第5話 兄の威厳


 大陸歴2718年11月21日。

 ベルクトハーツ宇宙港が騒々しさを増した。さして珍しいことではない。この宇宙港には撤収してきた多くのモルト兵が昼夜を問わず合流する。この港が故国に生還するための唯一の命綱だからだ。


「ラシン少佐!」


 伝令に駆けてきた歩哨のモルト歩兵に対して、軍帽を目深に被ったシレン・ラシンは頷いた。


「どこの部隊だ」


 息を弾ませながら歩哨は踵を合わせた。表情に輝くものがある。胸がざわついた。歩哨は何かを伝えたい喜びにかけてきたのだと気付いた。


「まさか−」

「はい! オルク・ラシン大佐、ライヴェ・ラシン中佐の部隊です!」


 言葉を聴くなり、居ても立っても居られずに、シレンは駆け出した。


「兄上!!」


 地を跳ねるように駆けた先で、黄色の飛行型グラスレーヴェン「ジャンツェン」が着地を終え、その鋼鉄の翼を折り畳み、休めている。ほどなく、滑らかな動きでハッチが開き、中にいた青年がひょこりと顔を出した。


「よお、シレン」


 行きつけの飲み屋に顔を出したような気楽さで声を返したのは、彼の次兄であるライヴェだった。


「ライヴェ次兄上、よく、よくぞご無事で……!」

「俺だけじゃないぞ。ほれ」


 その背後で、今度は灰色のジャンツェンが着陸する。

 その機体の主も、シレンは誰よりよく知っている。


「オルク長兄上!」


 次兄よりいくらか慎重な所作でハッチに足をかけ、地面に降り立ったオルク・ラシンはシレンに対して敬礼を送った。慌てて答礼するシレンに対し、ライヴェは苦笑いを浮かべてオルクの肩を叩いた。


「長兄上は真面目だなぁ。兄弟の間でそんなことしなくても」

「……お前は甘い、ライヴェ。我らは兄弟である前に軍人だ」

「やれやれ。左様ですか」


 シレンも頷きつつ、やや感極まった様子で兄たちの手を取った。


「よくぞ、よくぞ御無事で……」

「一時はもう駄目かと思ったが―」まずライヴェがシレンの手を握った。

「共にまだ死ぬ時ではないらしい」オルクもその手を握りしめた。


 灰色と黄色の指揮官機に続いて、白染めのジャンツェンも次々に着陸する。モルト軍グラスレーヴェン部隊最精鋭と言われるラシン家近習の者達だ。その帰還を見守りつつ、ライヴェは満足げに頷いた。


「これでラシン家の男子は皆揃ったわけだな」


 オルクも肯んじ、シレンに向き直る。


「為すべきを為す時だ」

「兄上?」

「シレン、ベルクトハーツの防衛部隊司令官は誰か?」

「……おりません。本国軍のマルシャル中将でしたが、4日前に戦死されました」

「そのほかの将官は?」

「おりません。兄上……いや、オルク・ラシン大佐。貴方がベルクトハーツにおける最高位の将校です」


 オルクは天を見上げた。


「ベルクトハーツ全ての機動部隊員を集めよ」


 同日昼。ベルクトハーツを守るグラスレーヴェン搭乗員の大半が、空港内管制室に集められた。その中にはキルギバートらの姿もある。指揮官は円卓に座し、そのほかの隊員は広い室内に直立、整列している。


 その前に、オルク・ラシン大佐が立った。


「諸君、司令部……ブロンヴィッツ国家元首の御命令を伝える」


 言葉に、指揮官は姿勢を正し、隊員は踵を合わせた。


「東大陸に残存する我ら残存の部隊は、3日以内に東大陸より撤退する」


 室内の空気がざわりと揺れた。しかし私語はない。

 シレン・ラシンはオルク・ラシンの向かいに、ライヴェと共に座していた。彼はオルクの佇まいから溢れ出る威厳に、気取られないように唾を呑み込んでいる。これが自分であれば室内はざわめき「静粛に」の声を何度もかけるところだ。いや、もしかすると収まらなかったかもしれない。


 これを威厳というのだろう。シレンは少しだけ眉を下げた。


―やはりラシン家の当主は、私などではなく、長兄上がなるべきだったのだ。



「これよりは、私がベルクトハーツ防衛、及び全部隊撤退の指揮を執る。私が目指すところはただ一つだ。この宇宙港を存分に使い、諸君ら、そして全将兵をひとり残らず軌道上に打ち上げ、本国あるいは西大陸へと送り届ける。そのために皆の力を貸してもらいたい」


 その言葉に、指揮官たちが立ち上がる。軍靴が床を叩く甲高い音が響いた。


「モルト軍未だ敗れず。我らの武威を知らしめてくれようぞ」


 応の声が轟いた。


 この日、ベルクトハーツ攻防戦の幕が静かに開けた。しかし、オルクが宣告したとおり3日間に及んだ戦いは東大陸最後の激戦となり、後に黄昏戦役と呼ばれる戦いの序章となるのである。

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