第36話 ゲラルツ=ディー=ケインの過去


 3日が経った。カザトとゲラルツは医務室で応急処置を受けた後、すぐに営巣へと放り込まれた。罪状は"私闘"で、言い逃れすることは困難だ。両手を包帯で巻いたカザトは隣の房にいるであろうゲラルツに何度か声をかけては無視されていた。


「なあ、ゲラルツ。いるんだろ」


 不貞寝をしているのか、それとも同じように壁を背にして座り込んでいるのだろうか。同罪の仲間は朝に放り込まれてからこの一日、ずっと無言だ。


「いてて……」


 切れた額と唇が痛む。額にはたんこぶができていて、全身は痣だらけだ。


「約束、守ってくれよな」


 鉄枠の簡易ベッドにマットレスを敷いただけの粗末な寝床に横になる。今が冬でなくてよかったと思う。営巣とはいっても施錠された簡易な小屋でしかないのだ。こんな薄着で寝ていては、きっと凍えてしまうだろう。


「おい」


 声がした。ゲラルツの声だ。


 むくりと起き上がるだけで、背中が痛んだ。


「どうした」

「あの写真、見たのか」


 低く、ぶっきらぼうな声音はいつもと全く変わらなかった。


「……ああ。見た」


 カザトは頷いた。


「あれは、俺の家族だ」


 ゲラルツが初めて、自分の身の上を喋った。それが嬉しくて、カザトの返事は自然と朗らかになる。


「大家族じゃないか。いいな。俺は一人っ子だから、兄弟がたくさんいるのは羨ましい」


 声をかけて、また、無言になった。とても長い沈黙だった。


「……ゲラルツ?」


 再び、長い沈黙の後。ゲラルツが再び口を開いた。


「ああ、大家族だった」

「え……」

「今はオレと、弟と、妹だけだ。写ってた赤ん坊が妹だ」


 写真、見たんだろ。とゲラルツが告げた。

 確かにカザトは見た。

 アン・ポーピンズの言葉に気付かされて見た写真の"裏"は、赤く汚れていた。


「……何があったのか、聞かせてもらってもいいか」


 長い沈黙の後、ゲラルツは息をひとつ吐いた。


「オレの家族は―」


 ゲラルツ=ディー=ケインが生まれたのはモルト・アースヴィッツの首都、月面に築かれた人工宇宙都市アースヴィッツだった。父親は当時、国立大学の准教授として経済学を教えていて、母親は何の変哲もない主婦。どこにでもいる一般家庭の三男坊として生まれ育った。


「オレは子どもとしては三人目で、後に弟がふたりと、妹がひとり生まれた」


 家庭的にはけして裕福ではなかったが、それでも多くの兄弟と両親に囲まれて育ったゲラルツはいずれはモルトで成長し、月の惑星で生きていくのだろうと思っていた。


 その生活が暗転したのは3年前だった。父親は国立大学の経済学部長を勤めるまでに出世していた。ウィレとモルトの関係が悪化し始めた中で、モルト政府が開いた"有識者会議"に父親は呼ばれた。

 帰ってきた父親は青白い顔をしていた。「戦争になる」とぽつりと呟いたのを、ゲラルツはよく覚えている。


「その会議から、オヤジの周りで背広を着た連中がうろつくようになった」

「背広を着た連中―」

「……秘密警察だ。今はモルト国家元首親衛隊なんてデケェ化け物になってる」

「まさか」

「多分な。オヤジはそいつらに目をつけられて、その日から近所や学校の連中さえ、オレたちを避けるようになった」


 それでも父も母も、苦痛を表に出すこともせず、普段通りの生活を送っていた。別に国家に対して反逆したわけでもない。サボタージュに参加したわけでも、反政府活動に加わったわけでもない。父は嫌疑が晴れることを信じていた。


「戦争が始まるちょうど2年前、一番上の兄貴が捕まった」

「なんで……」

「わからねえ。でも、すぐに兄貴は帰って来た」


 少しの沈黙の後、ゲラルツは口を開いた。


「"釘で蓋が固定された棺桶"に入ってな」

「っ!」


 カザトは思わず息を呑んだ。

 ケイン一家が棺の中を見ることは許されなかった。罪状は反政府学生活動とサボタージュへの参加。戦時動員が間近に迫るモルトにおいては反逆罪とされるに新しい罪状だった。


「兄貴は、そんなことをする人じゃなかった。普通に学校を卒業して、工場で働いているだけの、どこにでもいる人間だった。それをアイツらは殺しやがった」


 兄の葬儀が終わってすぐ、次兄が消えた。一番上の兄の死について秘密警察に抗議を試みて、そのままついに帰って来なかった。兄弟で一番年長の男はゲラルツになった。


「オヤジもおふくろも、嘆いたり悲しんだりする暇はなかった。秘密警察が自分たちに狙いを定めた以上、モルトに残るわけにはいかなかった」


 当時はすでにウィレ・ティルヴィアと開戦間近といわれるほど緊迫した情勢で、ウィレとの交通が遮断される前に亡命しようとする人々がモルト・アースヴィッツの宇宙港に押し寄せていた。ケイン一家もそんな人々の中の一例だった。

 国外への外出の許可が下りたのは父親ひとりだけで、家族はアースヴィッツに残していく。「人質がいるならば」などと当局は思ったのか許可は簡単に降りた。


「だが、国が出る前の晩に―」


 国外退去の前夜。ケイン家の住居を秘密警察が襲った。


「どうして……」

「国外へ出ようとする連中への見せしめだ」

「お父さんたち、は?」

「オヤジと、いちばん下の弟が、死んだ。逃げ遅れて突入してきた秘密警察の撃った弾に当たって、死んじまった」


 カザトは言葉を失って、ただゲラルツの房の方を向いたままじっとしていた。


「あの写真は、オヤジが死ぬ間際にもらったもんだ」

「そう、だったのか……」

「その後、オレたちは逃げ切った。貨物船に紛れ込んで、ウィレへ逃げた。おふくろは、向かう途中でついに心を病んじまった」

「そんな……」

「ムリもねぇだろ。ツレと、子どもをいっぺんに殺されたんだ」


 カザトは声をあげたかった。それはゲラルツにとっても同じだ。父親と兄弟を数日の間に亡くしたのだ。残酷すぎると叫びたかった。だが自分の叫びなどゲラルツの過去に比べれば薄っぺらい気がした。だからカザトは黙り込んだ。


「ウィレに逃げたオレたちは、自由になれるはずだった」

「はず、だった?」

「モルト人を受け入れてくれる場所なんてどこにもなかった」


 ゲラルツたちを待ち受けていたのは敵国、モルト人への差別だった。


「ウチュウジンと馬鹿にされ、蔑まれて」


 ゲラルツの言葉が途切れた。


「おふくろは、とうとう自分で死んじまった」

「そんな……」


 その後、身寄りのないゲラルツと弟、妹は"子どもの家"へと移された。

 そこでも弟と妹を攻撃する子どもたちの悪意からは逃れられなかった。ゲラルツは喧嘩に明け暮れ、しまいには"家"からもつまはじきにされるようになった。昼は家でも兄弟と過ごす以外は独り。夜は街へと繰り出して時間を潰す。


 それくらいしかすることがなかった。どこへ行ってもウチュウジンと蔑まれ、ゲラルツの周りには自然と暴力が渦巻いた。


 そしてついには素行の悪さで亡命者を管理するウィレ政府当局の世話になった。


「"モルトに送り還されるか、ウィレのために働くかどっちか選べ"ってな。だから、軍に入ったのは成り行きだ。俺が望んだわけじゃねぇ。どうにでもなってしまえって思っている矢先に、あのババアに拾われて、今じゃこのザマだ」


 話し終えたゲラルツは再び黙った。その独房の静けさに、すすり泣きが混じった。


「ごめん……」カザトは泣いていた。

「ああ?」

「俺、何にも知らなかった。お前にそんなことがあったなんて知らなくて、ごめん」

「なんでテメェが泣くんだよ」


 ずるずると鼻水を啜るような音がする。

 本当に泣いているのだとゲラルツは呆れかえった。


「だって残酷すぎるだろ! ゲラルツは何にも悪いことをしてないのに!」

「うっせぇな、気持ちわりぃ」

「でも、でも俺―」


 カザトは盛大に嗚咽を漏らしながら喚いた。


「お前が話してくれて嬉しかった……!」


 なあ、ゲラルツ、とカザトは続けた。


「やっぱり俺はゲラルツに隊にいてほしい! やめないでくれ!」


 長い長い沈黙の後、カザトはひとりで泣き出した。


「……びーびー泣きやがって、うざってぇ。やっぱ話すんじゃなかった」


 寝る。ゲラルツは吐き捨てるように言って寝台に身を横たえた。


 どこかから嗚咽と、紫煙の臭いが漏れた。


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