第32話 手にした秘密

 ゲラルツが去って行った後、カザト・カートバージは一人その場に佇んでいた。周りには誰もいない。誰も残っていない。それぞれがいるべき場所へと戻って行った。ただひとり、カザトだけがついてゆけずに、立ち竦んでいる。


 リックはゲラルツを制止しようとして、ついには泣いた。

 エリイはゲラルツを罵ったが、ゲラルツは何も応えなかった。

 ファリアはひとしきり罵り終えて泣き出したエリイを抱きしめて、どこかへと連れて行った。


 本当にこれでよかったのか。ゲラルツだけが隊から追い出されても―。


「そんなわけあるか……!」


 カザトは拳を握り締めた。まだ何も始まってさえいないのに、こんな形で"終わって"たまるものか。今ならまだ間に合う。追いついて、ゲラルツを止めなければならない。

 歩き出した途端に強い向かい風が吹いた。その風に乗った何かが地面から浮き上がり、宙で回転しながらカザトの方へと飛んでくる。手を伸ばして、頭上を飛び過ぎようとしたそれを手に取った。赤い紙のようなものだった。


「写、真?」


 擦れや色落ちのない、比較的、真新しい写真だ。映っていたのは複数の人間。


「これ、家族写真、か」


 椅子に座った赤ん坊を抱いた女性を囲むようにして、子どもと大人が立っている。大人の女性の近くには、茶色髪の比較的若い大人の男性が立っている。目を見張った。ゲラルツにそっくりだった。

 その左端に笑顔の子どもたちが映っていて、右端にいたのは―。





「これ、ゲラルツですよね」


 仮設指揮所のアン・ポーピンズの下に赴いたカザトは、手にしていた写真をアンに手渡した。写真をしげしげと眺めたアンは、首を横に振るや粗末な木椅子にどっかと腰を下ろした。


「……これをどこで手に入れたんだい」

「けさの件で、あいつが落としていったんだと思います」

「なるほどね。それで、なんでアタシのところに来たんだい。本人に返してやるのが筋だろう」

「……貴方はラインアット隊が造られたきっかけから今までを知っている人です。隊長より、この隊の歴史に長く関わった人です」


 アンは肩眉をひそめて見せた。椅子の背もたれによりかかり、腕を組んで天井を見つめる。


「なるほど。考えなしに来たわけじゃないってことだ」

「教えてください。何で、ゲラルツをこの隊に呼んだんですか?」

「それを知ってどうするつもりだい」

「だって、この写真に写っているゲラルツは、今のアイツとはちょっと違います」


 アンは写真を見つめた。そこには荒れてささくれだったゲラルツ=ディー=ケインではなく、写真の中にある幸せを喜ぶような穏やかな表情をした少年がそこにいた。


「アイツに何かあったんだとすぐわかりました。それも知らないで、俺は―」

「テメェのせいじゃない。言わない方が時として悪いこともある。ま、言えることかどうかは別だがね」

「ゲラルツの除隊手続きは―」


 アンは目を閉じた。心底うんざりしたような表情で首を横に振る。


「途中だ」

「彼は必要なんです。隊にとっても、俺にとっても」

「辞めると言ったのはアイツだ。アタシは知ったこっちゃない」

「嘘だ」


 カザトの語気は鋭かった。


「俺だってわかります。このラインアット隊に呼ばれた人たちが、色んなものを抱えて今日までやってきたってこと。そんな人たちを呼んだのは中佐でしょう。どうでもいいなんて事はないはずです」

「いい読みだ小僧。だけどアタシから話すことはない。アーレルスマイヤー将軍が過去に言った言葉を覚えているだろう」


―君がモルト人だということも。

 かつてラインアット隊に任務を申し渡した陸軍司令官の言葉だ。口に出されたゲラルツはそれだけで激昂し、殴り掛かった。当時は侮辱されたから、気の短い彼はアーレルスマイヤー将軍に殴り掛かったのだろうと思っていた。

 しかし今なら察しは付いた。それは違う。より深く、奥底にしまっておきたい触れられたくない何かだったのだ。言葉以上の意味がゲラルツにはあるのだ。


「……その言葉の意味が、わからないんです。彼は話してくれないから」

「やれやれ。お前さんもあのクソガキと同じかい。"教えてくれよ"ってね」

「え?」

「お前たちが出撃した後、クダ巻いていたあのガキにアタシが言ったのさ。強いってことはどういうことかテメェの言葉で言えってね。だが、アイツはわからなかった。蚊が飛ぶくらいの声で言ってたよ。"教えてくれ"ってね。だから言ってやった。知りたきゃ自分で掴んで来いってね」


 カザトは息を呑んだ。その後、ゲラルツは出撃してカザトたちを助けに来たのだ。


「―だとしたら、ゲラルツを本当に辞めさせるわけにはいきません。まだ何も始まってないじゃないですか!」

「本人が選んだことだ。アタシじゃ撤回させらんないね」

「中佐!」

「うるさい。この件は終わりだ。何とかしたけりゃテメェでどうにかしな」


 カザトはなおも食い下がろうと口を開いた。だが、何も言葉が出てこない。拳を握り、そのままぶるぶると震えて立ち尽くすしかない。


「しかしなんだろうね」アンは肩を竦めた。「お前さんは物事のおもてしか見られないのかね」


 アンは椅子から立ち上がった。


「もう少し考えてみることだよ。さ、仕事の邪魔だ。出て行きな」


 指揮所から追い出されたカザトはその場に立ち尽くしていたが、やがて写真を手に取った。この家族の写真が、きっとゲラルツの秘密なのだ。そこまではわかる。そこから先がわからない。


「どういう―」


 刹那、写真に水滴が落ちた。濡らしてはいけないと写真をひっくり返し、ポケットにしまおうとした時だ。


 裏面に水滴が落ちた。


「雨……」


 裏面に落ちた水滴は紙の端へと流れていく。

 その雨粒の後が、赤い面をわずかに色あせさせる。

 指には砂のような赤い汚れの粒がついていた。


「え……」


 カザトの目が大きく見開かれた。


「これ、まさか―」


 


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