよ。この作戦が成功した際には、貴官にはこれまでの無策の詫びを入れてもらう。私の前で地に膝と鼻っ面をつけて、頭を下げてもらう」


 怒りで満身が震える。だが、何もできない。今の自分は無力だ。


「せいぜい、最高議会と祖国に忠誠を示すことだ」


 言い捨てて、ベルツは司令室を出て行った。

 シェラーシカは膝から崩れ落ち、抜け殻になったように呆然としていた。


「シェラーシカ中佐」


 アーレルスマイヤーの手が肩に乗った。もはや、誰からも触れてほしくない。


「やるしかない。大変なのはこれからだ」


 もう何も考えたくない。


 はじかれるように立ち上がり、シェラーシカは逃げるように司令室から飛び出した。


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