第33話 "決闘"


 煙草を吹かし、赤く焦げながら沈んでゆく恒星を眺める。

 これでよかったのだろうかと思う。

 ゲラルツは本当に軍を辞めるつもりだ。


 煙を吐く。橙色の空に白い煙が立ち上り、すぐに掻き消えていく。


 リックとファリアは懸命に説得し、リックにいたってはとうとう泣いた。

 エリイは騒ぎを駆け付けるなり目に涙を溜め、ゲラルツを手酷く罵ったが、結局ゲラルツは何も言い返すことなく兵舎へと引っ込んでしまった。

 カザトは何も言わず、その場に立ち尽くしていた。皆がいなくなってもなお、ずっとゲラルツが去って行った方向を見続けていた。


 自分も何かすべきだったろうか。


「何ができるっていうんだ」


 そんなことできるはずがない。少なくとも、自分にその資格はない。

 戦場で長年ともに歩んだ戦友たちを全て失った。彼らは友人であり、兄弟だった。家族同然に思っていた部下を、同僚を失って以来、自分は隊員たちと必要以上に関わることを避けるようになっていた。


 どうせ赤の他人だからだ。情が移れば必要もなく苦しまねばならない。


―貴方は。


 閃くように、思い出した。自分をラインアット隊の隊長に迎えた少女の言葉だ。


―後悔しているのですか。

「後悔なんぞしていない」


 ノストハウザンの地獄の後、少しだけ交わした言葉が浮かんでは消えていく。


「そんなこと、もう真っ平だ」

―少しでも、後悔があるなら。貴方はもう一度歩き出さないといけません。

「どうやって」

―彼らと、向き合ってください。


 

 雨が、降り始めた。

 指に挟んだ煙草の火は呆気なく消えた。それを折った。


「苦いな」


 後ろから駆けて来る足音が聴こえた。振り向いた先で、いつかと同じように走ってくる部下の姿があった。


「隊長、カザトと、ゲラルツが―」


 ☆☆☆


 それから少し前のこと。

 ゲラルツは格納庫へと戻っていた。ベンチに座り、かつて自分のものだったアーミーを眺めている。背は丸くなり、肩は落ちて力ない。手は足の間でぶらついていて、ただ虚ろに眺めている。片づけを終えて荷物を持った以上、もうどこにも用事はない。人のいなくなった格納庫であれば、誰かに見られず惨めな思いもしなくていい。そう思ったから立ち寄った。


 結局"強さ"とは何かはわからずじまいだった。勝てると思った相手-グラスレーヴェン-にさえ徹底的に叩きのめされ、打ちのめされた。


「オレは―」


 ぽつり、とゲラルツが呟いた。


「どうすりゃいいんだ」


 手が己の内懐へと滑り込む。何かを取り出そうとしている。


「なあ、みんな―」


 その表情が一変した。"ない"。


「おい、うそだろ」


 ない。


 ない。


 なくした。まさか。


「うそだろ、やめろよ。返せよ」


 持っていた布袋をひっくり返す。それを格納庫の地面にばらつかせながら広げて漁り回った。それでも、ない。


「クソッ!!」


 地面を殴りつけた。


「ふざけんなよ!!」


 己が一番大事にしてきたもの。そして大事にしているという事を隠し通してきた、それがない。死ぬまで肌身離そうとしなかったものが―。

 外で雨の音が響き始める。


 もう立ち上がれない。足に力が入らない。地面に四つん這いになり、身動き一つせず、どれほど経っただろうか。その背後で足音が響いた。


「おい―」


 聴き慣れた声がした。この場所で、最も出会いたくない相手だ。

 いけ好かない、生まれも育ちも境遇も真逆で、癪に障る相手の声だ。


 操り人形のようにふらふらと立ち上がって振り向いた。


 そこに、カザト・カートバージが立っていた。表情が険しい。


「探しているのはこれじゃないのか」


 カザトが差し出したのは紙片。それを見たゲラルツの目が丸く開かれた。


「やっぱりな」

「テメェ、なんで持ってんだよ」

「今朝、お前が落としたんだ。大事なものらしいな」


 かっ、と頭に血が上る。ゲラルツの顔が紅潮し、手がぶるぶると震えた。


「返せよ、触るんじゃねえ、殺すぞ!!」


 飛びかかろうとして距離を詰める。カザトはそれを突き付けた。


「いいだろう、返すよ。だけど―」

「!?」


 カザトはそれをジャケットの内懐へとしまい込み、それを脱ぎ捨てて放り投げた。


「条件がある。俺に勝ったら、写真を返す」

「ふざけんなよ」

「でなければ、それは返せない」

「なんでテメェがそんな事を決めんだよ!!」


 ゲラルツはカザトへと飛びかかった。その拳を身を屈めて避けたカザトは、ゲラルツの肩を押して突き飛ばした。


「お前、強いんだろ」

「なん、だと」

「俺との勝負くらい、どうってことないはずだろ」


 ゲラルツが姿勢を直し、身構える。


「おもしれぇな」


 にこりともせず、ゲラルツはジャケットを脱ぎ捨てた。


「テメェを一度ボコボコにしてやりたいと思ってた」

「できるか」

「テメェが勝ったら! テメェが勝ったらどうするつもりだ」


 カザトはゆっくりと身構えた。ゲラルツのそれより、腰が入っていない。


「お前に隊に残ってもらう。それと―」


 それでも、表情は揺るがない。恐れることなく、ゲラルツに勝つつもりで構えた。


「お前がここに来た理由を、喋ってもらう」

「できると思ってんのか」

「やってみなきゃわからない」

「おもしれぇ、タイマンかよ」


 ゲラルツは首を鳴らした。両のこめかみに青筋が浮かび上がっている。


「来いよ。こんな狭い所じゃつまんねぇ、外でやろうぜ」

「ああ。いいさ」


 土砂降りの外へと歩き出す。途中でゲラルツは地面に転がったカザトのジャケットを横目にしたが、それを奪い取ろうとはしなかった。


 ゲラルツは、やる気だ。

 カザトも、受けて立つ。


 大雨で髪が、服が濡れて肌に貼りついていく。下着まで瞬く間に濡れていく。感じた重さは雨に馴染んで消えていき、そしてカザトとゲラルツは拳を握った。


「いくぜ雨男、ボコボコにしてやる」

「来いよ問題児。やれるもんならやってみろ」


 泥が跳ねた。ゲラルツが拳を握って走ってくる。カザトも地面を蹴った。


 水飛沫が上がる。


「いくぞ!!」


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