第31話 敗北の朝焼け

「こいつはクソッタレな状況じゃぁないか」


 アン・ポーピンズは手にしたタバコを燻らせながら目を細めていた。目の前には茫漠と広がる黒焦げた平原だけがある。地面にはグラスレーヴェンの左腕が墓標のように突き立っていた。


「追撃は最大3日の遅れになる。モルト軍には逃げられるだろう」

「そりゃそうだ。ここまで派手にやられたらね。アーヴィン、もう一本寄越しな」


 左腕に包帯を巻いたジスト・アーヴィンは目の前の平原を見つめたまま煙草の入った箱を放り投げた。


「気前がいいじゃないか」

「やきが回ったときのハコは持たないようにしてる。験担ぎだ」

「テメェの失敗を煙草に着せんじゃないよ。とはいえ、まあ幸いだったね。ラインアット隊に死人は出なかったんだ」

「他はどうなんだ」

「白いグラスレーヴェンとやり合った第五十二師団のアーミー中隊は鏖殺に遭った。その追撃に出た三個機甲大隊も音信途絶。第五十二師団は再編だろうさ」

「たった二十機のグラスレーヴェン相手に死人が二千か。割りに合わん」

「アーミーの性能にのぼせ上がった結果さ。あたしらにも言えたことだがね」


 ジストはくわえていた煙草を放り投げると踵を返した。無駄話というわけではないが、道端で時を過ごしている場合ではない。やるべきことは多々あるのだ。グラスレーヴェンが搭乗者によってはアーミーをしのぐとわかった以上、対策は打たねばならない。


「隊長……!」


 遠くから声が聴こえた。色の薄い金髪をなびかせながら、ファリアが走ってくる。

 アンは煙草を地面へと転がし、踏みにじった。


「良い報告じゃ、なさそうだ」ジストは眉をひそめた。


 ☆☆☆


 カザト・カートバージは脱いだヘルメットを小脇に抱え、トレーラー数台がかりで駐機場へ牽引されていく愛機を見守っている。機体の首筋にはグラスレーヴェンの白刃による生々しい傷が黒く焦げ付いて残っている。その眼は弾片により砕けていて、紅い装甲は至る所に傷がついている。


 アーミーの傍らでは、カザトより背の低い少女がアーミーを見守っている。


「エリイ―」声をかけようと近付いたカザトは足を止めた。「ぐすっ、ぐすっ」と、鼻を啜りしゃくるような嗚咽が聴こえたためだった。

 無理もない。己が自信をもって生み出したものが傷だらけになって帰って来た。ただ破損しただけではない。ラインアット隊にとっては手酷さに過ぎる初めての敗北だった。勝利を約束するために遣わされたエリイにとっては全機損傷は残酷なまでに受け入れがたいはずだ。


「くそっ……!」


 ヘルメットを振り上げ、地面に叩き付けようとして、やめた。

 惨敗だ。否定したくともできない。アーミーはしばらく出撃できず、復旧まで追撃の任務につくことは不可能だ。


「カザト……!」


 振り向くと、遠くからリックが走ってきている。その表情に切迫したものを感じてカザトは思わず駆け出した。互いに走り寄り、息を切らすリックの肩に手を置いた。


「どうしたんだ、リック」

「アイツが、ゲラルツが……!」


 心臓の鼓動が早まる。凶報を確信した。


「ゲラルツが、どうしたんだ?」

「アーミーを降りるって……」

「何、だって?」

「辞めるって言ってんだよ!!」


 リックの言葉が終わるまでもなく、カザトは駆け出していた。




「辞める」


 ゲラルツの一言は素っ気なく、呆気ないものだった。すでに、元から手に納まるほどしかない荷物をまとめて肩に提げている。本気だと、すぐにわかった。


「そ、そん、そんなこと言うなよぉ」


 リックがゲラルツのズボンの裾を掴んで引き留めようと悪戦苦闘している間、カザトの頭脳はこの状況をどうにかするため全力で回転させている。


 遅れてファリアとジストが駆けつけた。


「どういうつもりだ」


 ジストが一歩前へと踏み出した。ゲラルツは目も向けずに横を向いたままだ。ゲラルツの肩を掴み、地面へと突き飛ばす。ファリアが息をのんだ。いつもならば激昂したゲラルツが掴みかかってもおかしくない。


「……」


 だが、いつもと違った。ゲラルツは後ろへとよろけたものの、尻もちはつかずに、やはりどこか遠くを見ている。ジストへ挑みかかるようなこともしない。


「あの戦いは―」


 ゲラルツが呟くような小さな声で言った。


「俺がぐだっていたせいで負けた。だから辞める、つってんだよ」

「それは違う!」カザトは思わず叫んだ。「それはあのグラスレーヴェンが―」

「どこが違うんだよ。負けただろ」


 ゲラルツの声は頑なだった。


「イキがってこのザマだろ。俺なんかいねぇ方がいいんだよ」


 言い終わるが早いか、ジストの拳が飛び、ゲラルツの頬へと真っ向からめり込んだ。派手に吹き飛び、地面に大の字に寝転がる少年にジストは覆いかぶさるようにして襟首をひき掴んだ。


「いい加減にしろよテメェ―」


 隊員たちはジストから次いで発される言葉を覚悟した。

―出て行け。

 その言葉が飛び出すよりも前に、アンがジストの横に立った。


「ああ、わかった。失せな」

「ポーピンズ中佐!?」


 カザトは思わず駆け寄っていた。


「見どころのあるガキンチョだと思って声をかけたアタシが間違っていたのさ」

「待って、待ってください!」

「カートバージ。お前はゲラルツの辞める辞めないには何の関わりもないだろう」

「そんなことありません、負けたって言うんなら俺たちにも責任があるはずです」


 ポーピンズは空を仰いで呵々と笑った。


「だから仲良しこよしで辞めさせないでくれってかい?」


 にやけていた"魔女"の表情が変わった。


「ガキの理屈だよそいつは」


 言葉に詰まる。睨みつけられただけなのに、凍り付いて次の言葉が出てこない。

 思わず、カザトはゲラルツを見た。彼は切れた唇から血を流し、カザトを見ていた。

 

「軍はただ出て行けば済むような場所じゃない。除隊手続きが先だ」


 焼け付いた地面と同じほどに、乾いたアンの声が響いた。


「明日までに荷物をまとめな」



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