第7話 崩れゆく思惑
ベルクトハーツ宇宙港は、ウィレ・ティルヴィア公都シュトラウスにも直結する広大な"大陸路"で各州に接続されている。宇宙港から東西南北にのびる大陸路と付随する街道は絶好の進軍路になっていて、ウィレ・ティルヴィア軍はここから進軍を試み、半年にも及ぶ攻防を繰り広げていた。
「ベルクトハーツを落とす他に、東大陸のウィレ・ティルヴィア軍が取る道はない」
ベルクトハーツから西方200カンメル地点の第一軍野営司令部では、アーレルスマイヤーが珍しくいらいらした様子である。それもそのはずで、北方州のウィレ・ティルヴィア軍は戦術的に負け続けていた。
「"モルト軍をベルクトハーツに追い込む"と言う戦略面で我々は確かに成功した」
司令官用の執務机に広げられた地図を平手で叩く。
「度し難いのは、その包囲の中へとあえて飛び込んでいく馬鹿者どもがいることだ。包囲の中にある奴らは消耗するどころか日に日に勢いを増している」
アーレルスマイヤーは顔を上げた。机の向かいに、亜麻色髪の乙女が座っている。
「ベルクトハーツ宇宙港は、もはやモルト軍の死地です」
シェラーシカの声音は静かで淀みがない。視線をアーレルスマイヤーから机上の地図へと移しつつ、彼女は立ち上がった。
「ですが、その死地にこそ活路を見出そうとするのが―」
指でベルクトハーツを指す。
「―モルト人です」
「シェラーシカ中佐。私は包囲を続けるべきか、攻勢に転ずべきかを思案する時期がきたと思っている。貴官の意見を聴きたい」
シェラーシカは鉛筆を取り、地図に次々と記号を書き込んでいく。手元はなめらかで躊躇いがない。
「包囲作戦を延長すべきです」
「論拠は?」
「海軍、空軍、宇宙軍との連携が整わない今、攻勢に出るのは危険という事です」
シェラーシカは言った。
「私だけでなく、参謀部全体……ドンプソン参謀長も同じ考えですが、三つの論拠をもって今からご説明します」
シェラーシカは手の平を見せた。まず親指を折りたたむ。
「一つ目に、ノストハウザンの戦闘以降、モルト軍の戦線は縮小しました。反対にウィレ・ティルヴィア軍の戦線は拡大の一方です。戦線が伸びきった状態で、後方から次々に友軍部隊が送られてきています。今のままではモルト軍に対して兵站すら無防備な状況です。これでは後方から攪乱を受けた時に容易く襲撃されます」
シェラーシカが描き込んだ地図にはウィレ・ティルヴィア陸軍の三十六個軍が描き込まれている。すべて東大陸北部を覆うように布陣していて、その戦線は東西に長く伸びきっていた。
「維持する戦線が広がれば広がるほど、戦線のほころびは生まれやすくなります」
「南方州の時のようにか」
シェラーシカは頷き、次に人差し指を折った。
「二つ目に現在の陸軍は各軍種との連携が取れていると言い難い状況にあります。空軍は東大陸全土の制空権を取り戻したばかりで消耗していますし、海軍はモルト水軍の潜水艦隊と惑星各地で交戦していてベルクトハーツのみに戦力を割けません」
「宇宙軍は? 議会からは彼らを陸上戦力として運用すべきとの声もある」
「宇宙軍は軌道上を抑えられている今は温存すべきです。最終戦争時にモルト国軍は海軍と空軍を歩兵戦力にして抵抗しましたが、200年も経って我々がその愚を犯すべきではありません」
三つ目に、とシェラーシカは中指を折った刹那。司令室のドアが乱暴に開いた。
「なんだ、作戦の打ち合わせか」
声が聴こえた途端、背を向けたままのシェラーシカの眉根が寄った。
アーレルスマイヤーも仏頂面になったが、気を取り直しシェラーシカの肩越しに顔を出して応じた。
「これはオルソン大将、早い到着だな」
豪奢な将官の制服に勲章を飾り立てて現れたベルツ・オルソンは、いつもの不遜な態度にして、珍しく鷹揚な笑みを浮かべていた。
「思案する必要などはない。北方州は我が北方州陸軍によって奪還する」
明日、攻勢に出る。ベルツはそう言ってのけた。
「お待ちください、オルソン大将。作戦参謀部は包囲を進言して―」
「包囲など無駄だ、シェラーシカ。時間の浪費にしかならぬ」
呼び捨てにされたことへの不快感を何とか無表情のベールで押し包み、シェラーシカはなおも反論した。
「攻勢に出れば多くの将兵が血を流すことになります。モルト軍を降伏させるというのであれば包囲で十分です。そうすれば州都ベルクトハーツは無傷で奪還できます」
「果たして連中が降伏するかな」
「どういう意味です?」
ベルツはにやつきながら手をかざした。アーレルスマイヤーとシェラーシカの腕に埋め込まれたナノマシンが反応して発光する。届いた文書はそのまま手の上に視覚となって現れる。
「北方州軍諜報部が本日入手した敵軍の機密情報だ。モルト軍はベルクトハーツを放棄し、三日以内に全軍撤退する」
「何だと―」
アーレルスマイヤーが席から腰を浮かした。シェラーシカも目を見張っている。ベルツはこの時、自分の得た情報が政敵である彼らよりも先んじたものであったことを確認し、隠そうともせずほくそ笑んだ。
「北方州軍の諜報力はウィレ・ティルヴィア軍随一だ。敵の無線を傍受した上で、現地のスパイからも裏を取ってある。情報に誤りはない」
そしてもう一つ、とベルツはシェラーシカに右手を突き付けた。
「最高議会はご懸念だ。シェラーシカ・レーテが作戦参謀であることに対してな」
「な……」
シェラーシカの顔が青ざめる。愕然とした。議会が信用を置いていないなどという話は聞いたことがない。開戦以来、ウィレ・ティルヴィアのために尽くしてきたというのに、意味が分からなかった。
「何故です! 私はずっと、この惑星のために―」
「知りたいかね? それは、君がベルクトハーツにいるあの男の婚約者だったからだよ」
オルソンの言葉に、シェラーシカは雷に打たれたかのように硬直した。
「オルソン、貴様―」
アーレルスマイヤーが呻き、ベルツは哄笑した。
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