第2話 戦鬼の憂鬱

 ベルクトハーツは北方州都にして、面積はシュトラウスを凌ぐほどの広さを持つ、ウィレ・ティルヴィア屈指の大都市である。モルト軍は数多くの拠点を奪還されたものの、このベルクトハーツのみを死守できていた。

 その理由は、ひとえに都市の広さにあると言える。一か所に追い詰められたモルト軍がひしめき合って自滅することなく、防衛のため布陣できるだけのゆとりがあるからだ。宇宙を巻き込んだ大戦争が始まってすでに10か月。幾度とないウィレ・ティルヴィア軍の攻勢をベルクトハーツ守備部隊は撃退し続けた。



 しかし、その日々にも終わりが訪れようとしている。


―大陸歴2718年11月20日午後5時 ベルクトハーツ宇宙港兼モルト・アースヴィッツ東大陸方面軍総司令部―。


 広大な宇宙港の駐機場に、片腕のグラスレーヴェンが滑り込む。


「おい、今日もまた帰還したぞ」駐機場の整備兵たちは、今日も帰還した片腕のグラスレーヴェンを見てざわめいている。

「今日も各機撃墜数1だ」

「グラスレーヴェンの予備部品さえ届かない戦況で」

「あの機体は片腕とヴェルティアだけだぞ。どうなってるんだ……」


 東大陸中のモルト軍残存部隊が集まるベルクトハーツにおいて、もはやを知らない者はいない。


「化け物だ」

「グレーデン師団機動戦隊の生き残り……二機戦か」


 整備兵たちの前で、片腕のグラスレーヴェンは静止する。その胸部ハッチが開いたかと思うと、中から一人の男が現れた。整備兵たちは雷に打たれたように踵を合わせ、敬礼を送った。


 うなじまで、やや伸びた銀髪を後ろに撫で付けた男の、青い瞳が整備兵を捉えた。


「御苦労」機体から降りて来た男は、搭乗員服を着ていない。モルト軍の黒字に金刺繍の軍服を着ていた。もはや戦局は搭乗員服の補充に事欠く状況だったからだ。


「整備は、いかがでしたか」整備兵はぎこちなく問うた。まるで人間ではない何かを相手にしているような、恐れの混じった声色だ。


「問題ない」男は微笑した。その表情が降りて来た時の硬く、無機質なものとは打って変わったもので、整備兵たちはますます驚いた。わずか一分ほどの少年のあどけなさが残る、穏やかな青年の顔つきだ。


「貴官らのおかげで、こいつが片腕だという事を忘れてしまう。手間をかけるが、またすぐに出撃だろう。頼むぞ」

「お任せください、キルギバート大尉」


 ウルウェ・ウォルト・キルギバートは頷くと機に背を向けて歩き出した。その向かう先では3機のグラスレーヴェンが次々と駐機を済ませていた。


「キルギバート大尉!」


 名を呼ぶ声に、キルギバートは振り向いた。長身の痩せた男が駆け寄っている。


「リッツェ中尉、どうかしたのか?」

「シレン・ラシン少佐がお呼びです」

「わかった、すぐ行く」


 コクピットから降りてきている僚友に軽く手を挙げ、キルギバートはそのまま司令部への路についた。かつてはウィレきっての宇宙港として機能していた建物は、南方戦線司令部の比ではないほど整っている。

 凄い港だ。心からそう、キルギバートは思った。これほどに整った宇宙港を要塞化すればモルト軍は数年、いやひょっとすると十数年に渡ってもちこたえられるだろう。だが、そうするには最早時間はない。


 東大陸戦線は、モルトにとって厳しい戦局だ。認めなければならなかった。補給も満足になく、もはやモルト空軍も水軍も壊滅状態だ。ベーリッヒ首席元帥は本国に撤退し、ゲオルク・ラシン元帥の復帰のめどは立たない。首脳部が不在では東大陸の兵士たちは満足に戦えない。

 それでも降参するつもりはキルギバートにはない。彼は戦わなければならないのだ。部下のため、そして何処かで戦っているグレーデン師団の下に戻るため、そして守ると誓った西大陸モルトランツを、再び奪われないために。


 モルトランツには少年たちがいる。キルギバートが初めて出会ったウィレ・ティルヴィアの子どもたちがいる。彼らの日常を破壊してしまった罪悪感を抱きながら、キルギバートはずっと戦い続けている。もうあのような思いはさせたくない。少年の手を取った時に感じた震えを、未だに忘れられずに、キルギバートは生きている。


「サミー」


 透明な硝子造りの空中通路に出た。煌々と輝く夕焼けが廊下を照らしている。


「お前たちは今どうしているんだろうな」


 手紙が届かなくなって久しい。無理もない。撤退に次ぐ撤退で手紙を受け取れるだけの落ち着いた時間がない。全てが変わってしまったノストハウザンの戦い以降、キルギバートは少年たちの消息を知らない。西大陸が戦場になったという報はないから、無事であるとは思うものの、それ以上のことを知ることができない。


 心の底からモルトランツへ帰りたい。そう、思ってしまった。


「キルギバート!!」


 びくりと肩を震わせ、声の先に振り向いた。


「シレン・ラシン少佐―」


 硬質な黒髪を整え、鷹の瞳を持つ青年がつかつかと歩み寄ってくる。


「申し訳ありません。そちらへ向かう途中で―」

「構わん。ウィレ機甲部隊の撃退に成功したと聴いている。御苦労だった」


 シレン・ラシンは手を差し出した。労いのつもりらしい。

 キルギバートはそれに応じた。少しだけ、互いの表情が綻んだ。

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